明知線1971・7
蒸気機関車が引退する無煙化は3つの方法があった。
電化、ディーゼル化と貨物のみ蒸機で残っていた場合、貨物廃止で無煙化された路線もある。
簡易線用C12が活躍する路線は貨物廃止もささやかれるところが多かったが
明知線には訪問時午前、午後の2往復の貨物列車が運転されていた。
朝方名古屋港のC50を撮影、午後の貨物列車を撮影した。
撮影日 1971年7月22日
恵那で発車を待つC1274、地の色がはげているが、中津川の青ナンバー。
左端に見える発車時刻表では14,15時台は無し、16〜18時台各1本、20:11が最終。
飯沼〜阿木。
撮影地ガイドで阿木周辺が紹介されていたので、阿木で下車。地図であたりをつけておりた跨線橋にいったが
下り勾配でせっかくの正向きも転がってくる姿となってしまった。
阿木〜飯沼、25‰の築堤をキハ52×2が下ってゆく。
恵那行きは逆向き、白煙をなびかせて登っていった。
恵那、折り返しのキハ52、2両目では荷物を積み込んでいる。
恵那で停車中のEF64、夏の暑い盛りで貫通扉を開け放っていた。
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています