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鉄道100年記念列車
C577と僚機たち
その2

鉄道100年記念列車牽引機がなぜ当初のC5741から148、さらに7へと三転したのか
その理由は今となっては不明です。
当時の各機の姿を「むかし鉄・発://いま鉄・行き」品川530様ご提供の
画像と解説でご覧ください。


C577  70.1.3.  紀勢本線 津−阿漕
冬の朝、参宮線伊勢市へ直通する客車列車を牽引するC577号機。
1957年に山田(のちの伊勢)に転入した同機は、集煙装置、
重油併燃装置を装備した、典型的な「天王寺局スタイル」。
関西に残った若番のC57の中では、和歌山のC576と同じ形態で、
長く原型を保った梅小路のC575と対照的だった。
紀勢・参宮線の運用削減により、この年、紀伊田辺区に転属する。


C577  71.8.13  紀伊田辺機関区
転じた紀伊田辺では、定期運用がまもなく無煙化され、
早くも臨時列車用の予備機として、無聊をかこつことになったC577号機。
その、余裕が功を奏したのか、思いもかけない横浜行きの白羽の矢が・・・。
集煙装置を外して抜擢された理由は、検査期限以外に、若番ということが考えられるが、
148号機との差し替えの理由は、いまとなっては不明だ。
横浜から紀伊田辺へ帰った同機は、翌秋「サヨナラSL南紀号」の先頭に立ち、
現役時代の最後を飾る。
田辺市に保存された同機の前面には、いまもそのヘッドマークが飾られていると聞く。


C5741  71.7.29 福知山機関区
1958年に福知山転入以来、定期運用のDL化後も、
C5741号機は、団臨、多客臨用に福知山にとどまっていた。

福知山時代末期を長く共に過ごした僚機に、苗穂ついで旭川に転じたC5787がいた。
C5741は、この写真の71年、ついで72年も、夏には「はしだてビーチ」などの海水浴臨に、
当時の新鋭12系を牽いて活躍している。





C5741 74.3.4  宮崎機関区
     74.3.4  都城

C5741から、C57148への変更の理由も、いまとなってはまったく不明だが、
C5741号機は、浜田、そして宮崎へ転じ、74年4月の日豊本線宮崎電化まで、活躍を続けた。
写真のように、最後の御召機となったC57117号機と顔を合わせたりすると、
いかにも黙々と働く、流浪の現役機という印象だ。
宮崎のC57の最後を飾った急行「日南3号」の運用にも度々充当され、
その際、関東のファンからはため息が漏れ、関西のファンからは、
ちょっとはにかんだような歓声があがったものだ。
同機は、保存されることなく、九州で廃車解体された。
宗谷本線で同じような活躍を続けた福知山時代の僚機、C5787 が、
海を越えて沖縄で保存され、朽ち果てようとしているのも、付け加えておきたい。

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