忠賢八高様主宰のサイト「モノクロームの残影」(現在休止中)談話室に書き込みされた
C13に関する記事を編集しました。
この件に関することやお気づきになったことなど掲示板に書き込みいただければ幸いです。
なお、このページは忠賢八高様のご確認いただきまして、TADAが編集
アップロードしました。表示等につきましては、こちらへご連絡ください。
参考画像
1974年1月25日 小湊鉄道 五井 C13→2920と同じボールドウィン製1C1タンク
その隣には5507改造のB104も転がっていました。
その後これらの3両の機関車は上屋付きで保存されています。
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[No.2144] 蒸機の人間でのイメージ 投稿者:慎
2002-05-14 (火) 19:01
<URL:
http://www.amigo.ne.jp/~purebrue/>
テンダー蒸機のイメージを貨物機=男性 旅客機=女性って感じで表すとどんなだろうって考えてみました(笑)
8620、着物を着て、おてんばに遊び回る少女
C50、ハチロクの双子の妹でちょっとおとなしめ
C51、見た目は美しくも芯の強い和服の似合う日本のお母さん
C52、アメリカ生まれの女の子、スマートだけどなかなかハイパワー
C53、男装の麗人、男に負け無い力を持ちながら足のラインが美しい(笑)
C54、C51の妹、美しいながらも病弱で儚さが漂う
C55、華奢な舞妓さんのような華やかさ足の美しさもまた素晴らしい
C56、思春期前の男とも女ともつかない天真爛漫(笑)
C57、C55の妹でこちらはちょっとハイカラさんお化粧も上手(笑)
C58、まだ思春期に入ったばかりのボーイッシュな少女
C59、背が高く、現代的な面立ちでモデルさんでもやってそう
C60、C59の妹でこちらも雑誌のグラビアモデル?
C61、アスリートの強靱な心臓を持ちながら、スラッとかっこいいスタイル
C62、セクシーダイナマイト(笑)アメリカンなナイスバディでハイパワー
C63、C58の妹で姉を超える才能を持つも人前にでることは無かった。
9600、でぶちょだけど頼りになるガキ大将
D50、日本男児を地でいく力持ちみなの頼れるお兄さん
D60、男ぶりは兄に負けないが下を気遣う優しい面が魅力
D51、誰もが知ってる人気者、力持ちなのに女性の仕事もそつなくこなす
D61、兄に隠れて目立ちはしないが思いやりがあるしっかりとした働き者
D52、貧しい時代の生まれでも日本一の力持ち、その迫力は伊達じゃない
D62、兄が行き届かない場所をフォローするなかなかの男ぶり(笑)
B20、みんなを和ませる可愛いベイビー(笑)
独断と偏見でお気に召さなければすいません・・・
一応その蒸機の素性を織り込んでみました。
C58は旅客寄りの設計と聞きましたので女性に
C56はまだお子様って事で性別は考えませんでした
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[No.2146] 兄弟追加? 投稿者:831列車 2002-05-14 (火)
23:23
慎様
楽しい家族ですね。以前他の板で考えた「SLオールスター」を思い出しました。で8620と9600以外で「ABC・・」の形式を付けた仲間が少しいましたので追加しましょう。
B10 B型とはいいながらかつては本線でも活躍した粋な叔母さん
B50 氏素性は立派なマダム
C13 他家から嫁入りして「C13」の形式を貰うも、それが重荷となったのか、わずか数日で離縁されてしまったお嬢さんタンク機
E10 図体はC62なみの末弟、馬力があって生まれてしばらくは後ろ向きに歩くくせ?があった。・・・なんてのはいかがでしょう。おっとC13とE10はタンク機でしたね。じゃあついでにC10〜12も考えましょうか。
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[No.2148] おもしろいっす(^0^) 投稿者:TADA
2002-05-15 (水) 00:04
<URL:
http://www.photoland-aris.com/kisya/>
慎さまの見立て、特にC54とD52がいいなぁ。(^0^)
9600はガキ大将ってより田舎の親父って感じです。
831列車さま
C13はお嬢様でなく、けっこうトウの立った出戻り、ってかんじでは?(^0^)
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[No.2151] ずんぐりむっくり 投稿者:慎 2002-05-15 (水)
00:26
<URL:
http://www.amigo.ne.jp/~purebrue/>
TADA様
ははは、たしかにキューロクはずんぐりむっくりで酒ばっかりかっくらってるオヤジの方がいいかも、でもやるときはやるって感じで(笑)
どなたか古典機とかを見立てるとか、動物に例えるとかも良いのでは?(笑)
そういえばクラシック音楽になぞらえた方も鉄道模型趣味誌上でお見かけしたような気もします。
でも僕は実はC58のボーイッシュな少女ってのが気に入ってたりして(爆)
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[No.2155] ベートーベンの交響曲 投稿者:TADA
2002-05-15 (水) 01:55
<URL:
http://www.photoland-aris.com/kisya/>
慎さまの書かれているクラッシク音楽に機関車をなぞられたもの、伊藤東作氏がC51からC59までをベートーベンの第1〜9の交響曲になぞられたエッセイ書かれています。
これがまたうまいことあてはまります。(^^)
第6「田園」=C56とか
第4(北欧神話の巨人第3英雄と第5運命のあいだにたつ可憐なギリシア乙女、といった表現もされる佳品)=C54とか
なんといっても最後のパシC59=第9ってのもはまりすぎ。(^^)
このエッセイ読んでから第5「運命」第4楽章聞くと大動輪が回る姿が目にうかんでしまいます。(^^;)
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[No.2159] ベートーベンとSLと 投稿者:831列車
2002-05-16 (木) 00:53
伊藤東作氏の名文は手近なところでは文庫本の『鉄道が好き!』という宮脇氏監修のエッセイ集に上記のタイトルで掲載されていますね。私もなるほど、と思いました。
TADA様
C13の件、ありがとうございました。確かに年齢からすればそうですね。ちなみにこのC13のプレートを付けた貴重な写真もやはり伊藤氏が撮影されているのには驚きです、一説には形式は付されたものの、プレートを付けて稼動したことはない、とも言われているほどのわずかな期間での「C13」の姿だったようですが、記念のためかもしれませんが後世に残る記録を残したあたり、さすが大御所だと思います。
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[No.2160] C13 投稿者:TADA 2002-05-16 (木)
02:23
<URL:
http://www.photoland-aris.com/kisya/>
片上のカマか、と思われているかもしれないので、一応解説を。(みなさんご存知かもしれませんが)
諸元表からの丸写しですが。(世界の鉄道1967年版)
C131〜3 芸備鉄道買収機関車7〜9に対し改番実施されたが、ただちに2920形2920〜2922に変更された。
2920 2920〜2924 1C1
製造 ボールドウィン・川崎・日車 1919年〜24年
関西鉄道「春日」→3030の系統の機関車だそうです。
実は私もC13に関してはこの諸元表でしか知りません。
伊藤東作氏がこのナンバーとつけた状態で撮影されていたとは知りませんでした。(@@)てっきり書類上だけのナンバーと思っていましたので。
掲載誌はなにでしょうか?
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[No.2161] 続・C13 投稿者:ペンタ 2002-05-16 (木)
05:42
日本車両年表に
>3.− 芸備鉄道向40t1C1形タンク蒸気機関車2両完成
とありますが、これのことですかね?
http://www.odn.ne.jp/sl/t14.html
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[No.2162] C13 投稿者:忠賢八高@管理人 2002-05-16
(木) 13:23
ペンタさんのをたどっていきますと1923年の1月に片上鉄道に1C140トンタンク機が導入されてますが、これと1925年3月の芸備鉄道への1C140トンタンク機とは別の形態してたんでしょうかね?。
TADAさんのでは2920〜2922の3両が芸備鉄道から買収とありますが、その下のは2920〜2924と1両増えてます。はて???片上の1両も加えて4両になったんでは???。場所も近いしサイズも同じだし・・。
831様のC13は芸備鉄道のことですね。私は片上のC13も元は何だったかしらんのですが、この1923年の40トン機が後の片上C13なんですか?あー、なんだかよくわからんなった?????。
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[No.2163] 続々C13 投稿者:TADA 2002-05-16 (木)
13:36
<URL:
http://www.photoland-aris.com/kisya/>
諸元表によると、運転整備重量 42.60t となっていますので、↓の機関車はそれと思われます。(写真はでてました〜?)
芸備鉄道が鉄道省に買収されたのは、一部買収が1933年(S8)全線買収が1937年(S12)。
2920の最終増備が1924年だとなると、新製後13年で買収されたわけで、そうなると「お嬢さん」かもしれませんね。
とはいうものの原型の3030は1894年製造なのですが。
蛇足、芸備鉄道買収車で現存するのが、加悦にいるキハ51です。
この車も新製後1年で買収されてしまいましたので、芸備時代の写真はもしあったら大変貴重なものです。
ネットというのはこういう調べ物に威力を発揮しますね〜。
芸備鉄道の買収年がちとはっきりしなかったので、「芸備鉄道 買収」でGoogleで探したら一発でした。(^^)
ちなみに「C13 2920」だと関係ないものばかり、、(当たり前か)
「C13 SL」「C13 機関車」でもヒットしたのは片上だけでした。
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[No.2164] 片上のC13 投稿者:TADA 2002-05-16 (木)
13:47
<URL:
http://www.photoland-aris.com/kisya/>
おっと書き込んでいたら八高さまから、、(^^;)
芸備→省のC13と片上のC13はまるで別物です。
2920は4両ですが、このうちの2920〜2922の3両が一時期C131〜C133を名乗っていたとのことです。
最後の2923がなぜ洩れたのでしょうね??
片上のC13は戦争中に海南島に送られる予定だった1Cテンダ機を改造したものです。この機関車はテンダ機時代は近鉄にいてC10000を名乗っていました。(そうか、形式10000ここにいた!この写真なんてないでしょうねぇ)
近鉄といっても大合併した時の近鉄で、主に現南海高野線にいました。
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[No.2165] 続片上C13 投稿者:TADA 2002-05-16 (木)
14:03
<URL:
http://www.photoland-aris.com/kisya/>
北総さんにありました〜。
http://hokuso.com/date/html-calendar-13.html
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[No.2166] よく考えたら 投稿者:忠賢八高@管理人
2002-05-16 (木) 14:19
2920−2924は5両ですね。これじゃ合わんわ!。
C13 芸備鉄道で検索したら、なんと我らが大家さまの緑板がヒットしました。昨年の6月に弊館にもお越しいただいたことのある長澤様が2920についてコメントされておられました。
片上のC13はそうでしたね。元テンダ機でした。ちゃんと調べないで書くとえらい間違えしちゃいますね。失礼しました。制式系SL以外はどうも苦手な門で・・。葛生の1080も元テンダ機でしたっけ?
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[No.2168] 再びC13 投稿者:831列車 2002-05-16 (木)
19:38
思わぬところからC13が話題となってしまいましたが、私の知る範囲のことを書いてみます。皆さんのおっしゃる通り、C13は芸備鉄道の引継車で当初3両ありました。具体的には下記のようです。
C13 1(→2920 大正9年(1920 米ボールドウィン製
C13 2(→2921)大正12年(1923)川崎造船兵庫製
C13 3(→2922) 同上
ペンタさんによる「日本車両製」の間違いではないかと思いましたが「
C13」を名乗ったのは上記の3両で、日車製は後の増備(取替?)用として2923〜4として製造されたのではないでしょうか?ただし芸備鉄道の配置表によれば2920形は常に3両のようでした。
形態はボールドウィンの特徴をよく表したもので、テンダ機の9200や8100にも相通ずるものがあります。特に「ボイラーブレース」(ボイラーからエンドビームに伸びた2本の棒)などが目立ちます。同型機はTADA様の書き込みの通り、関西鉄道(奈良鉄道引継)の「春日」形→3030形や、3250形、また九州鉄道(筑豊鉄道引継)の73形→3300形、同じく豊洲鉄道引継の167形(→3300形)などがあります。詳細は臼井茂信氏の「機関車の系譜図」などの方が詳しいと思います。
御指摘の「C13」のプレートを付けた写真は、鉄道ファン122号(71ー6)の「とうさくカマ談義」(機関車プロフィール4)に掲載されています。ちょっと写真が小さいのですが良く見ると2920ではなく「C131」のプレートを付けているように見えます。
一部不確かなものもありますので訂正などありましたらよろしくお願いします。(物苦労夢大学 考古学部)
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[No.2169] まだまだC13 投稿者:ペンタ 2002-05-16 (木)
20:27
一連の話のC13とは別物扱い?ですが片上のC13形式がありました。
これも立派なC13形式?(笑
北総さんからたどりました(^^ゞ
直リンすまそ。
http://www.win.ne.jp/~nakamoto/old.html
C11と似て、似てない風貌ですね。
私鉄蒸機は、おりじなりてぃあふれるものが多いので面白いですね。
C13−51もテンダ機からの改造なんですかね?
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[No.2171] ありがとうございます 投稿者:田駄雄作
2002-05-16 (木) 21:21
<URL:
http://tadayusaku.2.hotspace.jp/>
ところで片上の方のC13ですけど、C13-51の写真がありますので(私の撮影ではありませんが。先日の梅オフ参加の方々にはご覧頂いてます)ご覧下さい。
http://tadayusaku.2.hotspace.jp/zanei4.html
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[No.2173] 片上鉄道のC13 関西本線のD51 投稿者:吉野富雄
2002-05-16 (木) 21:23
<URL:
http://homepage2.nifty.com/SAKU1967/index.htm>
こんばんは。
今話題のC13ですが、「蒸気機関車」1979年3月号に紹介記事がありました。
「石原産業発注の1Cテンダー機(昭和19年日車製)が、戦後(近鉄→)南海高野線でC10002,3として働いていたのを昭和24年に汽車会社で1C2タンク機に改造したもので、一見C11風の出で立ちだが、ランボード下部が覆われていて、晩年はデフが撤去されてしまった。(中略)昭和41年5月に廃車となった。」とのことです。「蒸気機関車」でのC13-50の写真はデフなしですが、ペンタ様ご紹介のページの画像では、デフつきになっていますね。
ところで、写真を見ますとC13の動輪径はC12よりも小さいように見えます。1250mmくらいでしょうか?
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[No.2174] そうですか? 投稿者:ペンタ 2002-05-16 (木)
21:31
私の直感では、C11のボディにC12の足回り、といった印象を受けました。(笑
諸元表が見たいですねぇ〜ハハハ(超爆
それより、シリンダボックスが異常に小さく感じるのが気になりました。
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[No.2175] C13? 投稿者:燕号 2002-05-16 (木)
22:06
こんばんわ、燕号です。
お話をお聞きしているとC13は、芸備鉄道買収と石原産業改造の2種類のC13が存在している訳ですね。で、片上のC13は50番代を名乗った訳なのでしょうかね。
芸備鉄道買収のC13は諸元表から動輪直径1、120mmとなっています(世界の鉄道 別冊蒸気機関車100年より)。又、備考には”3030系”となっていました。50番代は私鉄蒸機なので記載が有りません。
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[No.2176] 物苦労夢大学 記録部より 投稿者:TADA
2002-05-17 (金) 01:05
<URL:
http://www.photoland-aris.com/kisya/>
C13、大家さんの緑板の長澤さまの書き込み、簡潔にまとめられていますね。2920の両数については私もミスして失礼しました。
片上のC13の諸元表探してみます。
たしかピクの「私鉄車両めぐり」にあったような、、、
ついでにファン71年6月号も探さなくては。(^^)
葛生の1080は元は由緒正しきネルソン6200と同系のダブス6270。
「粋な叔母さん」B10は元「ピーテン」5500のそれぞれテンダ→タンク機改造です。
小湊のB104と東武博物館の2両は兄弟機、ってことです。
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[No.2177] 知らなかった 投稿者:isobe201
2002-05-17 (金) 01:58
C13イコール片上鉄道と思ってました。鉄道ファン122号は我が家では一番見やすい所においてあるのに、こんな記事気付きませんでした。
芸備鉄道の引継車のほうが、「省」のC13という意味では本家かもしれませんが、やはり片上のC13のほうが「らしく」見えるのではないでしょうか?
それにしても片上は戦前からC12を2台も入手し、戦後も新製でC11を3台、C13を改造で2台も手に入れるとは、すごい会社ですね。
あの島原鉄道がC12を5台戦後に入手するときの苦労は「盲人重役」(城山三郎)に出ています。
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[No.2179] 投稿者:忠賢八高@管理人 2002-05-17 (金)
19:44
どもこんばんわ。嫌ですね、雨降りは・・。ここのところC13という超マイナーなかまの話題が沸騰しております。21世紀にC13の話題で盛り上がっているのは少なくともこの板だけでしょうね。こういうレアなところが管理人冥利に尽きます。さてと、
831列車様,ペンタ様、田駄様、吉野様、燕号様、TADA様、isobe201様
C13系の話題を有難うございます。やっとわたしも片上のC13と2920からのC13との違いがわかってきました。経緯からすると2920の方が本家なんでしょうが片上の方が知名度ははるかに高いんで、ややこしくなったみたいですね。ペンタさん、田駄さんから片上のC13の画像の案内がありましたんで、ご存知ないかたも再度ご覧下さい。私も片上のSLは遠かったせいで縁がなく、ナンバーにハイフンが入っていることくらいの知識しかありませんでしたが、もうちょっと遅くまで残っていたら、きっともっと有名になったんでしょうね。特にこのC13は・・。2920の方はボールドウイン製のと川崎製のと日車製と・・・。またまたわかんなくなりました。機関車の系譜図のどの号でしょうか?。
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[No.2182] 参考画像です 投稿者:TADA 2002-05-17 (金)
23:23
<URL:
http://www.photoland-aris.com/kisya/>
ピクの車両めぐりの片上、見つかりませんでした。(TT)F誌122号も、、、(121と123はあるのに、、、)
で他の資料さがしてところ、簡単な形式図が「鉄道車輌401集」に掲載されていました。これによると動輪直径1250mmです。
2920は見つかりませんでしたが、3030はありました。
831列車様書かれているように典型的な好ましいボールドウインスタイルですね。
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[No.2183] C13(片)補遺 投稿者:831列車
2002-05-17 (金) 23:25
片上鉄道のC13の引退は昭和41年(1966)のことで、5月11日にはお別れ運転も行われたそうです。当時の地方私鉄としては珍しいことですが、それだけファンの注目もあったのでしょう。なお編成は先頭がC12ー202でその後にC13ー50+C13ー51の3重連でした。(+貨車1両)余談ですが、この先頭のC12ー202は昭和12年、日車製で最初の私鉄向けC12であり、実は最初の購入者はあの大井川鉄道なのでした。(形式C12でナンバーは121号)今の大井川の本来の蒸機運転の元祖というものなのでした。
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[No.2185] 投稿者:忠賢八高@管理人 2002-05-18 (土)
00:43
831列車様
昭和41年にそんなのが走ったんですか!。3重連ねー。C11が入っていないタンク機の3重連などはこれが最初で最後でしょうね。
C12−202、な、なんと・・・大井川のカマだったんですか!。その大鉄で今もC12が走っているとは・・・。秩父のED38の一両がその昔、大井川にいたこともあまり知られていませんが、これなども是非復活ELとして大鉄で運転させてほしいですね。
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[No.2186] 私鉄のC12 投稿者:isobe201
2002-05-18 (土) 00:58
C12は小型機ではありますが、昭和10〜20年頃の地方私鉄では鉄道の創生期に輸入された非力で小型の古典機が現役だったため、非常に理想的な機関車だったようです。しかし戦時中は戦時統制で台数を制限され、抽選による割当て方式であり、戦後は新車購入代金の半分を予約金として払い込み、業界団体に「調整」をつけてもらわないと入手できない、非常に貴重なものでした。
だから、C12型式を持っている事は、大いなる「宣伝」効果があったらしく、南薩鉄道などを除き改番してまでもC1201〜06(島原鉄道:04は欠番)C12−201、202(片上)としたそうです。
なお、島原のC1205は私鉄唯一のお召し牽引蒸機としても有名ですね。
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[No.2195] B104のこと 投稿者:831列車
2002-05-19 (日) 01:01
小湊のB104のプレートがなぜ形式入りのままで今も残っているのか、という話は以前書きました(多分、ということで)が、TADA様の書かれているように、彼女は元ピーテンの英国淑女でありました。一894年、英国ベイヤー・ピーコック社製で日本鉄道94号を経て省5500形5507号となりました。その後テンダーからタンク機への改造をうけてB10形4号となったのですが、氏素性からすると東武鉄道5・6は1898年の同社製で少し下の妹になります。ただしこの妹たちは5500形とは同形ながら東武の自社発注であり、いってみれば異母姉妹ということになりますね。B104にもっとも近い現存の姉妹(兄弟)となると青梅にいる5540号(1897同社製)がおります。
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[No.2196] 自社発注省形機 投稿者:TADA 2002-05-19
(日) 01:26
<URL:
http://www.photoland-aris.com/kisya/>
東武5・6は自社発注機でしたか。(^^;)
それにしても5500はよく残ってますね、東武が愛用していた、という点が大きいのでしょうが。同系のシャープスチュワート5560も合わせれば7〜8輌くらいいる?(すみません、資料が手元にない^^;)
それにくらべネルソンーダブスの6200系は改造されて葛生に残るだけ???
私鉄の自社発注省形機、というと大夕張の9600、三井芦別のC58(C58は他にもいましたよね?)雄別のC56・1001、胆振縦貫のD51(後に国鉄に編入)片上・東武・江若などのC11、そしてisobe201さまが書かれているC12、とこんなところでしょうか?
たしかに私鉄のC12は多いですね、定山渓にもいましたよね、常総筑波の飽和式とかも。
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[No.2200] まだまだ続くC5866 投稿者:penta
2002-05-19 (日) 11:13
<URL:
http://www.photoland-aris.com/penta/board/>
私鉄自社発注機ですが美唄の4110は払い下げ機と自社発注の二通りの機があったと思います。
鹿児島交通12号もC12タイプで自社発注だったと思います(たぶん
北海道拓殖鉄道8622は自社発注??
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[No.2205] 慎さまの入学記念? 投稿者:isobe201
2002-05-19 (日) 15:44
私鉄の自社発注機はC58にもあって、天塩炭鉱鉄道、三井芦別炭鉱に各2台、実は私のC58のお気に入りは、このうち三井のC58−1、C58−2なのでした。
給水暖め機なしの戦後型スタイル(昭和24年製)。見た目は、C59を小型にしたC574次型をさらに小型にした形態で、これをC58と称するのはいささか気が引けたので、あえて例の投票には加えませんでしたが…。
C58−2は旭川で保存されているということで、いつかは見に行きたいと思っています。
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[No.2207] C10000 投稿者:田駄雄作 2002-05-19 (日)
18:45
<URL:
http://tadayusaku.2.hotspace.jp/>
花菱烈火さんのサイトの掲示板に、南海C10000の写真がアップされていました。南海社史からのようです。
http://hpcgi1.nifty.com/Ferrari/bbs04/joyful.cgi
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[No.2208] まだまだ続くC58 投稿者:penta
2002-05-19 (日) 18:58
<URL:
http://www.photoland-aris.com/penta/board/>
給水温め器のないC58とやらを探してみました。
http://www.ne.jp/asahi/ryoma/create/hozon/takasago/takasago.html
暗くてようわからんですね。
他は見当たりませんデチタ(>_<)
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[No.2210] C58は無かったけど 投稿者:penta
2002-05-19 (日) 21:31
<URL:
http://www.photoland-aris.com/penta/board/>
http://club.pep.ne.jp/~shuparo/c1101.htm
こんなん発見しました。
これも自社発注のC11タイプですね。
ドームが四角と丸と。。。(@_@;
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[No.2213] なにがなにやら 投稿者:田駄雄作 2002-05-19
(日) 22:40
<URL:
http://tadayusaku.2.hotspace.jp/>
いろいろなお話が飛び交い、頭の中がこんがらがってしまいます。
どなたか交通整理をお願いします。と言いながらその中に飛び込んでしまいます。
pentaさんの大夕張C1101は草津給炭水場のお気に入りC11にアップされています。
天塩炭坑鉄道のC58は↓にありました。
http://www2.plala.or.jp/railphoto/rumoi.htm
片上のC13お別れ運転は、無火のC13、2両をC12が牽引したということのようです。
その前にC11+C12+C13の三重連があったような気がします。
自社発注のC12では土佐電鉄発注のC12001を北海道の尺別鉄道で撮ったことがあります。
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[No.2214] お久しぶりです 投稿者:長澤 壯之
2002-05-19 (日) 22:49
皆様
お久しぶりです。長澤です。
娘が生まれて慌しく時間が過ぎております。なんとか ROM はしておりましたが、書き込みからはすっかり遠ざかってしまいました。にもかかわらず、数日前に私の名前が出てきてビックリしました。憶えてくださったことに感謝感激です。
C13のこと、緑の掲示板に確かに書き込みました。しかし、読み直してみましたら、形式改称で8800→C52ととんでもないミスをやらかしておりました。もちろん8200→C52の誤りです。本来なら緑の掲示板に訂正の書き込みをすべきでしょうが、一年近く前のものに何をいまさらと言う感じですので、本掲示板にて訂正させていただきます。
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[No.2217] C13 投稿者:TADA 2002-05-20 (月)
01:35
<URL:
http://www.photoland-aris.com/kisya/>
省のほうのやつ、「世界の鉄道別冊 蒸気機関車100年」に写真ありました。
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[No.2219] うわーーー! 投稿者:忠賢八高@管理人
2002-05-20 (月) 13:59
C13からはじまってC5866の話題などかーなり盛り上がってますね。あいかわらずマイナーネタで盛り上がっているのじゃないとこがウチのいいとこなんですが・・。今時C13や私鉄のC58などで盛り上がってるとこないですよね。あー嬉しい!。
さすがにこれだけたまっちゃうと1つずつレスできませんのでご容赦の程を
isobe201様
島原のC12、ここの変わったとこは05など0が入った番号でしたよね。お召しの牽引もしたことのあるカマとなるとアップしたいっすね。05はあったかな?。
ペンタさん
ペンタさんもいろんなとこから探してきますね。尺別のC11、三井芦別のC58に天塩のC58(これは違ったかな田駄さんかな)・・・でもあるもんですね。
831列車様
B104=5507≧5540 東武5号はちと違うということですね。B6とか明治のカマはどうもよくわからんとです。でもB104=5507≧5540 は初めて知りました。
TADA様
この中で手が出るのは大夕張と東武のC11と常総の飽和式かな?東武のC112は佐々木さんのお気に入りのC11にアップしてますよ。
田駄様
C10000の写真出てきちゃいましたね。あるとこにはあるもんだー。三井芦別のと別に天塩のもいましたね。
長澤様
まずはおめでとうございます。ウチで話題になるずっと前にコメントを述べられておられるのにビックリしました。ほんとに皆さんよくご存知でいらっしゃる。
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[No.2225] 宿題の答え 投稿者:831列車 2002-05-20 (月)
21:34
TADA様の書き込み(2196)の答え?です。
5652(東武37)、5654(東武39)、5655(東武40)以上が1898年英国シャープ・スチュアート製
東武5・6(1898)ベイヤーピーコック製、東武30・34(同じく1914製)これに小湊のB104と青梅の5540を合わせて計9両ではないでしょうか。
おまけ C13とB10のところで出て来た話題で、よく考えてみたらB10の隣に鎮座している小湊の2両も1-C-1の米ボールドウィン製、C13より4年遅れて生まれた遠い親戚なのでした。そう、よく似ているスタイルです。 続けての書き込み失礼しました。
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[No.2227] 板巡回中ですが、、、 投稿者:penta
2002-05-20 (月) 22:46
<URL:
http://www.photoland-aris.com/penta/board/>
とりあえず簡単に報告。
明日発売のレイルマガジンを某フライング発売店で入手。
これにも天塩のC58タイプ1号の写真がデカデカ堂々と載っておりました。
で、C58タイプという認識を持って見たご感想は
「え〜〜〜〜〜〜〜??」でした(謎
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[No.2230] で、なんでC13?! 投稿者:燕号
2002-05-21 (火) 00:26
こんばんわ、燕号です。
C13の流れは、どうにか理解出来ました。只、何故2920がC13と改番(呼称)されたのか疑問なのです。これって俗に言われる局旧形式名称(A8とかB6等の類)なのでしょうか? それにしても、たった3両だけなんでC13なのでしょう?
C13と聞くと国鉄制式形式を思い浮かべてしまうので、その延長線上で片上のC13を思い浮かべる方が多かったのでしょうね。C13をご存知だった831列車様も凄いけれど、それに反応された方々も凄いですね。省のC13は勿論、片上のC13も記事、全然記憶に残っておらず、「蒸機」誌や「世界の鉄道」に掲載されていた事も今回見直して、判った次第です。
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[No.2234] 車番のつけ方 投稿者:忠賢八高@管理人
2002-05-21 (火) 13:27
燕号様のコメントからふと思いついたことを並べ立ててみました。
私鉄は過去に存在した車番の復活がよくあります。最近の例では小田急のSE車の3000が一般車に、東急のアオガエルこと5000がやはり新5000系に、いずれも電車ですがやはり番号のインフレ化が進み止む無く再度同じ番号をつけることになったのでしょう。しかし一方、よほど昔に懲りたのか、JRでは形式の3桁化が進み同じ番号を付けるということは殆どありません。同じことが明治のSLにも存在した訳で、その結果として8620などという極めて不可解な形式が出て来てしまったことにより、C型などの形式分類が生じたのでしょう。旧国鉄の戦前の電車にしても一目瞭然の車番はありませんし、モハ63000やキハ45000などのようにそれが移行されても形式と車番が一緒の番号ですとこれまた複雑になり形式ハイフン番号のパターンが出来上がってきたわけですから長い歴史の中で付け方に失敗した経験からも新たなる形式3桁ー車番が定着したのでしょう。ま、これすらも大分わからなくなってきましたが・・。
しかし、よりによって2920と言う少数派が名誉あるC13をどうして与えられたんでしょうか。これをするなら2120などを整理した方がずっと効果的であったような気がします。2120=B111なんてどうでしょうかね。それともB16ですかね。マレー式のカマなどはF10なんてのになったんでしょうか。何かぴんと来ませんね。
C10、C50が出来た時代はまだまだ明治の種々雑多の形式が存在したため、もし番号を振るならばあっという間に2桁では終わってしまいそうですが、そうしたことからもあえて昔番号の改番はC51、C52、D50など当時の主流のカマだけに与えられた栄誉であったのではないでしょうか。つまり未来を担う形式だったからこそC型、D型というハイカラ番号になれたのでしょう。つまりC13こと2920もその一員であった?。将来の支線を担うべく構想があった・・・?わけないですね。でもちょっと気になることが。ボールドウインと国産型が存在したということはそれなりに国内でもいい評価を得ていたのではないでしょうか。つまり大量増備の予定もない訳ではなかった・・・なんてのはどうでしょう。しかしいかんせん力不足、支線ですらももっと力のあるカマに移行せざるを得なかった・・・。と言う推論をしてみました。
ちょっと話は異なりますが買収電機では例えばED27もいくつかの違ったものが存在しました。初代ED27は宇部鉄道(でしたっけ?)のED271と272がおり、これに対し南武鉄道からの皆さんご存知のED27(II)がその後に付けられました。ですからこれはED2710番台として11号からが存在したはずです。ED30も同じように買収電機のものとEF553から改造された交直両用(何か懐かしい響きですね)のED301がおり、これなどは同時に存在しなかったためか同じ番号が振られた珍しい例ですね。
性能も異なる買収機の整理を行なうことは至難の技であったと容易に想像できます。戦前に国有化したものの戦争をはさんだため、新たなる代換機もままならず、戦後の混乱期までその多くが生き残りました。電車のようにトレーラーで使えるものではそれなりに形式統一は可能でしょうけれど、性能の異なる電機ではそれらを区分するために別形式番号を付けざるを得なかったのではないでしょうか。ED型でもED10からED38まで存在しましたがつまり29形式ですね。その殆どが各形式5両以下ということからも同じように扱うことはできなかったはずです。この中で本線筋で比較的晩年まで残っていたものはというと、ED14、16、17、18、19、これらはもともと国鉄所有ですね。ED20より上では21(大糸線でED27の類似型ですね)、26(II)、27(II)程度でしょうか。1両だけのものではさっさと私鉄に売却してますのでやはり形式を起こすということは蒸気では今後の使用目的があったものであり、電機では統一化を図ったものであるという附番の原点がおおきく異なるような気がします。
どうみてもC13、存在は小さかったのですがやはりこの辺りから考えると壮大な計画がどこかに存在したのではないでしょうか。
お昼休みのとりとめもない感想ですので、記憶だけで書いていますんで色々間違えがありますと思いますがどうかご容赦を・・・・・。
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[No.2235] たぶんC13 投稿者:831列車 2002-05-21
(火) 21:38
なぜC13が付けられたか?私の推測です。
昭和の形式称号改正(昭和3年 1928)の後に新製された省形タンク機は5〜7年のC10〜12までなく、またこの間の私鉄買収による編入機もありませんでした。そして8年の芸備鉄道が改正後初の買収となり、その際に編入があったわけです。(管理人様の「2920がC13になった」のではなく、まず買収時の形式・E形7号・F形8〜9号がC13の形式を貰ったということです)この間の例がなかったことと過渡期の処置としてC12の続番として「C13」が用意され、まさに運用開始寸前に「早晩整理され消滅する買収機には新称号規程を摘要しない」こととなり、慌てて2920という半端な形式が付けられたのでしょう。当時タンク機で1-C-1軸配置の形式は2900が2916まで、2930が2931まであり、その後は3700まで埋まっていました。そこで3〜5両しかなくもう増備もないであろうこの機関車たちは2920〜2924になってしまったのです。
ちなみに芸備から1ヶ月遅れて国有化された阿波鉄道にも編入機がありましたが、一部を除いて軽便タイプだったのと、C13〜2920の前例が出来上がってしまったためこちらは初めから新形式は貰えませんでした。またB10・B50についてはもともと省形式のものからの改造ということで再度の変更はなかったのでしょう。新規程によるそれぞれタンク機・テンダ機の最初の形式を貰ったものの、結局その後に続いたのは他の意味で付けられたB20だけだったのも軸配置Bの機関車の終末だったのかもしれません。
*C13についての記事は「蒸気機関車」40号(75ー11)のものを参考にいたしました。
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[No.2236] 阿波鉄道買収機 投稿者:TADA 2002-05-21
(火) 22:50
<URL:
http://www.photoland-aris.com/kisya/>
これにはア2〜7という形式を与えられました。
買収機はとりあえず編入はしたものの、すぐに整理されていますね。
C13も大陸に送られてしまったとは、地方の旧家から嫁いだもののすぐに暇を出されて泣く泣く外地へ流れていった、というところでしょうか。
阿波鉄道買収機の1両ア4は鷹取工場教習車という数奇な運命をたどり、現在京都トロッコ嵯峨駅前に保存されています。
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[No.2237] なるほど、C13. 投稿者:燕号 2002-05-22
(水) 00:20
こんばんわ、燕号です。
<831列車様
レス、ありがとうございます。多分、831列車様の推測とおりでしょうね。該当の「蒸気機関車」誌読んでみました。C13に関しての記載が有ったなんて全く記憶に有りませんでした。
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