私の通っていた高校は日暮里と鶯谷の間と鉄にとって応えられない場所にありました。
当時の撮りためたスナップをUPしてゆく予定です。
第1回 常磐線451系
日暮里を出て京成のガード下を北に向かう451系急行。
3両目のサロに60Hz表示帯が見えます。
望遠レンズを手にして最初に撮ったヒトコマです。
1973年7月22日
第2回 EF57
当時の東北本線のスターといえばEF57。
EF58に後を譲り引退間近のころです。
このころは58も悪役でした。
EF57の1号機から15号機まではこちら。
1975年10月11日 122レ EF575
第3回 181系「とき」
電気機関車のスターがEF57ならば電車のスターは181系。
183,189系に置き換えは始まっていましたが、とき、あさまで活躍中でした。
この写真は谷中墓地から、ヤブ蚊に喰われながらの撮影でした。
なにかの残りでネオパンF入れていたので、しょうがなく流した一枚。
1975年8月20日 2019M とき10号
181系を追いやった183系1000番台、ピカピカのころです。
今や183,189系も引退が迫り、とき、あさまも
リバイバルトレインが走る時代になりました。
1975年10月3日 2012M とき6号
第4回 183系「とき」
まだまだ上野口にも「出羽」「いいで」「おが」などDC急行が出入りしていました。
「ときわ」も併結の「奥久慈」につきあって2往復のDCがありました。
水戸寄りの2両が「奥久慈」でしょうか?これだけ非冷房です。
1974年9月14日 1414D ときわ5号+奥久慈2号
第5回 キハ28 「ときわ+奥久慈」
山手線、京浜東北線ATC化のため、高窓冷房付クハ103が登場しました。
編成全部が置き換えられたわけではなく、両端のTc+M+M’ユニットだけ冷房車や
クハだけ冷房車でも電源がないため非冷房、という編成もありました。
ATC車の前に入ったシールドビーム2灯のクハは短期間で転属してしまい、
私も1枚しか撮っていません。
1973年12月5日 山手線 103系
第6回 山手線 103系
1974年9月14日 1414D「ときわ5号+奥久慈2号」
今回はちょっとエリアをはずれて西日暮里駅前から尾久に向う道路からの一枚。
もともと「日光号」としてデビューした157系も、
姿を見せるのは季節運転の「白根」だけになっていました。
しかしこんな場所で撮れたんだなぁ。(少々トリミングしています。)
157系「白根」最終日はこちら。
1973年7月22日 西日暮里 8033M 白根1号
第7回 157系「白根」
今回はゲスト155系です。すでに「ひので」の運用はなくなっていましたが、
ときおり東北、高崎方面にも顔を出していました。
方向幕にはちゃんと「修学旅行」と入っていますが、拡大しても読み取れませんでした。
1974年9月14日 155系 修学旅行臨電
第8回 155系 修学旅行臨
前回に引き続きカラーでないのが残念なのですが、北ウラのスカイブルー101系です。
103系との見分け方は、前面だったら窓の大きさ(101系の方が横が狭く縦が長い、
このため101系の方が優しい顔立ちに思えるのは私だけでしょうか?)
ジャンパ線の本数(101系2本、103系1本)103系の連結器上の
空気取り入れ口(このころには塞がれているとこも多かった)
といったところでしょうか。
第9回 京浜東北線 101系
1976年6月27日 京浜東北線 101系
東北本線の普通列車125レ、124レ(後に荷48レ)はたびたび回送で重連になりました。
57ねらいにとっては頭にくっついてきた58は、邪魔者以外の何者でもありませんでした。
はじっこに写っている京浜東北南行にもよくカブられて泣かされました。
1974年9月7日 125レ EF5858+EF573
第10回 EF58+EF57
第1回〜10回