実は今回のオフ会で私的に一番感激したのが、皆様がここで話題にされている史実として残したい事柄とかもそうなんですが、チョット不謹慎でスミマセン!何を隠そう、私が大好きだった「大塚車庫一番の飛ばし屋」S運転士の話題です。
おすしさんがBBSで述べておられる通り、それぞれの運転士さんにも個性があって、ヤケにノロイ人、ヤケに飛ばす人がいましたが、私の都電通学での一番の楽しみは何と言っても飛ばす運転士さんに当たる事でした。
とにかく大塚車庫ではS運転士が一番飛ばしました。だから、16番が廃止になって33年も経っているのに未だにハッキリとお名前を憶えているんです。
あの人の運転はズバ抜けて速くて、ギリギリまで空転させながら加速して行って、ブレーキはもう止まれそうも無いないんじゃないの?って思える位置から目一杯かけるんです。
だからブレーカーもパンパン飛ばすし、オーバーランも良くやりましたけど、都電小僧として乗っててあんなに面白く楽しい事はありません。殆ど交差点ドラッグレースみたいな感じで、元々速い8000なんかだと怖いくらいでした。
今回オフ会においで頂いた「長老」のHさんは元指導運転士で、何と若いS運転士の指導もされて、しかも同じ組だったと仰るのです。
「あいつは、あいつなんていっちゃいけないな!そーゆー奴でしたよ!」と懐かしそうに話されて、私は涙が出る程感激しました。
当時、私は本郷三丁目や大塚車庫前で16番を待っていてキライな
3000が来ると遅刻しそうな時以外はパスしましたが、運転台にSさんの顔を見ると「あ!」と思わず声をあげて絶対に乗りました。
あの人は制帽のかぶり方も独特で、落ちそうなくらい浅く頭の後ろのほうにかぶっていてツバが極端に上を向いているので遠くからでもすぐにわかったんです。荒井注に似てました。
でもノロい3000を運転するSさんは如何にもかったるそうでイライラしているのが分かって面白かったです。
また、飛ばすので当然すぐに前の電車に追いついちゃうんですが、そうなるとわざと信号をやり過ごして間隔を空けて、また飛ばすという感じでした。
HさんはSさんとも連絡を取ってみると約束して下さいました。
次回以降のオフ会で「感激の御対面」が是非実現して欲しいです。
誰でも人生を振返ってみて「最高に楽しかった瞬間」と言うのは、当然それぞれに全く違うシチュエーションで何回かあって、時々思い出しては「あの時は楽しかった」なんて感慨にふけりますよね。美人と巧くいった時とか、作った模型がバッチリ出来た時とか・・・
都電小僧だった私の場合、小学校高学年から中1までの人生を楽しくしてくれた瞬間の幾つかのシーンは、S運転士の運転するカッ飛ばしている16番の電車と共にあります。全く大袈裟ではありません。
大体それは自動車がすいている学校から帰る時か、日曜祝日でした。通学で使うのは大塚車庫、本郷三丁目間でしたが、あの区間は坂とカーブの連続で、いくら速く運転しても、最高速度ギリギリに出せる個所は余りありませんでした。
あの区間で一番スピードが出せたのは、小石川四丁目を出て廃止された清水谷停留所の左急カーブを抜けたところからの茗荷谷までの長い直線で、殆どの運転士さんはその清水谷の急カーブでスピードを落とすんです。
その急カーブでは流石に乗客が多い時はS運転士も減速しますけど、乗客が少ない時は減速もしないで遠心力で電車が倒れるギリギリのスピードでそのカーブをまわって、カーブの途中から既にフルノッチに入れちゃうんです。
つまりあの直線でどれくらいスピードが出せるかは、あの急カーブをいかに速く通過するかに掛っているわけですね。
大塚には3000、7000、8000がありましたが、普通に走っていても車種で乗り心地や挙動が全然違うし、ましてあそこまで限界で走らせると、それぞれの型の「悲鳴の上げ方」がみれて笑っちゃうくらい面白かったです。
フツーの3000は頑張って35キロくらいでした。モーターは「にょごにょごにょご」といった旧型国電のコンプを早回しにしたような、いかにも非力で頼りない、しかも、もうコレ以上はダメ!という感じの音を立てました。
あ、そうそう、どーゆー訳か、あの急カーブの真ん中辺りのレールの継ぎ目が出っ張っていて、速く走ると3000だけ「ドダン、ドダン、」と真ん中2軸のツリカケ式モーターが飛び跳ねる物凄い音がしました。
3000でもフツーでなかったのが3238からの新製D−16付きのやつで、体感スピードは7000より速かったですよ。
色んな資料で見る数字上ではそんなに違う筈無いんですけど、あの車はとにかく速かったですよ。もっとも生まれがPCCと同期ですからね。
これは何度も書いたんですが、昭和45年のある夏休みの暑い日曜の朝、乗客は私とあと一人、道路はすいていて、おっ!これぞベストな条件だぞと直感した私でしたが、次の瞬間、ま、まさかS運転士はこの急カーブ手前でフルノッチに入れたんです。私はい、いくらなんでも!とアセリましたよ。完全にぶっ倒れるか外側に飛び出すと思いましたよ。3238は空転しながら、もう限界だァという感じに遠心力と戦っているように細かく横揺れしてました。更にそのまま加速しながら直線に入った途端、S運転士はフルノッチ状態のコントローラーから手を離して右真横の運転台窓を降ろし始めたんです。ずっとフルノッチですからどんどん加速していくのに前も見ないで運転台窓の高さ調整をやってるんです。3238はD−16独特の横揺れをしながらカッ飛んでました。
私はエキサイトしちゃいましたよ。それにヤバいけど、こりゃ後にも先にもこれっきりの経験だな、みたいな気持ちが混じってましたね。
そしてS運転士は窓の調整が終わると運転台後ろにしがみついている私に向かって「暑いね!」と言ったんです。「はい!」目が合いました。
前を見ていた私は興奮しながらも茗荷谷の停留所がどんどん近付いてくるのを見ている訳ですから、これってひょっとして止まれないんじゃないの?と心配になってきてたんです。50キロ位は出てたと思います。
で、「暑いね!」の後、S運転士はコントローラーを「ジャッ!」と一瞬でオフにするのと同時にブレーキハンドルを一気に目一杯廻しました。チラッと見た圧力計の黒針と赤針も目一杯重なってました。
私は経験値から、やべえ、やべえ、やっぱり止まんないぞ!と思いました。私は電気ブレーキ!電気ブレーキ!と心の中で呟いていました。と、同時にS運転士はコントローラーを「ガラッ!」っと逆回転させて電気ブレーキをかけました。「ウォーン!」という電気ブレーキの音がしてブレーキが強くなりました。もう、非常ブレーキ状態ですね。おいおいおいおい!と、茗荷谷停留所のダルマを通り過ぎました。結局安全地帯を1メートル半くらいオーバーランして止まりました。鉄の焼ける臭いがしました。
今、あそこの直線を車で通ると信号が幾つも出来ちゃって、その上いつも混んでます。しかし46歳の今になってもあの時のエキサイティングな経験は忘れません。
時間にすれば1分てとこですかね?
考えてみれば都電で速いなんて言ったってせいぜい50キロですから他人から見れば馬鹿みたいですよね。でも、あの時はずっと後になってナナハンで中央道で180キロ出した時よりエキサイトしましたよ。
都電小僧最良の日ってとこですかね。
出来れば是非オフ会で鈴木豊さんにお会いしたいです。
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