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当サイト「汽車・電車1971〜」主宰のTADA氏が、2025年9月23日に逝去されました。 ここに謹んでご通知申し上げます。 当面の間、掲示板 への書き込みをできるようにいたしますので、 保存車活動に特に熱心だった氏へ、皆様からお言葉等お寄せいただければ幸いです。 |
北への旅
1978・8 鈍行日本縦断
4日目〜5日目
当時の最長鈍行の824レだが、各駅停車ではなく通過駅が4つあった。
いずれも気動車のみ停車の停留所で北海道ならば臨時乗降場クラスの駅だ。
気になっていたのがそのうちの「久代」駅。
以前狩勝の座席指定を取った時「(ネム)クシロ」となっていた。
クシロという駅がどこか他にもあるのだ、とは気が付いたもののどこにあるか見当もつかなかった。

そのクシロ駅の駅名板を通過する車窓から。つい ひさよ と読んでしまいそうだ。
となりは波子(はし)で女性の名前のような駅が続いていた。

こちらが波子駅、くしろ とひらがなで書かれていると釧路と思ってしまう。

門司から8時間37分で出雲市に到着。824レの終点福知山着は9時間50分後だ。
さすがにそれには付き合う気にはなれず、19:09発の826レ「山陰」の時間まで
一畑電鉄と大社線に乗車した。

一畑電鉄の電鉄出雲市駅より、6D「まつかぜ2号」

堂々たる大社駅駅舎。大社線廃止後も保存されている。

この写真に写っている駅前商店は2003年再訪した際にすでになくなっていた。



出雲市駅で当日購入した「山陰」のB寝台券。
中段だったので弁当を食べるのにえらく苦労した記憶がある。
8月16日
826レ
京都 5:25
6:09 725M
大阪 6:45

この日の日本縦断コースは大阪で終わっている。
京都から大阪までは緩行線に乗ったのかもしれないが、
時刻表に掲載されていないのでいまとなっては不明だ。
この後福知山線の6:48発423Dで川西池田へ行き
尼崎港線の列車を撮影後能勢電鉄を訪問して、尼崎の友人宅へ転がり込んだ。