モノクロームの残影談話室より
重油専燃機C59127
忠賢八高様主宰のサイト「モノクロームの残影」(現在休止中)談話室に書き込みされた
重油専燃機C59127に関する記事を編集しました。
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[No.3219] もうひとつ 投稿者:isobe201 2002-11-06 (水) 22:22
<URL:
http://homepage3.nifty.com/isobe201/index.html>
あまり、新刊書の抜粋を記すると、営業妨害になってしまうかな?と思いつつも、このくらいなら立ち読みでも分かってしまう事なので、宣伝になると思ってもうひとつ「追憶の蒸気機関車」の大変驚いた記事を抜粋します。
蒸気機関車の性能向上には各種のテストが行われたのは、周知の通りですが、そのひとつに、C59127に重油専燃装置を取り付けたことも有名でしょう。しかし私の調査不足か、「東海道・山陽線でテストされ、電化後は盛岡区に転属し奥中山の補機仕業を予定したが、余り使用されなかった」という表現が殆どだったように思います。最も詳細に記したものでも、「鉄道ファンNo113」の大阪−米原間の北陸線直通を主体に、毎日同一列車と同一乗務員が専用された」のコメントだけだと思います。
今回この運用列車が「ゆのくに」だということが分かりました。
(なーんだ、たったそれだけのことか?なんて言わないでね)
本屋で見かけたら是非購入することをお勧めします。
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[No.3220] D60 D61 重油専燃のC59 投稿者:吉野富雄 2002-11-06 (水) 23:13
<URL: http://homepage2.nifty.com/SAKU1967/index.htm>
isobe201様がふれてみえる重油専燃のC59127号機ですが、昭和29年に鷹取工場で改造、「ゆのくに」牽引で試用され、石炭だきに比べて約20%の出力アップが達成されたそうです。
東海道電化後は、昭和32年4月に盛岡に転属して一戸までの補機仕業に使われましたが、機関車の成績の良否よりも、機関車と乗務員の運用が限定されて効率が低下するという理由で、5月には休車となって再び鷹取工場へ回送されてしまったそうです。10両以上など、まとまった両数ならば活路を見いだせたかもしれませんが、たった1両の試作機だったことが不本意な結果を招いたのかもしれません。
今回の書き込みにあたっては、「蒸気機関車のすべて」(久保田博氏著:グランプリ出版)、「蒸気機関車」1980年3月号(キネマ旬報社)を参考にさせていただきました。
まとまりのない内容にて失礼しました。
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[No.3223] C59が東北本線の補機に?ほか 投稿者:田駄雄作 2002-11-07 (木) 10:16
<URL: http://tadayusaku.2.hotspace.jp/>
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[No.3230] C59127 投稿者:放蕩親爺 2002-11-07 (木) 22:42
私の好きなC59、その中でもちょっと気になるのが、重油専燃機の127号ですね。プレスアイゼンバーンの「C59」に、改造に携わった鷹取工場の元機関車課長であった北谷氏という方が当時の模様を書かれています。
それによりますと、大阪〜米原間のテスト走行では殆ど無煙であったが、糸崎〜八本松間の第1回の公式運転性能試験では蒸発性能は、石炭焚きに比して90%、牽引定数も同じく90%、煙の濃度は4号という無残な結果だったそうです。
その後の改良により、第2回の公式運転性能試験では、「石炭焚きの場合、C59の牽引定数は400tであるが、127号機は500t牽引が可能であり、確実に20%の定数増加ができる。しかも黒煙の状態は石炭焚きで400t牽引の場合、1度以下が全運転時間の約30%であるのに対して、127号機は420t牽引の場合1度以下が98.7%であり、560t牽引の場合でも85.5%で殆ど無煙運転である」という素晴らしい結果だったそうです。
その後の東北への転属については、氏の記述では、盛岡へ転属されて短い命を終えたとなっていますが、車歴の記載には「盛岡区転属後は盛岡〜一戸間補機に試用」とあります。実際はどうなんでしょうかね。
127号機が廃車になったのは、私が小学生の時、当然見たことはありませんが、一番気になるC59です。で、ナンバーのシールを作って見ました。(自作する技量がありませんので、印刷屋に頼んで)まだいくらか残っていますので、欲しい方がいらっしゃいましたら、メールください。
長文失礼致しました。
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[No.3234] 記憶の中の”127” 投稿者:燕号 2002-11-07 (木) 23:33
今、話題のC59127。私は詳しい事全然わかりません。でも、一つだけ記憶に残っている事があります。それは、ある鉄道雑誌の広告でC59127がモデル化され、発売されると言うものでした。今はもう断片的な記憶でしかありませんが、オイルバーニングで有ると言う事とテンダーに炭庫が無く、炭庫の部分に手摺?、ラダ−?が付けられていて、変った機関車と言う印象が残りました。それ程すうきな運命を辿ったとは知りませんでした。
盛岡以北での試用が行われていたとすると特認でしょうか?本来、C59が入線出来る軌道ではありませんよね。
[No.3236] C59127 投稿者:isobe201 2002-11-08 (金) 01:15
<URL: http://homepage3.nifty.com/isobe201/index.html>
吉野富雄さん
「蒸気機関車のすべて」は立ち読みはしたはずですが、あまり注目すべきところに気付かず、買いませんでした。ここに「ゆのくに」のことが出ていました?実質2年くらいの短い期間であっても、れっきとした急行運用についたということは、ちょっと感激でした。
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[No.3243] C59127 名古屋区C57重油併燃機 投稿者:吉野富雄 2002-11-08 (金) 23:40
<URL:
http://homepage2.nifty.com/SAKU1967/index.htm>
こんばんは。
isobe201様
「蒸気機関車のすべて」(久保田博氏著:グランプリ出版)には、C59127号機について以下の事項が記されています。
・ 1954年に鷹取工場で重油専燃機に改造された。
・ バーナーの苦心の改良などにより、石炭だきに比べて予想外の20%の出力アップが達成された。
・ 大阪〜米原間で、「ゆのくに」を牽引した。
・東海道本線電化により盛岡区に転用され、補機仕業に使用されたが、動力近代化の進展のため1両のみの試作に終わった。
確かに東北本線の盛岡以北はC59が入線できる線路条件ではなかったと思いますが、特例を設けて試験を行ったのでしょうか?「蒸気機関車」1980年3月号によれば、昭和38年頃にC62を重油併燃に改造の上東北本線仙台以北に投入して、定数引き上げを図る計画があったようです。しかし、DD51の本格的な導入に伴い没となってしまったとのこと。ただし、こちらのC62は軽軸重形でしょうから軸重だけでいえばC60と同等になりますね。
重油併燃(専燃)化は、出力アップや定数引き上げの他に乗務員の負担軽減という目的もあったのではないかと思います。「鉄道ファン」1990年4月号掲載の「名古屋を中心とする戦後蒸機ものがたり」の中に「重油併燃C57の思い出」というコラムがあります。筆者は元名古屋区指導機関士の櫻井春男氏です。名古屋区C57の重油併燃装置は昭和29年頃から浜松工場で取りつけられ、関西本線の急行「伊勢」や準急列車など、速度が高く条件の厳しい列車に使用されたそうです。ただ、機関助士たるもの焚火の下手な分を重油に頼るというのはあまり感心したことでなく、重油の使用量には個人差が見られたそうです。
昭和35年頃に亀山〜名古屋間の上り「伊勢」で、重油を最大限に使い、最終的に機関助士は何回席を立つかを実験したことがあったそうです。助士は亀山発車時に大量に石炭を投入、タブレットも機関士側は機関士が授受を行い、途中四日市停車中、桑名停車中に投炭を行い定時名古屋着。結局機関助士は3回しか席を立たなかったということです。亀山〜名古屋間は下り勾配が多いという好条件もあったようですが、筆者は重油併燃がなかったら無理な話だろうと回想されています。(ただし、上り勾配が続く下り列車ではまず不可能だろうとのこと。)
話が戻りますが、重油専燃のC59127号機と他のC59とでは乗務員の労力にどれくらい差があったのか興味深いところです。
長文失礼しました。
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[No.3247] 投稿者:忠賢八高@管理人 2002-11-09 (土) 01:07
どもみなさんこんばんは。21世紀にC59やD60のネタで盛り上がっているのはこの板くらいでしょうね〜。毎度ありがとうございます。
田駄さん
はて東北のC59の所属は何所でしたっけ?おっしゃる通りC60の意義がなくなっちゃいますね。手元に資料がないんでわからんのですがC60の改造工場はどこでしょう?郡山工場あたりでもやっていたんでしょうか。
放蕩親父さん
C59127はようは平坦線ならばOKであったのに何でまた東北の補機にもっていったんでしょうね〜。でも試作機の運命はいずれも同じ。ラインに乗れなければ無用の長物になってしまうんですね。
ところで重油併燃はいつごろから始まったんでしょう?
燕号さん
C59127はSLであってSLでない唯一のカマですね。
盛岡で使ったのは重油併燃がなされている大きな区であったからと言うのは如何でしょうか。
isobe201さん
急行運用についていたということはそれなりに価値は認められていたということなんでしょうが何せ1両だけの悲運ですね。試作DLのDF90なども常磐線の急行運用についていましたが最後は厄介モノで東能代に飛ばされていましたね。
吉野さん
重油専燃の意義としては助手の労働軽減ということからすればさぞや大きな成果だったんでしょうね。しかし時はまだ労働軽減なんてのがまかりならん職人ハダの機関士さんばかりでしょうから定着はしないでしょうね。
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[No.3248] 東北本線のC59 投稿者:吉野富雄 2002-11-09 (土) 19:06
<URL:
http://homepage2.nifty.com/SAKU1967/index.htm>
こんばんは。横レスにて失礼ですが、東北本線のC59について書き込みさせていただきます。今回は「蒸気機関車」1980年3月号掲載の大山正氏の記事「みちのくのC59〜C62」を参考にさせていただきました。
昭和30年の東海道本線米原電化によって、名古屋のC62が梅小路・宮原区へ転属し余剰となった山陽本線用のC59が15両、宇都宮・白河区に入り東北本線仙台以南の主力機となりました。
昭和33年には、東北本線宇都宮電化で宇都宮区のC59が白河区へ移動、(白河区のC61は、仙台・青森区へ転属してC51等を淘汰)山陽本線姫路電化で山陽地区から福島一区に12両、仙台区に7両転属してきます。この段階で、東北本線仙台以南の旅客列車の9割がC59牽引となったそうです。この時点で、常磐線がC62、東北本線仙台以北がC60.C61と主力機のパターンがほぼ固定されたようです。
昭和35年には東北本線福島電化で、余剰となった福島一区と仙台区からと山陽本線で余剰になったC59(内訳両数は不明です)を浜松・郡山工場でC60に改造して、18両が東北本線・常磐線に投入されました。
昭和36年3月に仙台までの電化が完成、C59は仙台区の2両を予備として残した他は、全て火を落とします。残った2両も昭和40年10月の盛岡電化時に廃車となったそうです。
なお、47両が改造されたC60ですが、久保田博氏によれば42両が浜松工場で、5両が郡山工場で改造されたそうです。
長文にて失礼しました。
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