川崎市電702
川崎市川崎区桜川児童公園に保存
表記以外の撮影日2003年12月13日
唯一現存する川崎市電の車輌。
露天だが手入れがされ状態は良好。
方向幕は両側とも「川崎駅前」になっている。
中央部の窓桟が太い 1D44D1 の特異な窓配置。
この場所の地図
この電車の窓配置について掲示板に「思い出鉄道探検団」の団長様と
「MY FAVORITE THINGS」のO型台風さんから書き込みをいただきました。
[No.6037] ドア配置の疑問 投稿者:団長(一次休車)
「例の川崎市電700系ドア配置の件ですがピク1962年8月号(私鉄車輌めぐり第3冊)の記事では
鋼体化で新造した車体は左右非対称のセンタードアで窓配置はC2-1D4D14と書いてあります。
コノ時点ではTADAさんが記憶していた通りの車体ですが自分が訪れた
廃止数ヶ月前の時点では路面電車としてはごく普通の両端にドアがある車体に変っています。
700系のドア配置は1962年から1968年の6年間の内に改造されたようです。
改造された明確な理由は判りませんが、上記のピクの記事に鋼体化時のドアの開閉は
ドアエンジンではなく手動テコで行なう形式になっていたそうです。
もしかしたら、ドアの開閉を手動からドアエンジンに変更するので位置も変えたかも知れませんが
廃止時点での700系ドアが手動か自動化は覚えていませんから、推測の域を出ない答えですね。
この辺の事情がお判りの方が居られましたら御教授御願いします。」
[No.6038] 川崎市電700形 投稿者:O型台風
「↑の団長さんの書き込みですが、手元にある「川崎市電の25年」(RM LIBRARY
43 2003年
ネコ・パブリッシング)によると、703が1963年8月、701・702は1965年9月に車体改造
(前後ドア化)と電装品更新が実施されているそうです。
理由としては「交換駅におけるタブレット授受に不便」ということです。
恐らく、池上新田〜塩浜間が単線だった当時は貨物列車が乗り入れて来ることもあり、
自動信号を設置して閉塞を行っていたのでしょう
(同書所載の入江崎信号場の写真に、2灯式の色灯信号が写っている)。
しかし、1964年3月の浜町3丁目〜池上新田間の単線化・3線軌道撤去の際には自動信号ではなく、
桜橋でタブレット授受による交換を行うことにしたそうですので、
これを機に700形も前後ドアに統一されることになったのではないかと思われます。
保存車の702を見に行った際、ずいぶんどっしりした外観だなぁと思ったものでした。
それも道理で、「川崎市電の25年」によると京急の車両限界に合わせた施設設計がなされていたため、
車体幅2440mmの車両を導入出来たということです。
諸元表を見ると、都電6000形と共通設計の500形以外、
廃止当時に在籍していた200・600・700の各形式は車体幅が2440mmとなっていました。
札幌市電は2230mmに統一されていますので、20cmも違うと全然イメージが変わるものだなぁ…
と見えたものでした。以上、お邪魔虫の解説で失礼致しました。
はこさんよりその後の様子について画像とコメントをいただきました。
本日(2005・5・1)たまたま桜本を歩いてたら、市電702に出会いました!
桜川公園内にあるのは変わらないのですが、路面電車の上部に雨よけの屋根を設置、
路面電車内を見学できるようになっていました。
また、市電とトローリーバスの路線図も設置してありました。
川崎市のWEBを見ても過去の状態しか記載されていないので、
いつから現在の形になったのか分かりませんが、再度調査する価値はあると思います。
http://www.city.kawasaki.jp/28/28kikaku/home/isan/sa/sa0030.htm
はこさんご提供 2005年5月1日撮影
横浜市民さんから1999年12月当時の画像をいただきました。
PCのディスクを整理していましたら、1999年12月当時に撮影した
シェルターに覆われた状態の写真が出てきました。
なにぶん、当時の低画質デジカメによる撮影で、
ガラス越しにしか内部は伺えなかったため、
参考になるかどうかわかりませんがお送りいたします。
付加情報ですが、私の友人が幼少の頃、この公園の近所に住んでいまして、当時の話を聞かせて貰いました。
保存当初は屋根もなく、雨ざらしの状態で、しばらくしてホームレスが住み着き、
そのうち天井は抜けるわでボロボロの状態だったそうです。
その後、さすがに見かねてか川崎市も修繕を施し、この写真のシェルターの状態にしたようです。
私が見に行った1999年当時のメモがないので、記憶が頼りなのですが、ガラス越しに内部を伺った限りでは、
当時は週の決まった曜日には一般公開され、その時には説明のテープも流れていたようです。
それがいつしか一般公開されなくなり、開かずのシェルター状態になってしまっていたようです。
その後はこちらのページで公開されている流れかと思います。
また、最後の写真は、とうの昔に桜本駅はないのに、バス停の名前だけ残っていたので、
珍しいと思い撮影したものです。
ただ、時刻表を確認したところ、臨港バスの時刻表は掲載しておらず
(臨港バスはこの時点ではもう走っていない)、何故か停留所名だけ残っている状態でした。
2005年7月9日分追記
さて、本日は天気がよかったので、気になりましたし、散歩がてら5年ぶりに様子を見て参りました。
公園自体が整備されたようで、それに伴い市電の位置も移動したようです。
中央花壇から奥の遊具付近に1999年当時のシェルターはありました。
5月にはこさんが撮影された写真のように、
上屋根と停留所より少し高めのホームが増設されていました。
しかし、外装は数年間の雨ざらしがたたったようで、所々サビが浮いておりました。
車内は自由に出入りできるようになっており、内部の広告掲出部には廃止当時の写真などが掲示されておりました。
車内では子供たちがカード遊びに興じて暴れ回っておりましたが、シートの破損などは見られませんでした。
また、犬を連れ込む輩がいるようで、「車内に犬を連れ込まないでください」との張り紙がされていました。
展示保存がいかに難しいかと言うことを改めて実感させられました。
「市電通り」の名称も健在。
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