C6212 幻のツバメ その2

交通博物館 プレートの壁に展示されていたC6212のナンバープレート。

忠賢八高様主宰のサイト「モノクロームの残影」(現在休止中)談話室に書き込みされたC6212号機の幻のツバメマークに関する記事を編集しました。

この件に関する情報やお気づきになったことなど掲示板に書き込みいただければ幸いです。

なお、このページは忠賢八高様のご確認いただきまして、TADAが編集アップロードしました。
表示等につきましては、こちらへご連絡ください。


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[No.1392] Re:幻のツバメ 投稿者:isobe201  2002-02-04 (月)  18:27

TADA様 菊地様
松本氏の書簡、読ませていただきました。鉄道友の会や臼井茂信氏、黒岩保美氏といった重鎮の方々が語り伝えていたとは意外でした。お二人とも故人となられてしまいましたが、数多くの著作があるのに、なぜかそれらにはC6212のマークについては触れられていません。
機関車履歴簿の調査が大変なのも良く分かりました。現在我々が入手できる機関車の履歴は、この「形式シリーズ」の苦労の結晶なのだということを再認識させられました。(でもちょっとお値段が高い)

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[No.1394] 探究心 投稿者:831列車  2002-02-04 (月)  22:25

松本氏のお話を拝見しました。臼井氏・黒岩氏とともに松本氏も当時の中学生にとって、本で素晴しい写真やレポートを発表されているファンの第一人者、という気持ちでおり、御本人からの詳しい寄稿が拝見出来たのはまさに感動でした。
そして履歴調査などの御苦労も、新たなる偶然などによる「発見」など、やはりそれなりの情報手段しかない当時の様子がたいへんよくわかりました。同時に苦労の果てに見つけた時の発見の喜びや感動を味わえた時代の素晴しさも感じました。ただ、現代にそれがまったく不可能かといえば、この度の皆様の「C6212ツバメ」の謎が、当時は現場での遊び心で行われていて、熱心な記録作業はあまり行われなかったという事実を思えば、この板でも話題となった多くの蒸機の装飾や、区名札などの分類など、今あらためてファンの記録や知恵を集めて解明できるものもあるのだ、ということもいえると思います。現代のネットという情報手段によって、当時わからなかったさまざまな謎が解明されるという「楽しみ」は私たちの新たな探究心によってよりふくらんでゆくものだとも思えます。たいへん参考になりました。

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[No.1396] C6212デフのつばめマーク 投稿者:吉野富雄  2002-02-04 (月)  23:13
  <URL: http://homepage2.nifty.com/SAKU1967/>

こんばんは。
TADA様、菊地様
松本謙一氏へのお問い合わせ、ならびに御回答の掲載ありがとうございます。早速拝読しました。
現在のようなインターネットはおろか、趣味誌の情報すら十分とは言えなかった時代に文字通り足で取材を重ねた松本氏の行動に驚き、かつ敬意を表さずにはいられません。このような地道な取材の積み重ねによって、現在私たちがとうの昔に廃車になってしまった機関車の履歴をたどることができるわけですから。
C6212のデフについていたといわれるつばめマークですが、松本氏のご回答を拝読すると、氏も写真や車歴簿の記述など確固たる資料をもとにしたのではなく、伝聞によって知り得たようですね。
氏によれば、臼井茂信氏、黒岩保美氏、西尾恵介氏、宮田寛之氏はC6212のつばめマークを付けていたという説を半ば「常識」としてご存じだったとのことですが、そうするとここでお名前があがった方々はどこでその情報を仕入れたのか?という疑問が浮かび上がります。西尾氏、宮田氏はご健在ですので、「鉄道ファン」誌上でどのような記述をされるのか、興味深いです。
また、「HUDSONC62」の取材でお話を伺ったという久保田博氏も、昭和20年代には鷹取工場に勤務されていたそうですので、この件に関して何かご存じもしれません。

つばめマークが18号機へ移設された説も、あくまで1969年時点での松本氏の推測で、事実とは異なっていたのではないでしょうか?
おそらく当時の松本氏は「鉄道ファン」1989年11月号掲載の「I技工長により18号機のつばめマークが作製された」という事実をご存じなかったと思われますので、12→18号機へのつばめマーク移設を推測されたと思われます。

「鉄道ファン」1989年12月号と「SLと共に」(鉄道科学社刊)に掲載されている2枚の「つばめマークなしC6212」の写真が存在する以上、もしついていたとしても、極めて短期間であったと考えられます。
この2枚の写真には、撮影者(所蔵者)が明記されていないのですが、交友社様、鉄道科学社様に問い合わせすれば、撮影者その他の情報が得られるかも知れません。今週中にメールか手紙にて問い合わせをしてみようかと考えています。

長文及びまとまりのない内容にて、失礼しました。

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[No.1397]  投稿者:忠賢八高@管理人  2002-02-04 (月)  23:15

こんばんわ。只今、切り取りデフシリーズのお気に入り募集中ですので、初めての方も、そして実物をご覧になっていない方もなんとなくどこかで見たというのでもかまいませんので奮ってご参加ください。
さてさてお待たせ致しました。弊館リンク先でもあります、大之島鉄道を主宰されておられます菊地様の御尽力により、なぞのツバメC6212について、巨匠松本謙一氏よりコメントを頂戴することが出来ました。只今、弊館別館TADA様の八高ヤードにて公開させて頂いております。SL全盛期にC62の詳細な調査をなされました松本氏が謎のC6212について述べられておられますので、どうぞご覧下さい。アドレスはNo1391のTADA様のコメントにございます。

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[No.1405] すいませ〜ん 投稿者:isobe201  2002-02-05 (火)  21:02

吉野様
交友社殿へご質問されるならば、「鉄道ファン」はもともと鉄道友の会を中心にできた雑誌なのに、1970/1月号のC62特急についてのレポートには全くC6212のマークに触れていなかったのは、なぜだか聞いていただきたいですね。

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[No.1408] 「つばめマーク」は現場の遊び心? 投稿者:吉野富雄  2002-02-05 (火)  23:24
  <URL: http://homepage2.nifty.com/SAKU1967/>

こんばんは。
昨日松本謙一氏のご回答を拝読させていただいたのですが、その中で「デフのマーク取り付けは現場の遊び心の一環で、何か正式な企画として実施されたものではなかったようです。従って図面を保存したり記録に残すようなことでもなかった・・・」という記述がありました。
ところが、「日本の蒸気機関車」(ネコ・パブリッシング)のコラム「C622号機とつばめ」(著者は編集部となっています)に以下のような記述があります。長くなりますが、抜粋させていただきます。

「・・・ファンの間では知らぬ人はいないこの『つばめマーク』だが、以外(ママ)とその正確な経緯は知られていない。1950(昭和25)年、特急『つばめ』と『はと』の運転開始に伴って国鉄は『特急用機関車の美化について』以下のような指示を行っている。
(1〜7は省略)
8:除煙板前方上部に「つばめ」または「はと」のステンレス板打抜きマークをつける。
ここで注目すべきは、最後の第8項である。「つばめ」のほかに「はと」もマークを付ける旨指示している。ただし、この時点での施行予定機関車は「つばめ」のみ2号機と29号機とされており、「はと」指定機に関する記述はない。結局、「つばめ」マークが取り付けられたのは2号機と、指示と異なった12号機(のち18号機)の2両のみであり、ついには「はと」マークが日の目を見ることはなかった。」

これによれば、「つばめマーク」取り付けは国鉄本社の指示であったということになります。また、2号機と29号機への取り付け指示がいつどのような形で出されたのかも興味深いです。

逆にヘッドマークの方が本社指示ではなく、現場の判断だったのではないでしょうか?
「つばめ」「はと」のヘッドマークにしても、最初は宮原区(あるいは大鉄局)の判断でC62に取り付け(浜松区C62は宮原区のヘッドマークを借用)、浜松以東の電機はヘッドマークなしだったと聞いたことがあります。
「パノラマ」(鉄道友の会名古屋支部通信)2000年12月号に昭和27年2月26日撮影の「つばめ」を浜松駅で撮影した写真が掲載されていましたが、上り「つばめ」を牽引してきたC622はヘッドマーク付き(デフのマークも付いていました)なのに対して、浜松で交代したEF572にはヘッドマークがありません。このことから、電気機関車にもヘッドマークが付くのは、この昭和27年3月以降と推測されます。

この辺りもスッキリ整理できるといいなと思います。
昨日も書き込みさせていただいた通り、今週中に交友社様に以下の点について質問メールを送付させていただこうと考えています。
・1994年8月号等で、C6212に「つばめマーク」がついていると書かれた根拠。
・1989年12月号掲載の「つばめマークなしC6212」写真の撮影者(所蔵者)と、この写真の撮影時期。できれば「名古屋区OBの思い出」「名古屋を中心とする戦後蒸機ものがたり」に登場されたOBの方のC6212「つばめマーク」についてのご見解。
また、isobe201様ご指摘の1970年1月号(私は見たことがないのですが)についても伺ってみたいと思います。

前述「日本の蒸気機関車」のコラムについても、資料の出所などについてネコ・パブリッシング様に伺ってみようかな。
鉄道科学社様は、ネット検索では現存しているかどうか不明でしたので、電話帳で調べてみたいと思います。現存しいるのであれば、昭和28年1月18日撮影の「つばめマークなしC6212」の写真について質問させていただきたいです。

昨日に引き続き、まとまりのない書き込みにて失礼します。また、若輩者でありながら、生意気な発言を繰り返していること、お許しください。

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[No.1417] 7777 投稿者:忠賢八高@管理人  2002-02-07 (木)  00:33

吉野様
 ふむふむ、遊び心か本社のご意向か謎は深まるばかりなりですねー。ELの方が後にHMをつけたんですか。これも本社の意向??。戦前の富士はバックサインだけですね。戦前にはSLにHMをつけるといった発想がなかったんでしょうか。しかしデフは兎も角、HMとなると本社のご意向じゃないと出来ないでしょうねー。いやまだGHQかな??。

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[No.1424] 切り取りデフ 投稿者:菊地  2002-02-08 (金)  00:10
  <URL: http://www.h3.dion.ne.jp/~otk>

皆様にC6212の松本様の見解をご覧いただきありがとうございます。
これではつばめマークの結論は出ませんが、当時の履歴調査のご苦労が忍ばれます。

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[No.1433] D512の変形デフ、No.1408の補足他 投稿者:吉野富雄  2002-02-10 (日)  00:12
  <URL: http://homepage2.nifty.com/SAKU1967/>

No.1408の書き込みの補足ですが、本日少し調べてみました。
「鉄道ジャーナル」1979年4月号で種村直樹氏が「(昭和25年10月ダイヤ改正に関連して)・・・この秋から大阪鉄道管理局のアイデアで、浜松〜大阪間を牽引するC62型蒸気機関車の先頭に初めてヘッドマークが付けられ、やがて東京〜浜松間を受け持つ東京機関区のEF57型電気機関車にもヘッドマークが登場した・・・」と記述されています。
また、「鉄道ファン」1980年3月号では、関崇博氏が「(つばめ・はと運転開始に関連して)・・・このころ大阪鉄道管理局のアイデアでつばめ・はとを牽引するC59型蒸気機関車の前部にヘッドマークが採用され、これにならって電化区間を牽引するEF57にもまもなくヘッドマークが取り付けられるようになった・・・」と記述されています。
蒸気機関車の形式に違いが見られるものの、(戦後初の特急「平和」はC59牽引でスタートしたそうですし、「つばめ」になってからもC59が牽引することがたまにあったようです。)共に「大阪鉄道管理局のアイデア」と記述されています。このことからヘッドマークは本社の指示ではなかったのではないかと想像されます。もし、本社の指示であれば電化・非電化の区別なく一斉にヘッドマークが取り付けられるはずです。ましてや本社お膝元の東京でヘッドマークなしというのは、不自然ではないでしょうか?

No.1408で書き込みさせていただいたとおり、昭和27年2月26日の時点では、EF57にヘッドマークが付いていません。しかし、「想い出の電気機関車」(誠文堂新光社刊)には昭和27年4月撮影の「はと」のヘッドマークを付けて新橋駅を通過するEF57(番号がヘッドマークに隠れて読めません)の写真が掲載されていました。
このことから、私は電気機関車にもヘッドマークが採用されたのは、昭和27年の3月か4月からではないかと推測しています。

なお、「つばめ」を牽引するC59ですが、新潮文庫から発行されていた「特急列車」(高田隆雄氏監修)に「つばめ」のヘッドマークを付けたC59124(もちろん門デフになる前)の写真が掲載されています。
C6212の「つばめマーク」については、3連休中になんとか暇をみつけて、作文し、交友社様にメールを送付させていただきたいと考えております。

長文及びまとまりのない内容にて失礼しました。

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