モノクロームの残影談話室より
サハリンのD51と製造銘板
忠賢八高様主宰のサイト「モノクロームの残影」(現在休止中)談話室に書き込みされた
サハリンのD51と製造銘板に関する記事を編集しました。
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なお、このページは忠賢八高様のご確認いただきまして、TADAが編集
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サハリンより帰還したD51−1
平成15年の5月11日、保存場所 新潟県柏崎市の駅前公園
同機の製造銘板
画像は2枚とも「五条川鉄道写真館」吉野富雄様ご提供
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[No.2250] お知らせ 投稿者:penta 2002-05-22 (水)
21:53
<URL:
http://www.photoland-aris.com/penta/board/>
なんか需要があった?みたいなんで
サハリンから帰国したD51の4両をupしました。
http://www45.tok2.com/home/penta/hokkaido/d51-00/d51-00.htm
http://www45.tok2.com/home/penta/hokkaido/d51-23/d51-23.htm
http://www45.tok2.com/home/penta/hokkaido/d51-25/d51-25.htm
http://www45.tok2.com/home/penta/hokkaido/d51-26/d51-26.htm
ところで数点分からないことが、、、
・まず、テンダの無いD51は、番号不明で
私の持っている資料には存在の記載がありません。
23.25.26.27号の記述があるので欠番の24号ではないか?
とは思うのですが、、、
・手持ちの資料では25号は汽車製とあるのですが、実車プレートには
MITSUBISHIとありますね。このへんの真実は、、?
・これらのD51がサハリンから帰国した年が不明。
以上、おわかりになる方がいらっしゃったらご教授くださいませ。
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[No.2252] サハリン(樺太)向けD51 投稿者:吉野富雄
2002-05-22 (水) 22:47
<URL:
http://homepage2.nifty.com/SAKU1967/index.htm>
こんばんは。横レス失礼します。
慎様、penta様がふれて見える戦後、サハリン(樺太)向けに製造したD51ですが、全部で30両ありました。製造メーカーは以下の通りです。
D511〜7 日本車輌名古屋
D518〜14 川崎車輌
D5115〜20 日立
D5121〜25 汽車大阪
D5126〜30 三原車輌
また、これらのD51はソ連に対する「戦時賠償」として製造されたとする説が強かったようですが、近年の研究では決して「賠償」ではなく、戦後初の正規の車輌輸出であったようです。
この点については「鉄道ピクトリアル」2002年1月号上にて服部朗宏氏が記事を執筆されていますが、「機関車」3号(1949年11月)では、汽車会社に勤務されていた高田隆雄氏がこれらのD51について「当初より輸出向けとして製造された、真の意味での戦後最初の輸出蒸気機関車」と回想され、「交通技術」51号(1950年10月)では、「1948度に入っては戦後最初の大量輸出としてソ連向け車輌の輸出契約が締結された」とあり、その内容は、蒸機30両、客車20両、貨車310両であり、金額合計が3781550FOBドル(FOBとは、海上輸送費を含まない船積時引き渡し価格)であったと記されているそうです。
また、「十年の歩み」(鉄道車輌工業協会・1958年6月)でも、この輸出が戦後初の大量輸出として位置づけられ、ソ連本国向けの電機3両も含めた総価格が861650000FOBドルであったという記述があるそうです。ただし、両者の金額に差がありすぎることから、どちらかが誤記であろうと服部氏は指摘されています。
もし「賠償」であれば「価格」はつかないはずですから、服部氏ご指摘のように、「正規の輸出」と考えられそうです。
相変わらずまとまりのない内容にて失礼しました。
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[No.2253] No.2252の補足 投稿者:吉野富雄
2002-05-22 (水) 23:07
<URL:
http://homepage2.nifty.com/SAKU1967/index.htm>
たびたび失礼します。
サハリン(樺太)向けD51の製造は昭和23〜24年で、日本へ里帰りしたのは平成2年だそうです。「鉄道ピクトリアル」1990年12月号に日本へ帰ってきたD51-1の写真が掲載されていますが、この記事では「戦後賠償」とされています。また、同機の製造が日本車輌東京となっており、先の記述との違いが気になります。(製造番号はともに1512で、一致していました)
また、「鉄道ピクトリアル」2002年1月号の服部氏の記事中で、D51-25には「三原車輌」の製造銘板がついていることにふれられています。服部氏は現地での車輌振り替えが行われたのではないかと予想されています。
以上、補足でした。
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[No.2254] >吉野富雄さま 投稿者:penta
2002-05-22 (水) 23:32
<URL: http://www.photoland-aris.com/penta/board/>
ありがとうございます。
今だ結構謎な部分が多いんですね>サハリンD51
柏崎の記述はYahoo!の検索でも引っかかるんですが
内容は乏しいですね。
1号と他の機たちは一緒に帰国したのでしょうか?
有志たちが努力して帰国できた、と聞いたことあるのですが?
輸出前?の画像を発見しました。
http://www.khi.co.jp/sharyo/since_final/since_1949.html
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[No.2258] 投稿者:忠賢八高@管理人 2002-05-23 (木)
00:10
ペンタさん
サハリン行きの前の写真ですけど、国鉄線上を走ってたんですかねー?。こりゃすげーやー。最近のデカライトはあっちで改造されたもんなんですね。てっきり日本で付けられたんかと思ってました。きっとまだ何両かサハリンに残ってるんでしょうね。
吉野様
三原車輌とはなんぞやですね。私のいいかげん推論では三菱が使い難い時期だったからじゃないですかね。財閥解体で戦勝国のソ連にいいイメージを与えるため、三菱を外し三原にしたというのはどうでしょう?。あとは車輌メーカーですし、日立もそういう意味ではマイナー会社ですから・・・。
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[No.2255] いえ、すいません 投稿者:慎 2002-05-22 (水)
23:38
僕が見たかったのは戦前戦中樺太に送られたC58の写真なんです・・・
言葉足らず、すいません・・・出戻りD51、北海道旅行の際、何台も見かけました面白いなあって思った覚えがあります。
でも、話題が広がったようなので良かったかな?(笑)
皆さんが良心的なので助けられますです、ありがとうございます。
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[No.2260] イコライザー 投稿者:isobe201 2002-05-23
(木) 00:48
慎さま
樺太庁鉄道が発注したC58は(国鉄編入後C58369〜382)「コスト削減のため給水暖め機を省略」し、「炭水車の台車と水槽の形状を変更」したものだそうです。この辺の写真は見たこと無いですね。でも天塩の1、2に近い外観なのでしょう。
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[No.2261] サハリンC58? 投稿者:penta
2002-05-23 (木) 16:22
<URL:
http://www.photoland-aris.com/penta/board/>
それは知りませんでした。
戦前は96、戦後はD51が渡ったと思ってましたので(^^ゞ
サハリンには現在、ユジノサハリンスク駅前にD51−22が静態で、同機関区にD51−4が動態保存されているようです。
これに乗車するツアーもあるみたいですね。
三原車両に関してですがD51−25の銘板?には
MITSUBISHI
MIHARASHARYO
1949
MACHINE No.665
とありますのでつまり三菱重工業三原車両所(工場?)という意味ではないですか?
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[No.2262] 下記補足 投稿者:penta 2002-05-23 (木)
17:43
<URL:
http://www.photoland-aris.com/penta/board/>
三菱重工業三原製作所という存在があり
C57180もここで生産されています。
ここのことである可能性が高いと思われます。
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[No.2265] 三菱重工三原製作所 プレートの色 投稿者:吉野富雄
2002-05-23 (木) 21:45
<URL:
http://homepage2.nifty.com/SAKU1967/index.htm>
こんばんは。
ソ連向けのD51ですが、忠賢八高様、penta様が推測されている通り、三原製作所で製造されて、財閥解体の嵐の中であえて「三菱」の名を出さなかったのかもしれないですね。
ちなみに三原製作所は、昭和25年には財閥解体により「中日本重工業」の工場となりました。この会社は昭和27年に「新三菱重工業」と改称、昭和39年に財閥解体で分けられた会社と合併して新生「三菱重工業」となり、現在に至っています。
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[No.2266] ん〜銘板、プレート 投稿者:isobe201
2002-05-24 (金) 00:05
pentaさまのD51−25の銘板?について
これが銘板かどうか?ですが、まずドームに取り付けられているのが、なぜなんでしょう?ただ、もしもこれが正規の銘板だとしたら、輸出用の機関車の銘板の研究は多分殆どないと思うので、貴重な資料になります。国内銘板の研究は、「鉄道ファン」の渡辺肇氏の「わが製番探訪の30余年」があります。
それによると吉野さまの補足になりますが、三菱は美唄鉄道(三菱系)の2(4110の同型機)が製造番号1(1919年)で、以後1931年まで銘板の社名は「三菱造船株式会社神戸造船所」、32年から三菱重工となり銘板の社名は「三菱神戸造船所」41年から三原に工場を移管したので銘板は「三菱」、1950年〜52年4月までは財閥解体で三原製作所は中日本重工業となり銘板は「三原車両中日本重工業」5月から新三菱重工業になり銘板も「新三菱重工業株式会社三原製作所」と変遷しました。
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[No.2346] 車両銘板「三車」 投稿者:831列車
2002-06-01 (土) 21:45
ISOBe201様も推奨されている渡辺肇氏の「わが製番探訪の30余年」は何回読み返しても面白いもので、また新たな興味を抱くことが多く楽しい記事です。
ところでその中での戦後整備による蒸気機関車の略式銘板のことですが、主に長方形の枠に「昭○○ ○○」というものはお馴染みですね。
その例として紹介されていた中にC57110のものがあり、「昭14 三車」というものがありました。これは当然「三菱車両」を表すものだと思います。戦後の復活整備時に付けられたものとしてもこれは「三原車両」のことではないはずです。またD51662のものとして小さい小判型のものに「三菱 昭和16年」というちょっと変わったものもありました。そこで三菱の特に蒸気機関車の製造銘板を調べてみたら、新製時の大型四角に「三菱」のものと、前述した二つのもの、そして一般的な「昭○○ 三菱」、さらに「昭○○ 菱船」の5種類もあることに気付きました。もっとあるのかもしれませんが、三車・三菱・菱船というものは同時期に製造されたロットの中に混在しておりどういう理由で表現が異なったものになったのか興味あるところです。(復活ではなくおそらく終戦間近のものは最初から簡略化された銘板だったとしても、です)一例をあげておきます。
D511001は「昭19 菱船」(19ー4ー13製造)
D511007は「昭19 三菱」(19ー5ー18製造)
D511044は「昭19 三車」(19ー11ー26製造)
蒸機にまつわる謎は次々出てくるものだとつくづく思いました。
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[No.2348] 三菱の銘板 投稿者:吉野富雄 2002-06-02 (日)
20:32
<URL:
http://homepage2.nifty.com/SAKU1967/index.htm>
こんばんは。
831列車様がふれてみえる三菱の銘板、どうして同一時期に製造された機関車の銘板の企業名が異なっているのか興味深いですね。
「三菱」は納得ですが、「三車」「菱船」は?です。
先ほど三菱重工様のHPで同社の沿革を拝見したのですが、三菱グループの歴史の中で「三菱車輌」という会社はなく、昭和9年までは「三菱造船」、それ以降は「三菱重工業」が正式の社名のようです。その後(細かい合併等は除いて)昭和25年に財閥解体により「東日本重工業(→三菱造船)、中日本重工業(→新三菱重工業)、西日本重工業(→三菱日本重工業)」の3社に分かれ、それぞれの後身会社が昭和39年に再び1つになって、現在の三菱重工業に至っているようです。
「菱船」は「三菱造船」の略と思われますが、少なくとも昭和19年当時には存在しなかった社名を使用したのは疑問ですね。
三菱グループの歴史など、よくわからずに書き込んでいますので、もし間違いがありましたらご指摘ください。
失礼しました。
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[No.2349] No2348の訂正 投稿者:吉野富雄
2002-06-02 (日) 20:37
<URL:
http://homepage2.nifty.com/SAKU1967/index.htm>
早速ミスを見つけてしまいました。
>「東日本重工業(→三菱造船)、中日本重工業(→新三菱重工業)、
>西日本重工業(→三菱日本重工業)」
「東日本重工業が三菱日本重工業、西日本重工業が三菱造船」でした。申しわけありませんでした。m(__)m
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[No.2350] C56の形式ナンバー 投稿者:isobe201
2002-06-02 (日) 22:35
831列車さま
略式銘板は、各工場で制作されたとしたら、表現がまちまちでもおかしくありませんが、はたして?
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[No.2351] なるほど 投稿者:831列車 2002-06-02 (日)
23:24
isobe様
そうですよね、確かに国鉄(鉄道省)工場で整備の際に取付られたのだとすればそれもあるかもしれません。問題は昭和19年という切羽詰まった時期の竣工車は最初から簡略化銘板を付けていたかもしれないということ(つまり製造所で付けられた?)ことと、吉野様が書かれているように「三車」「菱船」の取付時期の存在があったのかどうか?だと思います。本当のところはよくわかりませんが、復活整備の際に(たぶん)取付られたC57110の「三車」などはやはり珍しいものだと思います。ここ数日で気付いたことなので何分にも資料などはありませんがネガのキャブあたりをあらためて見て発見したことでした。
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