岩手開発鉄道1982・6

大船渡線の終点盛に接続と、訪問しにくさでは屈指の私鉄だった。
訪問時は旅客営業も行っていたが一ノ関発一番列車でも朝の列車には間に合わず
乗車できなかったのが悔やまれる。
撮影日 1982年6月4日


一ノ関発5:20の大船渡線一番列車に乗るため盛岡行き寝台特急31レ「北星」で出かけた。
「北星」は盛岡行き寝台急行を1975年3月愛称そのまま特急に格上げ。
1982年11月東北新幹線本格開業時に廃止された。
最後までヘッドマークは用意されなかった。


盛岡行きだがテールマークイラストは海上に輝く星のイメージ。


気仙沼 気仙沼線3924D、最後尾はバス窓のキハ20一次形。
当時使っていたCanonAE−1は一枚目のシャッター速度が遅くなるという症状がでており
修理に出したものの直らず戻ってきた。このコマも1/250で切ったつもりが1/60くらいでブレてしまった。


盛りに着いて少々歩いて岩手開発鉄道の車庫へ。
日頃市発の2番列車キハ202がやってきた。


当時の岩手開発鉄道の機関庫は道路わきの開放的な場所だった。


角ばったDD13といったスタイルのDD5653。
1973年新潟鐵工製で当初は自重53tのためDD53として登場、
1979年エンジン換装し自重が56tとなったためDD56に改番した。


元夕張鉄道のキハ301、1952年新潟鐵工製キハ07の私鉄形。
1974年夕張鉄道の旅客営業廃止で翌年岩手開発鉄道に譲渡。
前面窓が4枚、旅客扉が2扉(登場時は3扉)、車内は転換クロスと国鉄形とはだいぶ異なる仕様だった。




自社発注1968年新潟鐵工所製の当時の地方私鉄には珍しい新造車。
切り妻の素っ気ない12m級小型車。




キハ202とDD5653。


DD5651が出庫してきた。




車庫訪問の後バスで日頃市までゆき歩いて終点の岩手石橋へ。


岩手石橋直下で空セキ列車を撮影。








岩手石橋はスイッチバックの終着駅を発車したDD5653牽引の石灰列車。
画面右手先の引き上げ線から後ろに見えるポッパーに押し込まれる。




当時は40分毎という高頻度運転をしていたので、すぐ次の列車がやってきた。






盛川に沿った岩手石橋〜日頃市、ここで撮影してバスで盛りに戻り午後は盛線に乗りに行った。











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