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当サイト「汽車・電車1971〜」主宰のTADA氏が、2025年9月23日に逝去されました。 ここに謹んでご通知申し上げます。 当面の間、掲示板 への書き込みをできるようにいたしますので、 保存車活動に特に熱心だった氏へ、皆様からお言葉等お寄せいただければ幸いです。 |
1995年栗原電鉄から第3セクターに移管し電気運転を廃止してくりはら田園鉄道となったが、
赤字は改称できず2007年4月に廃止された。
廃止が決定した2004年、陸羽東線蒸機運転の後夕刻に若柳駅を訪問。
撮影日 2004年9月15日

色落ちした「乗って残そう孫子のために」の看板が哀しい。



廃止まで単線非自動、通票閉塞だった。
駅舎ホーム側の閉塞器のでっぱりが現役。

1995年名鉄から来た2軸レールバス、KD11、KD12。
訪問時すでに定期運用はなかったという。

若柳構内には引退した電車が留置されていた。

栗原電鉄オリジナル車M153。
1955年製でコイルバネ台車、ノーシル・ノーヘッダーのスマートな車体で電鉄時代の主力車だった。


M151

M151と同形の制御車C151。木造車C14の鋼体化車、台車はTR14。
M151は両運転台だが、増結用のC151は片運転台。


片運転台ながら相方のM151は非貫通のため、
C151も非運転台側は非貫通というスタイル。

M181、西武鉄道の木造車モハ204を1955年譲渡、M161となり1959年鋼体化。
18m級の西武501形によく似たスタイルになった。
1991年福島交通の5300形が入線するとイベント車に改装された。

手書きのヘッドマーク、塗装もなんとも素朴なイラスト。


M182、1971年製元福島交通モハ5318。
1991年福島交通の1500V昇圧で廃車になり、栗原電鉄に譲渡、18m級のためM18の追番となった。


貨物ホームに留置され自転車置き場に使われていた。

車内にも入れたが自転車は無かったようだ。

M183、元福島交通モハ1519はくちょうの愛称板を付けていた。
貫通幌と貫通扉の幅が異なるのは、モハ1200に挟まれていたサハ3000を
中間車にするためと言われるがそのような運用は無かった模様。


DB101。DB102とともに石越駅で交流の国鉄から直流の栗電への貨車受け渡しに使用されていたが、
DB102は貨物廃止後に廃車、DB101は3セク転換後も引き継がれ、キャブにくりでんイラストが描かれていた。

いかにも私鉄という木造緩急車ワフ74。
貨物廃止後も除草剤散布などに使われて現役だった。


ト103、102、こちらもバラスト散布用に使われていた。

モーターカーTMC−100。


倉庫に使われていた木造有蓋車のダルマ。
3両とも廃止後も残り、1両は放火で焼失したが2両はくりでんミュージアムの展示物になった。




KD11

KD12


石越行きKD953+KD952


この腕木場内信号機は廃止後も残されている。

若柳〜荒町?、KD951石越行き


通票閉塞器を駅員さんが操作中。

細倉マインパーク行きKD151が到着。

タブレットを交換して


細倉へ向けて発車。

レンタカーで来ていたため、沢辺かで追いかけ。
駅前に宮城交通のレトロ風バス「くりむくん」が待機。


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