下津井電鉄1982・7
その2 下津井
終点まで乗って車庫で撮影、下津井から東下津井への山裾を巻いて行く区間へ。
撮影日 1982年7月25日
下津井、クハ24+モハ103とモハ1001。
この2本が常時使用されていた。
モハ103+クハ24は1961年ナニワ工機(後のアルナ工機)製。
側窓は当時流行していたバス窓。1973年にワンマン改造で側面が大きく変わった。
即窓
扉間窓の3枚目は旧扉跡で一段窓。
下津井駅南方の跨線橋から。
児島行きモハ1001が発車。
山裾を巻いて鷲羽山ヘ登ってゆく。
下津井ホーム上には平台車、踏切警報器などが展示されていた。
構内奥にの木造庫は使われていなかった模様。
競艇開催日など多客時に使用されたモハ102+サハ2+クハ22。
ホワ6+ホトフ6、2軸貨車サイズだがアーチバー台車を履いた軽便ならではのボギー貨車。
クハ5、1931年日車製ガソリンカー、カハ5を1949年電化時に電車用制御車に改造。
外観は鮮魚台も残りガソリンカー時代のままだった。
サハ2、1955年に改軌した栗原電鉄から譲渡された1950年製モハ2402を電装解除した付随車。
クハ22、1954年ナニワ工機製。
ホジ3、井笠鉄道廃止時に茶屋町〜児島の廃止区間の線路撤去用に譲渡されたが
ほとんど実働しなかったという。
モハ110、部分廃止後予備車として残されていたが訪問時は廃車になり庫に保管されていた。
その後1986年に車体は鷲羽山駅待合室に転用された。
モハ1001が戻ってきた。
山裾を大きく回り込んでくる。
下津井を発車した児島行きモハ1001。
東下津井、次の電車はモハ103+クハ24だった。
パンタグラフが大きく上がっているのも軽便の魅力。
最後のコマは撮影場所不明。
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