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この年電化を控えてDF50が最後の活躍をしていた紀勢本線の撮影のついでに立ち寄った小さな鉄道。
1往復だけの乗車が最初で最後の訪問になってしまった。
撮影日 1978年5月6日

なんの変哲もないキハ58の3連に見えるが3両目にご注目。
キハ58001+キハ58002+キハ58003
湯浅から国鉄線を一駅走って7:47に藤波に到着した517レ。
有田鉄道の国鉄乗り入れ列車は列車番号にDをつけていなかった。

末期は樽見鉄道からやってきたレールバスが1両で運転していたが
このころはまだ朝は3連で運転していた。

2コライトがユーモラスな表情をつくるDB-20

自社線内の貨物牽引のほか、藤波駅の入換も有田鉄道の機関車が受け持っていたようだ。


3両目のキハ58003は藤波で切り離されて2連がもう一往復した後金屋口に戻っていた。

終点、金屋口には富士急からのキハ58が入線する前の主力、キハ07が2両留置されていた。
キハ07206+キハ07207とキハ58002

キハ07207 国鉄時代の最後は樽見線で使われていた。
後年樽見鉄道からレールバスが入線したのは面白い因縁だ。

2両のキハ07は国鉄時代とほとんど変わりない姿を保っていた。


さらにもう1両、湘南顔のキハ250が留置されていた。
茨城交通ケハ401とよく似た初期液体式ディーゼルカー。

湘南顔で1段窓に3扉、国鉄の電気式気動車キハ44000にも似ている。

金谷口発9:17の4番列車からはキハ58003の単行運転。
湯浅に到着して折り返しを待つ間に301Dきのくに2号が到着するが
この列車には南海直通車が連結されており、珍しくも私鉄の乗り入れDCが国鉄駅で顔をあわせていた。

きのくにはこんな写真しか撮っていないのですが・・・
保護棒付きの窓、南海の表示、号車札も南海Aとキハ55といえども私鉄らしさが出ている。
おまけ
有田鉄道は最後は一日2往復、学校が休みの土曜と日曜は運休という極限まで列車本数を減らしていたが
1978年当時でもバス部門でこんな車輌も使われていた。

ナンバーは外されているが扉の「ワンマン」表記、前輪上の「一般乗合」表記。
屋根に行灯があればタクシーだがこの車は路線バスとして運転されていたようだ。


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