紀勢本線1978・5
その1新宮
名古屋暮らし2年目のゴールデンウィーク、高校鉄研の仲間I君と電化が迫る紀勢本線に出かけた。
プラン作りが巧みなI君は事前に詳細な予定表を送ってきた。
撮影日 1978年5月2日〜5月7日
プラン第一案、運用表のような予定表。
実際は一日目午後に波田須へ、最終日も多気にはゆかず天王寺に抜けた。
名古屋駅で合流、23:58発の紀州5号に乗車。
ネガの最初のカットは中央西線の70系、隣のホームには寝台車、夜行ちくまか?
深夜でもホームのワゴン販売が行われていた。
こんな画像も撮っていた。名古屋駅じんあい運搬車。
どういうものか不明だったのでSNSに上げたら複数の方から回答をいただきました。
名古屋駅はごみ収集車が入りにくいため、荷物ホームに留置された専用ワムに積み込んで
笹島貨物駅に移動、そこで処理していたとのこと。
驚くべきはワム80000に車種変わってJR後も運用されていたとのこと。
掲示板に燕号さんより当時このじんあい車に積み込むアルバイトをしていたという投稿をいただきました。
「「じんあい運搬車」、ホームの番線は忘れましたが岐阜方にホームの切り欠きが有り、そこに停まっていました。
日に何回か車両の出し入れが有ったと思います。
夏休みに名古屋駅構内清掃のバイトをした事が有り、集められたゴミは台車に乗せてホーム下の通路を通り、
リフト(業務用エレベータの粗末な物)でホームに上げ、運搬車迄運んでいました。
アルバイトは一日おきの24時間勤務でしたが、休憩時間も多く、夜間の仮眠時間も有り実働13時間位だったと思います。
その実働時間の中でも「じんあい運搬車」へのゴミ捨ては、人目に付かないホームの端とあって、
ゴミを移した後ホーム端に腰掛けたりして、煙草を吸ったり、休憩出来ると言う役得が有り人気の業務でした。
当時の私は「流石、国鉄。ゴミ収集も自前の鉄路なんだ」と思っていました。」
以下は1978年5月3日撮影
早朝の新宮駅、天王寺〜名古屋の924レ機関車交換、DF50 34。
後尾にB寝台車2両が見える。
天王寺を22時台に発車、新宮に早朝5時台に到着、寝台車を切り離し名古屋に13時過ぎに到着。
新宮〜三輪崎121レ DF50 58
特急紀伊4003レ DF50 24
372レ DF50 26
DF50 26はお召牽引時に裾の白帯がステンレス帯になった。
撮影メモに記載がないが1324D?キロ込み4連。
281レ DF50 59
これもメモに記載が無い列車、1326D?
11D くろしお1号
1325D キハ17+17+26+17
紀伊は終着紀伊勝浦から新宮に回送されており、順光で撮れむしろこちらがねらい目だった。
回4003レ DF50 24
122レ DF50 7
7号機までの初期型は前面窓が大きく明朗な印象だった。
284レ DF50 59
1914D はまゆう1号+紀州2号 キロ28を2両目、6両目に組み込んでいる。
305D きのくに5号
123レ DF50 24
1291レ DF50 59
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