煙の座談会
C11 70年の生涯を語る

〜保存機たちの四方山話〜
第1部 北海道編

「鉄・街・道」831列車様作

撮影者は特記ないものは作者によるものです。


1973年8月、日高本線静内機関支区での210号


 西暦2002年夏、ここ静岡県の大井川鉄道・千頭駅構内には全国から集まったC11型蒸気機関車の保存機の面々が久々の再会を果たし、それぞれの思い出話しに花を咲かせていた・・・。

開会の辞
主催者「本日は御多忙の中、当会場にお集まり頂き誠にありがとうございます。
本日の会合はC11型蒸気機関車が製造開始された昭和7年(1932)から数えて本年(2002年 平成14年)がちょうど70年という節目の年にあたり、この生誕70周年にあわせて、全国に保存されている仲間に集まっていただき、現役当時の思い出話しや保存の実情、また鉄道ファンや一般の方々に一言など、日頃の思いのたけを存分に語っていただこうという趣旨で開催することになりました。
会場は前回のC12さんの時もお世話になった大井川鐵道様にまたまたお骨折り頂き、ここ千頭駅のスペースをお借りすることになりました。
何と言っても大鐵様は弊形式C11の、ひいては日本の蒸気機関車の動態保存地のパイオニアとしての確固たる地位と各界からの評価も高く、227を始め312号と2両の動態C11を有しさらに3台目の190号も着々と復原完成に向けて整備中、また兄貴分のC108号も健在ということで、『C11の時もぜひここで』という皆様の御要望もありましてまたこの場を設けさせていただいたわけでございます。
ここで大鐵様の御好意に感謝の意味もこめまして、まずは参加者の皆様から拍手がわりの汽笛の吹奏をお願いします。」

(全機の『ボォ〜〜〜!』という汽笛の音が響く)

主催者「ありがとうございました。
それでは会談に入ります前に簡単ではありますがC11形式の説明と保存数などについて申し上げておきましょう。
御存知の通りC11は近代制式タンク機で、C10の改良増備として昭和7年(1932)から22年までに渡って国鉄向けには381両が製造されました。
長期間に製造されたため、外観は大きく分けて四つのグループに分類されます。1次型の23両(1〜23)は蒸気ダメが前・砂箱が後ろが特長、2次型の117両(24〜140)がもっとも一般的なスタイル、3次型の106両(141〜246)は2次型の水タンク容量を増やすなど若干軸重も変化しています。
4次型の135両(247〜381)はいわゆる戦時型で、蒸気ダメ・砂箱の角形化など各部に簡略化のあとが見られます。
 さて現役引退後の保存の件ですが、記録によればまがりなりにも機関車の形で各地に保存された記録のあるC11は53両ありました。
このうち当初から動態保存だった64(梅小路〜のち静態化)と227((大井川鉄道)、今後動態予定の190を含めた動態復原機は7両、保存後老朽化などのために解体されてしまったものが3両あり、この他にも保存場所まで決まりながら結局予定のままで実現しなかった仲間もおります。
詳しくは会合の中で出てくると思いますが、形態別では1次型〜1、2次型13、3次型19、4次型20となっております。
 以上の予備知識などを踏まえながら会を進めていきたいと思いますが、司会進行はやはり同じ仲間の方がよろしいかと考え、今回もまた今も動態で頑張っていらっしゃる方々にお願いいたしました。
全体をまとめていただく総合司会にはやはりお膝元の227号さんに、主に北海道地区を171・207さんに、東日本を325さん、西日本・四国を64・312さん、そして九州地区を現在動態保存に向けて着々と作業が進んでいる190号さんにお願いしたいと思うのですが、皆さんいかがでしょう?」

(万雷の拍手、いや汽笛が流れる)

主催者「それでは汽笛をもって承認とさせていただきます。
なお227号さんにつきましては兼任で申し訳ありませんが、東日本ほかの1両担当の地区のフォローなどもお願いできれば助かります。
それではマイクの方を227さんの方にお渡ししたいと思います、よろしくお願いします!」

227(S17日車 50―6釧路廃車 静態は経ず51年大井川鐵道にて動態保存)

               
                     日高本線時代の227号機 
            1973年4月5日静内〜東静内1896レ  燕号様ご提供

「ただいま御紹介に預かりました227です。
司会の大役を勤められるか甚だ心もとないものですが、皆さんの御協力を頼りにこの会を盛り上げてゆきたいと思いますので、ひとつよろしくお願いいたします。(拍手)
まず自己紹介ですが、もう皆さん御存知の通りのようですので割愛させていただき、また折を見てお話したいと思います。
それでは簡単にこの会の進め方について御説明いたします。
先日こちらで行われた『C12保存機大いに語る』を私オブザーバーとして横で聞いていたのですが、なかなかよかったと思いましたので、今回も同様にフリートークでまいりたいと思います。
ただきょう御出席の方々が約50両と多数のため、一応保存地区別にグループ分けし、北海道・東日本・西日本と四国・九州と四つのテーブル、いや扇型庫?を御用意しましたのでそちらの席にお着き下さい。
あ、もちろん皆さんお近くですので割り込みの発言大いにけっこうです。
保存地はここでも馴染みはあちら、という方も多数おられるところが保存蒸機の面白いところでもありますし、そのあたりの経緯や裏話などどんどんお出しください。
 ということでまずは171・207さんが頑張っていらっしゃる雪と氷とSLと、で人気の北海道地区からスタートいたしましょう。」
               
            1974年12月20日 標津線泉川 C11227 1393レ 撮影 TADA

第一部 北海道ブロック
171(S15川崎 50―6釧路廃車 標茶町桜町児童公園保存→平成11(1999)年5月JR北海道にて動態復原)
               
      2002年2月28日 かつて171号機が保存されていた公園には今はレプリカが。釧網線車窓より 撮影TADA

「北海道ブロックは私171と207の動態機が担当します。よろしくお願いたします。
簡単に自己紹介をいたしますと、私は当初稲沢などに配置され内地で働いておりましたが、20年代には北海道に渡り朱鞠内〜木古内〜苗穂〜長万部と主に道南で仕事をしていました。
最後は『C11最後の地』である道東釧路でしたので、今日お集りの方々の中にも知った顔が多く見えるのが嬉しいです。
50年の廃車後は標茶町で保存されておりましたが、1999年になって、ちょうどNHKテレビの連続ドラマ『すずらん』の舞台が北海道、それも鉄道員を描いたもので製作されたのがきっかけで、当初は真岡鐵道のC1266さんが出張されてロケなどが行われましたが、改めて蒸機の人気に目を付けたJRさんが惜しまれつつ運転を終了していたC623号さんの『C62ニセコ号』以来4年ぶりに復原を決定し、私が選ばれたわけです。復活デビューは同年5月の『SLすずらん号』で、留萌本線の深川〜留萌間で運行を開始し、すっかりいい気分になりました。
その後は懐かしい釧網本線やラベンダーの富良野線ほか道内各地の巡業に精を出しております。
どこへいっても多くのファンや遠来のお客様に囲まれ、やっぱり復活して良かったなあ、と改めて感じております。
現状は皆様御存知のようなので省略いたしますが、最近はもっぱら函館本線の二代目『SLニセコ号』として小樽〜倶知安を中心に運行し、時には函館などへも足を伸ばしております。
207号さんもお仲間に加わったので、行動範囲も拡がりました。」
227「なるほど、大型機の復活も熱望されていましたが、費用の面や運転線区の制限などを考えればC11の選定は当然ともいえたことでしょう。
留萌ならD51かD61、山線(函館本線 長万部〜小樽)はC62でなきゃいかん!というのは現役を知るファンの強い想いからのことでしょうが、なにC11だって立派な蒸気機関車です。
胸はっていこうじゃありませんか! ではつづいて207さんも自己紹介をどうぞ。」
                
                1974年12月20日標茶機関区 C11171 撮影TADA

207(S16日立 49―10長万部廃車 静内町山手公園保存→平成12(2000)年10月JR北海道にて動態復原)
「171さんが現状などはほとんど話していただけたので助かりました。
では自己紹介いたします。私の正面を見ておわかりのように、珍しい二つ目の前照灯を装備しているのですが、これが示すように生涯のほとんどを日高本線で過ごしたC11でした。
最後は長万部でしたが廃車後は故郷に帰り、静内で余生を過ごしていました。
171さんに遅れること約1年半、JR北海道2台目のC11動態機として苗穂工場で整備されました。
復活デビューは00-10-7の「SLニセコ号」で、待ち焦がれていた多くの蒸機ファンのシャッターを浴びました。幸いチャームポイントの二つ目はそのまま残されましたので、現役時代を知らない方々にはちょっと変わった印象を抱かれたのではないでしょうか?」
171「207さんの復活を聞いて私もお祝いを、と確か数日後には重連で運転しましたね。
まさかC62さんが驀進していたあの「山線」を30年後に私達が走るなんて思ってもいませんでした。
あ、それから「すずらん」の件ですが、テレビドラマが好評で映画化されることになり、その時はC12さんに代わって私がロケ列車の先頭に立ったのを思い出しました。(2000-2-21~24)」
                
          2000年10月12日然別〜銀山 C11207+171「SLニセコ」撮影TADA

227「ありがとうございました。ではそろそろ保存機の方々のお話を伺うことにしましょう。」

道内の保存機たち
171「さて北海道の保存機メンバーは(台帳をめくる)・・、!意外と少ないんですねえ。
阿寒の65さん、苫小牧の133さん、中標津の209さんそれに標津の224さんの4両ですか。
我々動態機を含めて6両というのはC11最後の地にしては少ないようですが、もっとも内地からの要望で海を渡った仲間も多いですし、蒸機全体からいったらやはり数は負けないでしょうね。
したがって道に想い出のある方々の発言も多くいただけるものかと思いますので御遠慮なくご発言ください。それではトップバッターの65さん、どうぞ!」

65(S10川崎 36―2高岡廃車後、雄別炭礦に譲渡 阿寒町保存)
              
     2001年9月「蒸気機関車ほか 鉄道保存車両について」やまてつ様ご提供

「どうも65と申します。
私は国鉄の籍を離れて最後は炭坑鉄道だったのですが、なぜか保存されこうして皆さんと再会できることができました。
意外なところにどっこい生きていたな、という感じで見られることが多いのですが確かにひとつ上の兄は元祖動態保存の64ですし、弟の66も四国に健在です。
その間にいた私はといえば、国鉄での最後は北陸.高岡の地で城端線などを担当していました。
36年に廃車となり、道東の雄別炭礦に移り、運炭列車を牽いていました。」

※65号機の雄別時代と保存の様子は「雄別の歴史」さんのサイト「鉄道編」にUPされています。

227「ということは65さんは道内の国鉄では働いたことはなかったのですね。
でも北海道といえば運炭鉄道、近代タンク機のC11を使用した私鉄や専用線も多かったと聞きますので働きがいはあったことでしょうね、ありがとうございました。では
続いて苫小牧の133さんどうぞ。」

133(S13日車 49―10釧路廃車 苫小牧市科学センター保存)
                
                 2002年4月 「北海道鉄道館」(休止中?)ぞら様ご提供
「製紙の街・苫小牧から来ました133です。
いやァ陸路も便利になったもんです。
室蘭線も近代化が進み、見たこともないような大きなDLが走っているし、青函トンネルも初体験、東北では新幹線がもう八戸まで来てるんですね。
驚きの連続でした。あ、自己紹介でしたね。
私は戦後から北海道に渡り、朱鞠内を経て30年代に標津線(管)〜釧路と移動しました。
最後も標津線でしたので釧路区ということです。
保存地はなぜか苫小牧ですが、こちらも日高本線でC11が馴染みだったせいか違和感はありません。」
171「どちらもブームの頃は道内のC11走行路線としてファンの人気が高かったところですね。」
133「そうですね、とはいえ蒸気機関車がまだ一大勢力だった昭和45年前後では、道内のC11はファンの方々にとってはメインではなく、まずC62ニセコさん、次に宗谷のC55さん、そして常紋や釧網・石北のD51・C58・9600さんを訪問してから、ああ、そうだC11もいたっけ、といった感じで回られていたようでしたよ。
確かに日高のC11は『二つ目』でちょっと目立ってはいましたが・・・。」
207「そうですねえ(手元の資料を見る)、確かにブームの頃の配置を見ても4機関区・21両ですか。
けっして少ない数ではないんですが、日高と標津関係を除くと地味な線で働いていましたし、共にC62さんの走る本線の近くときては、日程の限られた撮影行の方などは私達に目を向ける余裕はなかったのは仕方のないことかもしれません。」
171「そうそう、僕なんか長万部でしょう。まさにC62さんの檜舞台ですからね、瀬棚線も確かに景色は良いし、後のローカル線ブームなんかの時にはいっぱい乗りに来たファンもいたようだけど、やっぱりあの頃は『ニセコ』にはかないませんでしたよ。」
207「その『ニセコ』をいま私たちが牽いているという・・・(笑)、いやいや面白いものです。」
171「僕も一応走れるのだけれど、ニセコはともかく瀬棚線はレール自体がなくなってしまったのでちょっと残念です。せめて長万部〜国縫だけでも走りたいものですね。
そういえば207さんは瀬棚線のさよなら列車の牽引もしたんですよね。あ、司会が思い出話しをしてはいけませんね、では207さんどうぞ。」
             
    1974年4月3日標茶 燕号様ご提供    1974年12月20日標茶 休車のC11133 撮影TADA

* 瀬棚線さよなら列車 49―6―30長万部〜国縫〜瀬棚で運転  C11207牽引

* 昭和45〜6年の道内C11走行線区・配置区(年度内の若干の移動などあり〜在籍は45―6現在)
長万部3両(171・180・188) 瀬棚線ほか 
苗穂2両(99・228) 札沼線、周辺入換え
苫小牧9両(176・183・206・207・209・210・218・227・286) 日高本線
釧路7両(93・129・133・134・172・208・274)標津線

207(S16日立 49―10長万部廃車 静内町山手公園に保存〜JR北海道により動態復原)
「私も司会ですので簡単にしましょう。
自己紹介は先程済ませておりますので省略しますが、やはり思い出といえば長く過ごした苫小牧でのことでしょうかねえ。
新冠の判官館トンネル、静内の庫、絵笛に三石、浦河、そして終着・様似・・・・、沿線は意外と海は見えなかったけれど、牧場が多く、お馬さんとの出会いも楽しかったなあ。
こうして復原されたのだからいつか里帰りしたいとも思うのだけれど、今の馬さんたちは汽車なんて知らないだろうから驚かせてはいけないし、難しいところですね。」
227「次はその苫小牧グループのおひとり・209さんですね。」

209(S17日立 50―6釧路廃車 中標津町丸山公園保存)
               
       2000年5月「蒸気機関車ほか 鉄道保存車両について」やまてつ様ご提供

「207兄さん、御無沙汰です。
私は最後が釧路組だったので保存は沿線、おっともう標津線はなくなっちゃったっけ、まあその当時は沿線だった中標津町に落ち着きました。
ええ、何とか形は保ってますよ。もちろん二つ目で。
本州へ行った弟の210は保存はされたのだけれどどうも按配がよくないようで、ライトも一つになったと風の便りに聞いていますが・・・?」
171「ああ210さんなあそこにいますよ。後で聞いてみましょう。
ところで日高本線ではどのようなところでファンの方に会いましたか?」
207「う〜ん、さっきも話したのだけれど、日高本線は地図で見るほど海岸線には沿っていなくて、さりとて急勾配の区間が多い山中でもなかったので「これは!」という有名撮影地はなかったのだけれど、一応撮影地ガイドなどで紹介されたところは鵡川橋梁・日高門別〜豊郷の海岸線・厚真付近の厚別川・新冠の判官館トンネルと古川橋梁・静内機関支区・春立付近の勾配・日高三石付近・絵笛の牧場・浦河〜鵜苫の
海岸・終着駅様似・・・、とこんなところかなあ。」
171「207さん、けっこうあるじゃないですか!」
209「まあ距離も長いからそれなりに走っていてあちこちでカメラを構えているファンを見ていると『なるほど良く調べているなあ』と感心したものです。
1日費やせばDCなどで移動すればかなりの本数やシャッターチャンスを得られたようでしたね。
そして日高といえば競走馬のふるさと、放牧された馬とからめてというのが何かここの歌い文句になっていましたしね。」
207「そうそう!だから我々C11も『日高のサラブレッド』なる愛称も頂きました。
小海線のC56さんの『高原のポニー』ほど有名にはなれませんでしたけれど(笑)」
227「○○本線と名が付いた比較的長い線で、その主力機としてC11が活躍していたのはこの日高だけだったんじゃないかなあ、もっとも本線といっても富内線があったおかげだけれど・・・。」
209「そうそう、この特長の二つ目だって、もともとは富内線の線路状況によって整備されたものだったのだし・・・・。」

* 207の添乗記事
「蒸気機関車」14号(46―7月号)の北海道大特集の中で、日高本線の静内〜様似間を機関車内の様子をルポする『静内〜様似 快走3時間』というものがあるが、この時に登場したカマが207号であった。

227「日高の仲間の思い出話が長くなってしまいました。それでは道内最後の保存機の方の発言をお願いします。おお、224兄さん御無沙汰です。」

224(S16日車 50―6釧路廃車 標津町中央公民館保存)
               
     2000年5月 「蒸気機関車ほか 鉄道保存車両について」やまてつ様ご提供

「釧路組のひとり・224です。私は道では新参者でして、青森の大湊に長くおりました。47年に御用を解かれて海峡を渡り、皆さんと一緒に根釧原野を走ったわけです。現在はゆかりの標津町の公民館におりますが、状態はまあまあとはいうものの、露天なので屋根が欲しいところです。」
               
             1974年12月20日標津線泉川 C11224 380レ 撮影TADA

171「どうもありがとうございました。以上が現在も道内に保存されている方々でしたが、続いて主に北海道で活躍し、内地で御健在の皆さんのお話を伺いましょう。
まずは海峡を隔てた青森の210さん、どうぞ。」

210(S17日立 48  小牛田廃車 青森県野辺地町愛宕公園保存)
               
                  「とらやの写真箱」寅さんご提供

「陸奥湾を望む野辺地の町からやってきました210です。
いや〜みなさんお懐かしい!特にともに日高で働いた207・209兄さんは番号も近いし本当にあの頃を思い出しましたよ。
え〜とりあえず自己紹介いたしますが、実は私は209兄さんとほとんど同じなんですよね。」
209「え?そうだったけか。そういえば210くんは私の移動するたびにいつも付いて来ていましたよね(笑)。」
210「そうなんですよ、24年に静内そして苫小牧に統合されてもずっと一緒でした。
ただ最後は兄さんは釧路へ行きましたが、私は海を渡って小牛田区に移り、石巻線が職場になりました。
米どころ宮城平野のど真ん中を走るので勾配は緩いもののその分定数が高く、繁忙期にはえらく長い貨物を持たされていました。
ま、それだけ働きがいもありましたが・・・。」
171「ほう、じゃあ晩年も210さんは頑張っていたのですね、でも平野ばかりでは日高から見た太平洋のながめが恋しくなりませんでしたか?」
210「う〜ん、海という面ではこちらも石巻を過ぎて終着女川までの区間は海沿いでしたので、潮の香りをかぎながら過ごすことはできました。
もっとも万石浦という湾でしたので、いつも穏やかなものでしたが・・・、そうそうこの区間は本数がぐっと少なくなるので風景の良さに反して撮影効率は悪かったので、ファンの方も訪問しにくかったようです。
一日数往復の貨物、時には女川港にあがった鮮魚や仙台名物の牡蠣などを運んだのも懐かしいです。」
207「そうでしたか、210さんは内地では珍しい二つ目C11ということで石巻では人気を集めていたとは聞きますが、今は普通になってしまったのですね。
そのことなどを含めた保存の経緯や現状などについては次の北東北分科会でお聞きしますので、よろしくお願いします。」
                     
             1974年3月18日石巻線涌谷 C11210 1871レ 撮影TADA

171「では続いては大阪からお越しの218さんですね。」
218(S16日車 50―3釧路廃車 堺市料理店『はや』保存)
               
    2003年7月「蒸気機関車ほか 鉄道保存車両について」やまてつ様ご提供

「いや〜みなさん御無沙汰ですぅ!すっかり大坂弁が板に付いてしもうてすんまへん。
もう30年近くもたってしまったとは・・・・、171さん207さん御活躍はよう聞いてますよ。
209さんも苫小牧で一緒でしたね〜いや懐かしいわ。
おっと自己紹介せなあかんですね。
私は戦後は朱鞠内から岩見沢、そして苫小牧と移動しまして最後は釧路でした。
なんか道内を南下〜東進した感じですわ。日高では207さんほか二つ目の方々とはよく庫でお話しましたね。」
207「そうでしたね、ところで218さんは岩見沢にいた時は万字線にも入っていたのですか?」
218「ええ、そうでしたよ。考えてみればC11が道内で客車を牽く姿って意外と早くになくなっていて40年代半ばではもうほとんど見られなかったんじゃないかなあ?」

171「となると釧路を含めた道東になじみの皆さんがやはり多い様ですのでそのへんの思い出や裏話など何かありますでしょうか?」

227「そうですね、これは当時の保存に関することでもあり、微妙な問題も含んでいたことなのですが、もうかなり年月が立ちましたし、まさに『数奇な運命』というキーワードがぴったりなことなので、この際お話しましょう。」
171「なんですか227さん、興味深いですねえ、それは僕にも関係してくるんですか?」
227「ええ、もちろん171さんも207さんも登場しますよ。ちょっと長くなりますが、まあ聞いて下さい。
題して『北海道最後の(=国鉄最後)C11たちの数奇な運命〜176号を中心に〜』です。」
(227がメモを元に語り出す)
『・・・蒸気機関車の終焉も近い昭和50年(1975)3月、最後に残った道内のC11が7両(171・176・209・218・224・227・274)釧路局内に存在していた。
ほぼ近辺の無煙化も済み、まず218が保存のため大阪へ送られた。残りの6両も6月頃にみな廃車通達が出つつも保存の引き合いが相次いでいたため現車は274の解体を除いてあちこちに残され、長いものでは廃車後4年間も保管という状態だった。
 その後残った5両のうち、結局4両が安住の地を見い出し予定通り保存された。
なかでも227は大井川鐵道での動態保存となり、171は後年動態復原の幸運を引き当てている。
しかし唯一保存されなかった176号は、熊本県宇土市からの保存要請がありながら、さまざまな思惑に翻弄されて結局解体されてしまったのである。
 この不運なカマ・176であるが、さらにこの機関車は釧路以前に在籍していた長万部では(49―3―31現在)何と171・207と一緒に働いていたのである。
ここでも自分以外の2両はいまや動態保存機なのである。
 さらに176に関連して、同じ道内で働いていた4番違いの弟機・180の存在がある。
180のフランチャイズはもっぱら道南の長万部で、176が来る少し前まで所属していた。(48―3―31現在 171・180・188)
180は48年夏に廃車されたので、いわば176は180の代わりに長万部に赴任したともいえる。
そしてここから180の幸運が始まる。
 廃車された180は道内の大沼町での保存が予定されており、その後6年あまりも保管されていた。(54―9頃まで)
しかしこの保存は中止となり、180は176と同じ運命をたどるかに思われた。
ところが何故か180は京都の梅小路機関区に送られ、多くの動態保存機に混じってしばらく解体待ちのような姿を晒していたが、最終的には京都府宇治市に再保存が決定したのである。
 同じ北海道でSL最終期まで働き、保存も予定されて長期間保管されながら、片方は
解体、片方は紆余曲折を経て一旦中止になりながらも保存された4番違いの兄弟機に人生と同じような数奇な運命を思わずにはいられない。
 ちなみに176は180の保存地に近い関西の竜華区に在籍していたことがあり、まさに保存地宇治では180が176の代役を果たしているともいえる。
そして176の幻の保存地だった熊本県宇土市は、現在大井川鐵道で動態復原作業が進んでいる190号が保存されていた熊本県八代市にも近いのであった。
171・190・207とそれほど離れていない番号の兄弟はみな動態というこのうえない人(カマ)生に恵まれたのに比べ、意外な結末を迎えてしまった176号がもし言葉を発せられたら何を語ることであろうか・・・。
なお釧路の7両のC11のうち、最初に解体された274号の動輪とナンバープレートは北海道鉄道学園(当時)に保管され、今も同僚の活躍を見つめている、ということである。』
227「以上です。」
全員「・・・・・・・」
 
     
                      悲運の機関車176号 2枚共燕号様ご提供
 1973年4月5日日高本線日高三石〜日高東別883レ 1974年3月25日瀬棚線国縫〜茶屋川1991レ
              
                   
                   1977年4月1日 梅小路に留置されていた180号

207「北海道ブロックの方々の発言は一段落いたしましたので、次は北東北ブロックにまいりたいと思います。
その前に付け加えておきたいことがありますので少々お時間を下さい。
道内で活躍されたC11の中で、元・国鉄機だった65号さん以外で私鉄・専用線で生涯を終えられた方、つまり自社発注で誕生されたC11形式の仲間が2両ほど保存された記録が残っています。
1両は最後が釧路開発埠頭にいらっしゃったC111号さん、もう1両は大夕張鉄道に所属していたC1101号さんです。
前者のC111さんは元々は近江の江若鉄道におられた方で、『ひえい』という愛称もお持ちでした。
後に道内の雄別鉄道に移籍し、運炭列車などを牽引され、釧路へと移られたと聞いております。
その後道内某所の個人の方に引き取られたとのことで、どうにか保存されたようなのですが、その後の消息は一向に解りません。
なんとか今回伝手をたどって御招待の連絡を差し上げたのですが、『諸般の事情があって今は表にでられません。ただ幸いにも今は夜露には濡れず、冬の雪にも耐えられる室内に置かれており、そのうち良いことがあると思い毎日過ごしておりますので、皆様御安心下さい。』との御返事がありました。
どうやら息災とのことです。会議には出席できないことだけその旨御理解いただきたく思います。」
171「また大夕張のC1101さんですが、こちらも元の所有者は雄別炭礦尺別鉄道さんでした。
そして保存先は遠く三重県に作られた『長島温泉SLランド』というところで、全国から集められた主に産業用の蒸気機関車やD51さん、また部品などが展示され、一時は尾小屋のナロー蒸機さんなどの運転なども開催され結構賑わっていたようなのですが、いかんせんブームを当て込んだような展望のない施設だったのか、いつとはなしに閉鎖され、展示されていた機関車たちも雲散霧消してしまったようなのです。
したがってC1101さんも行方知れず・・・、もうずいぶんたちますので、どこかでひっそりと、という訳にはいかないでしょうねぇ・・・・。」

227「まさに汽車にも歴史あり、ということなのですね。
そういった過去を振り返りつつ、保存の現状にも目を向けていただき、いまある姿を大切にしていただきたいと管理者や所有者の方々にお願いしたいものです。
また訪れるファンの皆さんも個々の機関車のたどった歴史や保存の意義などについて考えてもらえれば嬉しいものです。」
 以上で北海道ブロックの話は終了とさせていただき、引き続き東北地区へと移らせていただきます。
みなさんありがとうございました。」

* 道内C11運行路線の無煙化日(主力機種として運行していた線)
富内線38―10、万字線43―10、札沼線48―10、日高本線49―2―7、
瀬棚線49―6―23、標津線50―4―24

                第2部 東北編その1へ

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