復活した鐵聯E103

西武鉄道安比奈貨物駅跡に放置され、その後ユネスコ村に保存、同所閉鎖後は丸瀬布いこいの森に移設された機関車。
2002年に製造元のドイツに里帰りし、2014年動態復元のお披露目がされた。
その様子を花井様からご提供いただきました。


*もと鉄道聯隊E103の動態復元完成について

2002年に日本から母国ドイツに帰還して、フランクフルト軽便鉄道博物館(FFM)にて動態復元を目指していた、
もと鉄道聯隊E103(O&K 製番11073/1925)は、今年はじめには組み立てを完了。
3月下旬には試運転にも成功して、夏のお披露目を待っていました。

3月の試運転に立ち会えなかった私は、5月31日と6月1日に開催される旅団機関車HF312の100年祭に参加することにしました。
ただしE103に関しては、今回は監督局の許可がないので火を入れられないと言われており、走りはまったく期待せずに行きましたが、
ボルジッヒ製旅団機関車HF312の100周年記念に、近隣の保存鉄道からヘンシェル製旅団機関車HF945をゲストに迎えるということで、
このような、またとない機会に、せっかくだから軍用軽便機関車3台を並べてほしいとお願いして出発しました。

ところが、イベント前日の金曜日にHF945の到着撮影のため FFMに行くとすでに同機は到着しており、「計画の変更で水曜日に来た」
「その時はE103が引いたんだよ」と会長は言い「ボイラを触ってごらん」とニッコリ。触ってみるとE103のボイラはほのかに温かく、
突然なんとも表現できない気持ちがこみ上げてきました。さらに会長はなんと「日曜日には走るよ」とのたまったのです!


その後は怒濤の「計画変更」で、早くも土曜日の午後にはE103に火を入れて軍用軽便機関車3台が美しいレブシュトック・パークを
駈けまわり、E形+D形やD形+D形の重連、E形+テンダ、D形+テンダなどなど編成を変えてのフォトセッションを繰り返したのです。
洋の東西を問わず「撮り鉄」の生態というのは似たようなもので、要所要所にできる撮影ラインを眺めておりますと、
驚いたことに、皆口々に「ヤーパン、ヤーパン」と語っており、E103が日本から帰った機関車であることをよく知っているのでした。
さらには「あなたに会いたかったんだ」「あなたが来るのを待っていたよ」と何人もの人々から声をかけられてしまい、
撮影よりも彼らと話す時間の方が長くなってしまいました。
イギリス、フランス、スイス、ポーランドなど保存鉄道関係者が多かったようです。


日本人や中国人を含むたくさんの一般来場者は第一機関庫周辺でソーセージやケーキとビールなどの飲み物でお祭りを楽しんでいます。
「今日は世界中から人が来るよ」と言った副会長のファッハさんは、日曜日には朝から作業服を着てE103の機関士を勤めましたので、
お願いしてキャブに添乗させてもらいました。
E形は軽便機関車としては大形ですが、キャブ内はやはり狭く火室が入り込んでいるのでその前に立っているととても熱いです。
最初の駅で外に逃げていると、ファッハさんが「マサヒロ!」と大声で呼びます。
何かと思えばお前が運転しろと言うのでした。これはチャンスとばかりにレバーを前に倒しますが、これが固い!
私は運転に関してはまったくの素人で、今回が初めての体験でしたが、これが非常に面白いんですね。
これからは必ず運転させてもらおうと思ったくらいです。

公園の線路を走るE103は快調そのもので、ギヤ駆動とはまったく思えないスムーズな動きで滑るように走ります。
帝国陸軍が採用した双合機関車は力不足で、双合の1.5倍もパワーのあるE形を書類審査だけで惚れ込み、
臼井茂信さんの言葉を借りれば、「盲目的に」導入したのもむべなるかなと思わせる実に力強いものです。
それを21世紀になってこの目で確かめられたのは幸運でした。
ぜひ日本の皆さまにも実際にご覧いただきたいと願っています。やはり「百聞は一見にしかず」です。
ボイラ中心の高い原形はかなり大きく感じます。


この画像は糸魚川を思い出すという人がいますね。


私はドイツとオランダの保存鉄道しか知りませんが、どちらも次の世代を育てていますし、子供たちを教育することを常にやっています。
日本に一番足りないのはこの点だといつも思います。

そして、企業をはじめどの分野でも後継者不足が深刻な問題となっていますが、これも結局は後継者を育てる努力をしていないからです。
私が勤めていた会社では、社長に「自分の仕事はできて当たり前、人を育てて初めて一人前」と言われ続けましたが、
こういうことを言う経営者はいなくなってしまったのでしょうか?
目につくのは、おのれの既得権益にしがみつく醜い老害ばかりだと感じます。
これでは、人が育つどころか去っていってしまうのも無理はないです。
昔の日本人はもっと人を育てていたはずなんですが・・・

今回、FFMの前にオランダの保存鉄道にも行きましたが、ここでは一部区間を運休して保線工事をしていました。
作業をしているボランティアの人が話しかけて来て「あいつは俺の息子だよ、子供に跡を継がせるのが一番良いんだよ!」と言いました。
案内をしてくれた人も自分の息子を連れてきて紹介されました。
彼が跡を継ぐのかどうかは知りませんが、父親はそういう努力はしている、ということでしょう。
いろいろ話を聞いていると、ボランティアは休日の全てを捧げているわけでもなく、土曜日働いたら日曜日は家族と一緒に過ごすと言っていました。
核家族の日本とはこの辺りの感覚も違うなぁ、と感じました。

丸瀬布のE103が年々朽ち果てていくのが忍びなく、FFMに手紙を書いたのが2000年4月、それから14年経って夢が叶いましたが、
保存先をFFMに決めた理由のひとつが組織が若返っていたことです。
昔の写真を見るとお年寄りがいるのですが、14年前すでに会長も副会長も現在のメンバーに代わっていました。
早い時期に世代交代が行われていたわけです。かれらは私より10歳以上若いです。
そして、初めて行った時に金髪の中学生が大人に混じって一生懸命働いていたことも忘れられないことです。
彼は拙い英語で私に一生懸命話しかけてきました。ここには将来性があると私は直感しました。
もちろん、その他にも技術力や資金力などの別の要素も多々ありますが、
やはり一度現地を視察して経験したことが決定打になったと思います。

そのFFMでは2年前、ファッハ氏が本業で時間がないということで、彼の次男が私をアテンドしてくれました。
身体は私より大きいですが当時まだ14歳。
でも、その彼が「これは僕と友人で直してる機関車です」と小さなDLを見せてくれました。
FFMには蒸機以外にたくさんの車輛がありますが、それらのほとんどはこうした若い人たちが直して技術の伝承も行われています。
また、助士として蒸機に乗り、手や顔を真っ黒にして働いていました。
帰国後ファッハ氏に「君は立派な後継者を育てたね」とメールすると、かなり嬉しかったようで、会長たちにCCで送っていました。
今回その子は私を見つけると真先に握手をしにきてくれましたが、背はさらに延び、顔が大人っぽくなって驚きました。
そのことを彼の母親に話すと、家族で一番背が高くなったと喜んでいました。


私はE103を送り出した当事者として多くの皆様にご覧いただきたいと考えています。
安比奈や丸瀬布での赤錆た廃車体をご存じの皆様には、原形に復元された生きた姿は感動的ですらあると思います。
ぜひ一度フランクフルトへお出かけください。
なお、FFMにはたくさんの蒸気機関車がありE103はいつも動くわけではありませんので、
運転日などはホームページでご確認ください。
 http://www.feldbahn-ffm.de/



フランクフルト軽便鉄道博物館協会終身名誉会員(Frankfurter 
Feldbahnmuseum e.V.  Lifelong honorary member )花井正弘



ユネスコ村・丸瀬布時代の様子はこちら

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