「時刻表2万キロ」への旅

旅行作家宮脇俊三先生が亡くなったのは2003年2月。
第1作である「時刻表2万キロ」以来、先生の著作を読んできた者にとって計り知れない悲しい知らせだった。

先生が国鉄路線の完乗を果たした足尾線間藤駅に当時と同じ14:25に到着する列車があることを知り、
先生の完乗日である5月28日に訪ねた。
撮影日 2003年5月28日

 
先生が最後の1線、足尾線足尾〜間藤1.3Kmに乗車されたのは1977年5月28日。
上野発10:17「あかぎ2号」で出発された。

25年前とほぼ同じ時間の上野発10:15快速「アーバン」で「時刻表2万キロ」の終着駅への旅をスタートした。


高崎で11:57発両毛線451Mに乗り換え。107系4連だった。


桐生の駅は新しい高架駅になっていた。
足尾線を引き継いだわたらせ渓谷鉄道725Dは12:56発の2連。
先生が乗車された12:42発はやはり2連だった。
「土曜日なので高校生がぎっしりつまっている。」
と書かれているが、この日もちょうど試験なのか帰宅の高校生が大勢乗っていた。


わたらせ渓谷鉄道は国鉄時代の駅舎をそのまま使っている駅が少なくない。
が、どの駅もきれいに手入れされている。
水沼での交換列車。


水沼では渡良瀬川にこいのぼりが泳いでいた。


最後の一区間、足尾〜間藤で運転士さんにお願いして「時刻表2万キロ」の本を正面窓に置かせてもらった。


「にわかに沿線の山肌が荒涼としたものに変わった。草木がほとんど姿を消し、鋭い岩が突き出ている。
その間をディーゼルカーは思いなしか生気なくゆるゆると走り、
しかしわずか一・三キロだからすぐ停まった。間藤である。」
宮脇俊三氏「時刻表2万キロ」より引用。

25年の歳月は荒涼とした風景も緑のなかのものに変えていた。


列車は25年前と同じ14:25間藤に着いた。


当時も今も無人の間藤駅。
駅舎内には先生の著作を集めた展示がされていた。

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