専用線の機関車たち
大日本鉱業発盛精錬所

五能線八森駅から伸びる専用線に奇妙な電気機関車がいた。
ここを訪ねるきっかけとなったのはある雑誌の五能線ルポ。
「八森駅では屋台にポールを付けた電気機関車が・・・」という一節。
写真もなく、他にレポートもなく、行ってみるまでどんな場所かも分からなかった。
撮影日 1976年3月27日

訪問時には大日本鉱業だったが、その年に同社解散により日本海金属となった。


八森駅 五能線1731D キハ11+20のいかにもローカル線といった編成。


駅から専用線沿いに歩いてゆくとお目当ての機関車がいたが、ポールを外されて放置状態?


連結器は片側にしか付いていない。前面の鉄板はスノープロウだろうか。
奇妙な形の機関車だが、草軽でおなじみのL型電機に風除けの車体をかぶせた格好だ。


奥の機関庫(?)にもう1両機関車がいた。
手前のクロスはかたやナローのようだ。


まぁとくとこの横顔をご覧ください。


画面中央に機関車がいるのが見えるでしょうか。


構内の様子、トラが2両積載で止まっているのがこの専用線が活動している証。


注意して見ないと架線が張られているのかも定かでない。
多分工場側から国鉄線の方を見ていると思う。




構内にあった平面クロス、これはどう見ても610mmクラスのナローだ。
ネガにあったのはこれだけ、トロッコの1台も見かけなかったのだろうか。

わざわざ時間をさいて訪れた八森だが、撮影したコマはたったのこれだけだ。
折り返し五能線列車の時間までの約1時間半、もっと撮影できたと今では思うが・・・


掲示板に私とほぼ同時期に訪問された永野様より訪問記の投稿をいただきました。
画像もお送りいただきました、ゲテモノ電機の姿をご堪能ください。

「私も1976年3月の春休みに八森を尋ねました。
以前から五能線の蒸気機関車を撮影に行くたびに明らかにポール集電用架線が駅構内まで架設してあるので、気にはなっていました。
蒸気機関車がすべて廃止になったので昔の五能線を思い出しながら八森で降りました。
工場の正門から事務所を訪ね受付の女の子に来意を告げると??…とうとう総務課長氏がお出まし、当時私は教員成り立てだっので名刺を差し出すと、「東京さからいらっしゃった先生様であられますか!」
こちらもビックリでちょうど昼休みなので、工場全体の電源を落としているので、動くまで応接室でご休憩下さいと案内されコーヒーまでご馳走になりました。
電源が入るまで一時間近くあり、動かなくても写真撮影は可能であろうと、許可を受けヤードに向かいました。そこに居たのは世にも奇怪なる電気機関車で、運転士氏ともども日向ぼっこ?の体でした。
運転士にいろいろとお話を伺った所、この機関車の電圧は300Vだそうで、工場の機械類と電圧をそろえているとかでした。
今になりよくよく考えると、工場の機械類のモーターは三相交流を用いるのが常と思われますが、この機関車はどう考えても直流ではないか?どのような電機方式を用いているのかあの当時もっと質問しておけば…今となってはナゾであります。
動態の機関車は確か銘板に昭和32年三菱製とありました。さらに横には廃車体があり、これも記憶によると昭和24年東芝のプレートをつけていました。
工場の昼休みが終わり、電源が入ったのでこの怪しげな電気機関車は入替えを開始!
逆方向に走るときは、いちいちポール回しをせず、いわゆる逆さポールで運転、架線もいい加減なものですが、ポールなのでうまく追従し、アレがパンタグラフであれば絶対に無理であることに妙に感心させられました。
当時日本では京福電鉄叡山線にポール電車が残っていましたが、スライダー・シューを装備して、ポールの先に滑車が着いているのは、わが国唯一の存在と認識いたしました。
それにしても架線が垂れ下がり、ワラ1形貨車の屋根に架線が接触、バチバチと火花を飛ばしながらも入替えをおこなう情景に唖然とさせられました。
外国の開発途上国ならいざ知らず、わが国でこのような情景に接するとは未だに信じがたいことであります。
この精錬工場の名称を失念いたし、インターネットで検索の結果このサイトに行き当たり、投稿並びに私のパソコンにスキャナー済みの写真をとりあえずご紹介させていただく次第です。
アレから30年余り、私も2007年4月から退職いたします。」





うぅむ、私もこいつが動いているところを見てみたかったものです。
貴重なレポート、画像をご提供いただきありがとうございました。(TADA)

永野さんからはさらにカラー画像もお送りいただきました。
この不思議な機関車のカラーリングははたしていかに?

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