日立電鉄1982・5
その1 大甕・久慈浜

関東のローカル私鉄のなかで日立電鉄は東京から遠い、車両的にいまひとつ面白みに欠けるなどの理由でなかなか訪問しなかった。
水郡線の未乗区間、上菅谷〜常陸太田を乗るついでに大甕〜常北太田に乗ってきた。
撮影日 1982年5月16日


大甕の側線に留置の元小田急モハ1003と元静鉄クモハ110。
静鉄車導入後、在来車も画像の色の静鉄色に変更されていった。






モハ1003は小田急から相模鉄道を経て日立電鉄に入線。
日立に来てから運転台を増設され前後で違う顔つきになった。


大甕に到着した鮎川行きモハ15。


3番線に常北太田行きモハ11(12?)+モハ9が到着。


後ろのモハ9は切り離されて鮎川方に引き上げる。


側線に入ってきたモハ9。ホームには鮎川行きがまだ停車中。
大甕では国鉄と接続をとるため長時間停車することもしばしばだった。


さらに折り返して側線へ。モハ9の運転台は半室のため乗務員ドアは片側にしかない。
日立電鉄の両運転台モハは片側非貫通、片側貫通が多かった。


発車を待つモハ15、元は相模鉄道の流線型電気式ディーゼルカー。




台車は気動車時代からの菱枠形。


当時の日立電鉄はラッシュ時と日中のワンマン用を分けており、路線規模のわりに車両数が多かった。
ラッシュ用の編成は出番が終わると鮎川、大甕、常北太田に留置されていた。


大甕の撮影を終えて車庫のある久慈浜へ移動。


久慈浜には車庫はあるものの、車両は前述のように起終点と大甕にほとんど留置されており、入場中のサハ1501だけ撮影している。


日立電鉄はラッシュ用の編成にローカル私鉄では珍しい付随車と中間電動車がいた。


ロッド式の5tクラスの移動機。




エンジンルームのカーブがなかなか古典的。薄っぺらい自連もご愛嬌。


久慈浜に到着するモハ10。




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