かつては加賀平野の北陸本線の各駅からといっていいほどの路線を持っていた北陸鉄道。
訪問時にはすでに加南線、金石線、能登線、市内線はなく、浅野川線、小松線と
石川総線と呼ばれた野町〜加賀一の宮の石川線、鶴来〜寺井の能美線、加賀一の宮〜白山下の金名線が残っていた。
能美線、金名線は日中の運転はなく、半日だけの訪問だったので車庫のある鶴来まで西金沢から往復した。
撮影日 1977年3月22日
西金沢、鶴来行きモハ3732先頭の2連が野町からやってきた。
西金沢の側線に待機していたED201、ラッセルヘッドを取り付けるための支柱がものものしい。
額住宅前、元名鉄モ3300の車体を持つクハ1722を先頭にした野町行き2連。
交換で鶴来に向けて発車してゆくモハ3732+モハ3751、行き先札は前部のみに掲示していた。
乙丸、ラッシュが終わり単行の野町行きモハ3712。日中は小駅通過の準急のみで運転されていた。
貫通扉の窓が長く、独特の顔付きだ。
乙丸〜四十万、ラッシュ時に一往復する元名鉄車3連が鶴来に戻ってゆく。
このあたりはすっかりベッドタウンとなっている。
クハ1723+モハ3731
元名鉄モ3300同士の2連モハ3772+クハ1722。
モハは両運転台だが、増結用のクハは野町方の片運転台だった。
四十万〜曽谷、このあたりまで来ると田んぼが広がり山も近づいてきた。モハ3761。
1951年製のモハ5100を間接制御に改造したモハ3761、車内はそこそこお客さんが乗っているようだ。
後に車体更新され、ノーシル・ノーヘッダーの車体となった。
モハ3761は能美線辰口温泉駅跡に程近い能美市立博物館に保存されている。
曽谷、モハ3712。カラーはこのヒトコマのみ。
モハ3710形は1925年(T14年)製造のモハ1500を1964年に制御器、車体更新改造したもの。
屋根は元のままなのでノーシル・ノーヘッダーの車体に深い屋根というアンバランスなスタイルとなった。
道法寺を出発するモハ3711。
モハ3711は前面窓3枚の高さがすべて違うという不安定なお顔だった。
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