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当サイト「汽車・電車1971〜」主宰のTADA氏が、2025年9月23日に逝去されました。 ここに謹んでご通知申し上げます。 当面の間、掲示板 への書き込みをできるようにいたしますので、 保存車活動に特に熱心だった氏へ、皆様からお言葉等お寄せいただければ幸いです。 |

762mmと600mm(?)が入り乱れる構内。

鉱山施設のほぼ全景。
中央の上屋からケーブルでポッパーへとトロッコが引き上げられる。

最初の画像の中央に見えるこの建物が坑道。
ワイヤーワークで何両かつながったトロッコが勢い良く飛び出してくる。

坑道を出たトロッコは90度曲がり、
上屋を通り抜けケーブルでポッパーへ引き上げられる。

ケーブルの途中でなぜか平面交差している。

クロス部のアップ。

本線脇になにやらハシゴ状のものが。

このように使うものだった。
762mmの本線上に600mmのレールを置いてクロスさせている。

2箇所の平面クロス、左はレール設置、右は外してある。

こちらは外してある状態。

ホッパー全景、周りには資材がいたるところに積んであった。
トロッコの往来は頻繁で炭坑は盛業中のようだった。


新井から再び鳥籠列車に乗り草[土具]に戻る。
自転車も降りていった。

交換でダンボール箱を積んだ貨車1両の貨物列車が出発していった。

No7にカメラを向けたら機関士さんが笑って手を振ってくれた。
鉄道関係者も沿線住民も友好的で楽しく路線探訪ができた。
旅客も多く貨物の運転も頻繁で路線は活況を示しているようだが
帰国後調べてみたら2004年に沫江煤砿は経営者が変わり、
人員のリストラもおこなわれたようだ。
中国では経済発展にともないエネルギー源としての石炭が高騰し
炭坑は増産が図られているが、一方で事故も続発している。
政府は零細炭坑の閉鎖を進めている。
中国の蒸気機関車の運転状況は日本の1975年、国鉄蒸機終焉の年に例えられるが
思えばそのころ蒸機と一緒に炭坑鉄道、ナローが日本国内でどんどん姿を消していった。
沫江煤砿の路線も2002年に向陽線の先端部分が廃止されている。
道路整備も進む今日、この鳥籠列車はいつまで走るのだろうか。