モノクロームの残影 談話室より
集煙装置 その1

忠賢八高様主宰のサイト「モノクロームの残影」(現在休止中)談話室に書き込みされた
集煙装置に関する記事を編集しました。
この件に関することやお気づきになったことなど掲示板に書き込みいただければ幸いです。

なお、このページは忠賢八高様のご確認いただきまして、TADAが編集
アップロードしました。表示等につきましては、こちらへご連絡ください。

  
諏訪湖畔に保存されているD51824とともに展示(?)されている長工式集煙装置
「鐵乃城」やっさん様ご提供


集煙装置作動中!木曽川橋梁を渡りトンネルに向かう長工式装備のD51
「轍楽乃路」田駄雄作様ご提供

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[No.1610] 8630 58660 C5736 D51551他 投稿者:吉野富雄  2002-03-06 (水)  23:35

  <URL: http://homepage2.nifty.com/SAKU1967/>

最後にC5736の排煙装置とD51551デフレクタの装飾について・・・

こちらは、先日831列車様より弊掲示板にいただいた話題ですが、調べてみると結構興味深いので、こちらにも書き込みさせていただきます。831列車様、ご了解ください。

「鉄道ファン」1990年4月号を見ると、C5736には確かに煙突脇に小デフがありますね。さらに煙突そのものにもカバー(?)がついていて、独特の外観になっています。

排煙効果向上のために試験的に取り付けたとのことですが、取り付け時期と取り付け工場は不明とのことです。このような本文の書き方からみて、どうも名古屋時代に取り付けられたものではなさそうです。ちなみに、同機は名古屋へ来る前は高崎区に所属していたようです。

排煙効果の試験としては、昭和初期に8620,C51,C53などを使用したものが有名ですが、C5736もこれらの機関車と同様の目的で取り付けたのでしょうか?謎が深まる一方です。

C5736は、その後豊岡、福知山を経て最後は宮崎区で昭和46年まで使用されていたそうですが、宮崎時代までついていたとは思えません。いつごろ取り外したのかも疑問ですね。どなたかこの辺りの事情をご存じでしたら、ご教示をお願いします。

D51551、確かにデフレクタに長方形のマークが付いていて、文字が3文字書いてあるように見えますね。同機は名古屋区のD51の中でもっとも好調だったということですから、「模範機」のようなマークを付けていたのでしょうか?電車の話になりますが、昭和20年代特に整備の行き届いた電車には、そのことをあらわすマークが付いていたという話を聞いたことがありますので、同じようなものかもしれません。

昭和30年8月1日現在、名古屋区には201,551,686,777,821,825,826,947の8両のD51が配置されていました。(「蒸気機関車」1979年7月号より)当時は準急「しなの」の名古屋〜塩尻間往復というロングラン運用があり、この運用に耐えられる機関車が限られていたため、交番に苦労したそうです。一番の好調機が551、その次が825だったそうです。「蒸気機関車」1979年9月号の記事によると、名古屋区7両のD51のうちこの運用に耐えるのは2両のみで、他は必ず軸焼けを起こしたとのことです。運用に耐えた2両とは、551,825のことかもしれません。(D51の両数が昭和30年の時点より1両少ないですが、いつ頃の話かは不明ですので多少両数の変化があったかもしれません。)

また、名古屋区のD51の一部は元だめタンクを利用した独特の形状(円筒型です)の重油タンクを蒸機ドーム後方に取り付けていました。「鉄道ファン」1990年4月号によれば、200,201,686の3両が該当機で、825は普通のかまぼこ型重油タンクを装備していたそうです。この本には元だめタンク利用の重油タンクを装備した201号機の写真も掲載されています。同機は現在愛知県蒲郡市に保存されていますが、残念ながらこのタンクは取り外されています。

元だめタンク利用の重油タンク、「蒸気機関車」1979年7月号の集煙装置・重油併燃装置のレポートではふれられていませんが、名古屋区独自の設計・施工だったのかもしれません。

なお、200号機は梅小路の保存機として有名ですが、名古屋区に配置されたことがあったのでしょうか?「鉄道ファン」1994年12月号では、稲沢→米原→大垣→中津川という配置歴になっており、昭和30年の配置表でも中津川所属になっています。

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[No.1611] 晩年のC5736 投稿者:吉野富雄  2002-03-06 (水)  23:52

  <URL: http://homepage2.nifty.com/SAKU1967/>

さて、先ほど佐々木様のサイト「勝手&気まま」

http://www.biwa.ne.jp/~a-sasaki/

で検索した結果、C5736晩年の画像を見つけました。昭和46年のものです。

排煙装置は取り外され、デフレクタは門デフに。名古屋時代とは別の機関車のようです。

佐々木様、データベースを早速活用させていただきました。ありがとうございました。

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 [No.1614] さてと本日のレス・・・ 投稿者:忠賢八高@管理人  2002-03-07 (木)  00:27

吉野様

 名古屋D51情報、有難うございました。ふむふむ、551号と825号は調子が良かったゆえにその証がついていた・・・。しかし何故551号を最後まで残さなかったんでしょうか。晩年には551号は木曾にいませんでしたよね。はて何所に行っちまったか?。201号や686号、777号や826号は見かけましたけど・・。

C5736は福知山でしたっけ?。36号だか39号だかがあったような気がする・・・・。

何時の間にか9000アクセス突破してますね。あー気がつかなかった。そろそろ10000記念シリーズの作成にかからねば・・・。はてネタは何にしましょかーねー。10000ゲットされました方には記念粗品を謹呈させていただくつもりでおりますんでこっちの方も考えねば・・・・。

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 [No.1637] 沼尻鉄道拝見しました 投稿者:吉野富雄  2002-03-08 (金)  21:45

  <URL: http://homepage2.nifty.com/SAKU1967/index.htm>

C5736の排煙装置について、TADA様の掲示板上で品川530様よりご教示いただきました。この装置は、昭和27〜31年の間に大宮工場で取り付けられたもののようです。ただ、昭和27年には高崎線電化のため高崎区のC57は各地へ転属したそうですし、(「鉄道ファン」1997年10月号より)昭和29年に名古屋区で撮影された写真があることから、排煙装置取り付けは昭和27年頃と考えてもよいかもしれません。

名古屋時代の昭和29〜30年頃の写真では、この装置がついてままになっていますが、いつ頃どこで外されたのか、興味深いです。

D51551ですが、晩年は大宮区に配属されていました。大宮の操車場で入れ換え機として使われていたのでしょうか?ちなみに、同機の廃車は昭和43年8月8日だそうです。

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※以下の3つの記事は「汽車・電車 1971〜」掲示板に書き込みされたものです。

[No.3123] C5736 投稿者:品川530  2002-03-07 (木)  01:31

  <URL: http://www8.plala.or.jp/m-i-tetu/>

>吉野さま

SL No.3」(1971.11刊)の「C57の分類」に、「確実な取付時期は不明であるが、昭和27年から31年の間に大宮工場により取り付けられたと推定される。既設の除煙板の他、煙突両側に2枚ずつ4枚の除煙板を増設することにより計6枚とすることとし、煙の誘導効果向上を図っている。内側の2枚は煙突両脇に、外側の2枚はそのやや後方に下って取り付けられ、それぞれステーによって保持されている。従来からの除煙板には手を加えていないが、その後除煙板を全部取り外すことにより比較試験を行っている。履歴簿上からはその効果の程を知ることはできなかったが、他に普及しなかったことから考えると、若干の効果は認められたもののそれ程大きな効果がなかったものと思われる。なお後に東北地区のC60・C61形式がこれの小型のものを2枚取り付けている。(以上すべて原文のまま)」との記述があります。本レポートは、松本謙一、林博昭、西尾恵介、前里孝4氏によるもので、西尾氏所蔵の同機の写真も掲載されています。同書によるとC5736の新製配置は米原で、水戸>平>高崎>名古屋ですね。ちなみに名古屋時代の重油併燃装置はその後撤去、鷹取工場お得意のボイラー前端角改造を事故復旧時に受けているようです。で、宮崎で門デフ、となかなか忙しい変化のあったC57のようですね。実見する機会はありませんでしたが、雑誌で他機に比べてわりとよく見かけたような記憶があります。

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[No.3124] ということは 投稿者:831列車  2002-03-07 (木)  01:55

品川530様、TADA様

と、いうことは新小岩にいたC58184の煙突脇の小デフも、やはり大宮工場の試験的改造なのでしょうか。このデフ装備機もまたいろいろ謎が大いようですね。あと続報がありませんが、D6211の小デフも気になります。

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[No.3133] C5736他 投稿者:吉野富雄  2002-03-08 (金)  21:58

  <URL: http://homepage2.nifty.com/SAKU1967/index.htm>

品川530様

C5736の排煙装置について、ご教示ありがとうございました。

ただ、昭和27年には高崎線電化のため高崎区のC57は各地へ転属したそうですし、(「鉄道ファン」1997年10月号より)同誌の1990年4月号には、昭和29年に名古屋区で撮影された写真が掲載されていますから、排煙装置取り付けは昭和27年頃と考えてもよいかもしれません。

しかし、そうなると電化により他区へ転属することが確実な機関車にこの装置を取り付けたことになり、ちょっと不自然な気がします。

名古屋時代の昭和29〜30年頃の写真では、この装置がついてままになっていますが、いつ頃どこで外されたのか、興味深いです。

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 [No.1669] 画像追加 投稿者:佐々木  2002-03-14 (木)  01:21

  <URL: http://www.biwa.ne.jp/~a-sasaki>  

皆様へ>

「お気に入り切取・変形デフ」の飯山18688様よりの画像(D51187)を追加。

http://www.keddy.gr.jp/~ssk/railway/Special/FavoriteMondef/FavoriteMondef.htm

 これが後藤寺デフですね。例の紋章もしっかりついていますね。

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[No.1670] 八方塞 投稿者:isobe201  2002-03-14 (木)  16:49

 佐々木様 飯山18688様

D51187拝見しました。後藤デフはともかく、初期の後藤式集煙装置(広島式?)が超〜貴重な記録ではないでしょうか?D60やC51のは見たことありますが、私の記憶が確かなら、D51に装着された写真は初めて見ました。貴重な写真有難うございました。

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[No.1720] 最近の資料から 投稿者:831列車  2002-03-23 (土)  11:06

 isobe様が以前お話されていたように、最近の現役時代の蒸機を特集した雑誌の記事には過去の調査したものをそのまま掲載したり、また著者の調査不足?などによる間違いが多く、我々も少なからず悩むところであります。角端機がらみでC57について調べてみていたら、「形式C57 イカロス出版」や数年前のファン誌「C55・C57特集」でも「?」と思うものがありました。鷹取式集煙装置取付車が1、6、7、11、26、52、56、61、78、87、93、119、128、147、160、190の16両となっているのも、調査時がいつなのかわからないものの、かなり多くの取付車が省かれています。(すべてはわかりませんが12、34、76、101、120、148など)また切り取りデフ化でも72、158がありません。譲渡や調査(執筆者の参考した資料の調査時)後の取付などの経緯もありましょうが、今の時代にこそより精度の高い資料として掲載するのが望ましいような気がします。そのため?にも、この板でのさまざまな皆さんの意見や記録を持ち寄ってまとめられたもの(門デフ資料館や右運転台9600など)が貴重なものになっていければいいなあ、と思っています。

isobe様の「SL ナンバー3」では集煙装置取付C57は何両になっていましたか? デフステーについては知識不足でただいま勉強中です。

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[No.1723] C57の集煙装置 投稿者:isobe201  2002-03-23 (土)  17:45

831列車様

私も全く同意見です。最近の復活蒸機の影響か、SLに関する出版物が、かなり豊富に世に出るようになったことは、喜ばしい事ですが、どの本もまず2,000円はします。発行部数などの事情によるのは分かりますが、今の時代これだけ高い金を取って、昔の写真の焼き直しや、よく調べもしないレポートでお茶を濁している風潮がたまらなく感じていました。(もちろん、良心的かつ、高い金額に見合う内容の本もありますが)

前置きが長くなりました。ご依頼のSLNo3の抜粋

「集煙装置は、山陰本線(福知山以西)・播但線・紀勢西線・関西本線(加太越え)に使用の機関車に装備されたもので、昭和39年2月に第一号が出場している。鷹取における取付車は、C576、7、11、26、56、78、87、119、147、160、190の12両で比較的最近には、流用と思われるものが後藤工場において、C5752、61、93、128に取り付けられた。(中略)後藤工場で取り付けた機は、C5712、25、63、76、96、101、120である。」

831列車様ご指摘の34号は載ってなく、私も写真を見たことがないので?ですが、148の写真はありますので、漏れているのか、昭和47年の発行の本なので、その後のことかもしれません。また「形式C57・イカロス出版」のC571は鷹取で制作・取付たのは正しいのですが、図面は長野工場のD51のもの(しか当時残っていなかった)を使用しているので、これを鷹取式に入れるのには、私は反対です。

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[No.1724] どうもです 投稿者:831列車  2002-03-23 (土)  19:04

isobe201様

SL」からの抜粋、ありがとうございました。「形式C57」の著者の方もこの本の存在は御存知のはずなのですが、なぜ簡単な記述で終わらせてしまったのかわかりませんね。1号については私の書き込みが足らず、単に「集煙装置取付のC57」にすればよかったですね。失礼しました。(現在の動態保存車の改造や部品取付に関しては一線をひく必要ありそうですね。我々が話題としている多くはいわゆる『現役』時代の機関車についてのことですから)

34号ですが、これは46年に播但線で撮影していますので間違いありません。生野トンネルなどを控えて集煙装置付きのC57は多数いましたが、他区からの転入や需給バランスなどによってか46年当時でも豊岡(和田山常駐)区の全機には及んでいなかったようです。95や156などは未装備でした。

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[No.1737]  投稿者:忠賢八高@管理人  2002-03-24 (日)  23:37

isobe201様

 C57148ですが配置は亀山でしたでしょうか。私の参宮線の写真では一両も集煙装置をつけている写真をのせていませんがつけてないカマを参宮線に回していたのでしょうか。もっとも一回だけC577号を鳥羽で撮ったことがありますが・・。

昨日実家をあさっていたら角端ボイラのC5931の写真を発見しました。C59の写真自体、数両しかないのにこんなものが我が家に存在していたとは驚きでした。D52333といい、偶然の産物ってありますね。

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[No.1780] C57 BEST10投票 亀山のC57 投稿者:吉野富雄  2002-03-27 (水)  19:41

  <URL: http://homepage2.nifty.com/SAKU1967/index.htm>

  「中部地方のSL」(岩堀春夫氏著・ないねん出版)を見ますと、亀山区のC57には、集煙装置付きや煙室角形改造機が多数配置されていたようです。

 昭和44年2月の時点で、7,148号機(12月の段階で26も)が鷹取式集煙装置付き、7,26,110,121,148号機が煙室角形改造機となっていました。他に145,198号機の写真がありましたが、集煙装置なしで煙室丸形でした。(145は文中で煙室角形と説明されていましたが、写真では確認できませんでした)なお、亀山区C57は全機ドーム後方に重油併燃装置を取り付けていました。

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[No.1781] 火曜日は「萬」DAY 投稿者:831列車  2002-03-27 (水)  20:03

吉野様

亀山区の重装備はやっぱり加太越えと急行牽引のための定数アップが理由なんでしょうね。名古屋に近いのに天王寺局の管轄だった亀山の「天カメ」(伊勢も天イセでしたね)の文字に、大阪からかなり離れた出城で孤軍奮闘しているように感じられました。

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[No.2020]  投稿者:忠賢八高@管理人  2002-05-02 (木)  18:57

松原様

 名誉団長の秀作拝見いたしました。長野区のカマの白線はなんともいえませんね。D50の集煙装置は何処の作なんでしょう。珍しいですね。

最後の1枚は川中島辺りの雰囲気ですがどうなんでしょう。

そういえばキングレコードに浅間山麓を行くD51 というものがありましたね。

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[No.2022] GW 投稿者:吉野富雄  2002-05-02 (木)  20:21

  <URL: http://homepage2.nifty.com/SAKU1967/index.htm>

忠賢八高様

 思鉄様の掲示板にも書き込みましたが、信越本線のD50,D51に装備されていた集煙装置は長野工場式です。松本区、長野区、上諏訪区、中津川区などの機関車に装備されていました。

 山口線で活躍するC571の集煙装置も、長野式の図面をもとに鷹取工場で製作したものだそうです。

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[No.2027] 訪問ありがとうございます 投稿者:松原遊士  2002-05-03 (金)  00:54

  <URL: http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/7318/>

 島田写真館ご来訪ありがとうございます。

カマの前面の白線は長野の特徴でしたね。

またD50はここを走っていたこと自体知らなかったくらいです。あの集煙装置付のD50は被写体前面が流れていて見難かったのですが、珍しく思いUPしてみました。ブレていてカタチがはっきりしませんが、島田氏に確認したところ長野工場型だと思うということです。←吉野富雄様より同様の指摘をいただきました。姨捨の写真もありますのでいずれ載せたいと思っています。

 キハ55の準急色は私も現物は勿論、ウェブでも見た記憶はありませんでした。

最後の一枚は電化間近の頃のようですが、続きのネガを見ると何となく広々した高原のイメージが感じられます。で、このネガの前は横軽のED42・・・なのですが

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[No.2028]  投稿者:忠賢八高@管理人  2002-05-03 (金)  01:28

吉野様

 思鉄さんのところのD50の集煙装置ですが長野型とは形態を異にしているような気がするのですが如何でしょうか。もしや試作型?

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[No.2031] 武蔵野の 投稿者:831列車  2002-05-03 (金)  12:22

D50の集煙装置ですが、これまた長野製です。D50は煙突前に給水温め器がないので形状が若干異なり、正面上部は塞がれており、その下に開口部があります。C56のものもD50のものに近い設計で作られたようですね。あとC56の装備機は大糸線を担当してカマにはけっこう付けられたようです。「遥かなり・・」にも151などの写真があります。

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[No.2051]  投稿者:忠賢八高@管理人  2002-05-05 (日)  00:28

831列車様

 例のD50のはC56のヤツのに似てますね。どうも長野と言うとD51タイプを思い浮かべてしまいます。深く納得です。

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[No.2082] 以前からの不思議なこと教えて 投稿者:伯備の子  2002-05-08 (水)  20:19

 初めまして、備中高梁出身の伯備の子ともうします。年齢は42歳にもうすぐなります。このページをたまたま拝見し、皆様のお話を見ているうちに本当に初めてなのですが、書き込みをします。40歳になった今も不思議というか納得できないことがあります。誰か教えて下さい。1.補助灯ってありますよね(LP404?)、昔は東北、北海道では必ずついていたシールドビームなのですが、わたしもかれこれ色々な写真は見たと思うのですが、点いているところを見たことがありません。これっていつどんなときにつけていたのでしょうか?写真とか存在するのでしょうか?次に昭和の末期といっても48・9年の話ですが、山陰地方に中部からの長野式集煙装置のついたカマが何両か転属されましたが、このカマと元々いた後藤式集煙装置(鷹取式)との重連の写真を見たことがないのですが、これは存在しない組み合わせだったのでしょうか?・・・くだらないことなのですが未だに私は不思議です。誰か教えて下さい。宜しくお願いします。

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[No.2085] 予備灯 投稿者:isobe201  2002-05-08 (水)  22:10

伯備の子さま

お問合せの件ですが、これは電化対策工事と呼ばれ、特に交流2万ボルトの架線の下では、前灯の電球の交換は非常に危険があり(ご存知の通り、架線に直接触れなくても感電することがあるそうです)、前灯のタマ切れの際に、予備灯を使用し、運転を継続できるようにするためのものだそうです。直流電化区間でも見られたのは、これに習ったものだと思います。従って、予備灯を点灯している写真は極めて少ないと思います。(どこかで1度は見た気がしますが)

また長野のD51は信越、篠ノ井線の無煙化に伴って、各地に転出しましたが、津和野に移ったD51の大半と、人吉に移ったD51の一部以外は集煙装置を撤去したり、地元の(後藤工場など)工場の集煙装置に交換したため長野型+鷹取あるいは後藤型という組み合わせの重連は山口線を除いて、少ないと思います。

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[No.2086] 山口線のC58 投稿者:831列車  2002-05-08 (水)  22:30

表題の件、C58のノミネートにからんだ話題にでも、とちょっと調べたもので、山口線で活躍したC58のことです。最後はD51だった山口線も、その前のD60時代、第1期のD51時代とともに一時はC58も使われていました。昭和10年代から27年頃まで山口線管理所(津和野機関区)に在籍したC58は延べ15両で、晩年は各地へと散ったものの皆さんの馴染みのものは少ないようで、また現在も保存されてその姿をみることが出来るのは北海道で活躍して紋別に保存された139号のみのようです。昭和14年汽車製の彼は、16年多治見・20年新鶴見・24年佐倉に在籍後、24年7月15日付で津和野に転入、約一年山口線に足跡を残し、25年9月9日付で浜田区に転出しております。その後は北海道に渡り、斜里を経てブームの頃はもっぱら釧路にあってファンの人気を集めました。最後は北見に移り、50年7月に廃車となりました。山口線に蒸機が復活した際、予備機として配備された1号機(運転は55年から59年)の約30年前に津和野で煙を上げていた彼はくしくも24年頃は房総で(1号は千葉に在籍)、また30〜40年代には道東(1号は北見)で、顔を会わせながら活躍していた仲となります。山口線からC58の煙が絶えて18年余り、梅小路と紋別で余生を過ごす2両のC58のちょっとしたエピソードでした。

伯備の子様、初めまして。この板には優秀?な研究員の方がおりますのですぐ明解な答えが出てくると思いますのでお楽しみに。ちなみに山陰西部&山口線に在籍した長野式集煙装置付きD51と鷹取式装備D51の重連はあったはずです。無論山陰に長野式装備のカマ(主に木曽路からのもの)が転入したのは48年以降が多く、外して入線したものもあり数は多くありませんでした。また定期の重連や補機運用もほとんどなかったようです。一方、山口線では第2期のD51運用期に長野からのD51によってD60と入替えた時に1両だけ鷹取式装備のカマ(1041号・・長門区より転入)がいて、確か一部の重連運用がダイヤがあったときには長野+鷹取の重連が見られたはずです。もちろんその原物をみた訳ではありませんが、晩年とは別にその可能性は山口線であったということです。(1041号は長野式と同様の操作方式に改造されたようです)

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[No.2092] 異形式集煙重連2 投稿者:831列車  2002-05-09 (木)  12:22

ちょっと気になったのでもういちど調べてみました。まず山陰本線筋(米子〜浜田〜長門市〜下関)での可能性は、48年夏(中央西線電化)以前では、定期ダイヤでは重連や補機運用はあるものの、それはC57やDF50とのもので、区間でD51同士の重連・補機のものがあっても異区同士のものではなかったようです。基本的に管理局や担当工場の違いもあってか、米子局(後藤工場)の浜田区は後藤(鷹取)式を装備、広島局(広島工場)の長門区は未装備で、臨時などで重連を組むことがあったとしても片方は未装備であったと思われます。

木曽路からの転入車などを迎えた48年から晩年までの交錯期でも、ダイヤ上はD51同士の補機運用はほとんどなかったようです。さよなら運転にしても不思議と広島局のものは長野式同士、米子局のものは鷹取式同士の重連でした。

一方、山口線関連では、貨1690レというのが益田〜津和野間が重連となっており、異形式集煙の重連もあったと思われます。

参考までに47年以降に山陰へ転入した長野式集煙装備のカマ、また逆に山口線へ入った長野式以外の集煙装置装備のカマを記しておきます。(もれがあるかもしれません)*すべてD51です。

125 48ー6ー16 中津川より 集煙は取り外し

265 48ー6ー10 中津川より 長野式(転入後は不明)

435 48ー6ー10 中津川より 長野式(転入後は不明)

山口線管理所へ転入

194         小郡より 長野式取付

256 48ー4ー11 新見より 鷹取式

497 47ー10ー7 亀山より 鷹取式

797 48ー4ー3  新見より 鷹取式

1058        人吉より 敦賀式(転入後は長野式へ?)

山口線無煙化後に津和野から山陰筋へ転属(長野式のまま活躍)

581・612・720・753

木曽路のD51の長門区転入車(265・435)の装置がどうなったのか、また1058は敦賀式から長野式に取替えたのかは御存知の方があれば御教示下さい。というわけで山口線は可能性あり、山陰本線筋では異形式集煙装置装備D51同士の重連はあったとしたら非常に珍しいことになるようです。

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[No.2093]  投稿者:忠賢八高@管理人  2002-05-09 (木)  13:58

isobe201様、831列車様、燕号様

 予備灯、集煙装置のご回答有難うございました。ともに全く気がつかなかった管理人です。関東のはシールドビームが多いこととクル○○パーが付いていること位しか感じていなかったですね。2つ目も日高、胆振のは有名ですが八高のもかなり変な位置に付いてるのがありました。異なった集煙装置の重連が殆ど見られなかったというのは新たなる発見なのでしょうか。

いやー勉強になります。ほんと、有難うございました。

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[No.2103] D51265,D51435 投稿者:飯山18688  2002-05-10 (金)  02:15

中央西線電化後、長門区へ転属となった両機ですが集煙装置は取り外されていました。写真は田駄様のD51掲示板に投稿していますのでよろしければご覧下さい。

個人的には長工式の集煙装置は好きだったのでそのまま使ってほしかったのですが....

1058号も山陰へ転属していたのですね。肥薩線の印象が強いので山口線を走っているところが想像できないのですが写真を撮られた方はいらっしゃいますか?

長野で活躍していた473号も山陰へ転属後、長工式から鷹取式へ換えられていましたがそのまま使用することは保守上の都合で無理だったのでしょうか?

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[No.2107] 北九州のスタイル 投稿者:isobe201  2002-05-10 (金)  21:52

飯山18688さま

ご存知かもしれませんが、長野式集煙装置を交換したのは主として、その操作取扱い方法によるものだそうです。即ち長工式は、「手動」で「助士が開閉」する方式であり、鷹取や後藤式は「エアー式」で「機関士が開閉」していたので、取扱いに例外が起きるのを嫌ったようです。一方津和野では、逆に集まってきたカマが殆どが長野式だったので、そのまま使用したようです。

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[No.2110] 感謝です。 投稿者:燕号  2002-05-10 (金)  23:12

  >長工式集煙装置

 周知の事かと思いますが、現「やまぐち号」のC57もこの流れの先にあって、図面は長野工場式を参考にしておりますが、開閉を自動化する為に電車のドアエンジンを用いたが為、左右非対称となってしまいました。

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[No.2219] うわーーー! 投稿者:忠賢八高@管理人  2002-05-20 (月)  13:59

吉野様

 亀山のC57にしても集煙装置をつけたのとつけてないのがいましたが限定運用だったんでしょうかね?。

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[No.2221] 集煙取り付け 投稿者:慎  2002-05-20 (月)  17:25

  <URL: http://www.amigo.ne.jp/~purebrue/>

C5866の集煙取り付けってそんなに晩年の話なのでしょうか?

それとも運用地区で付けたり外したりしてたのかな?

しかし、25,66,234,312、353は4本足なのを見るとこの機種は装着は遅めだったんでしょうかね?

でも、353って亀に長くいる方では??

そういえばE10どうしの重連ってのがとれいん誌に載ってましたね

珍しさはそうそう他ではかなわないのでは?(笑)

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[No.2381] C56の集煙装置 投稿者:isobe201  2002-06-08 (土)  01:20

C56126と130は遅くまで残っていたので、有名でしたが、151そして、最近出版されたC56の本によると113、114にも長野型集煙装置が付いていたようです。

C56160もたまにはこのような変わった格好をして走れば、きっと魅力が増すと思うのですが、いかがでしょうか?(あまり金をかけずにできるいい演出だと思うのですが)

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[No.2391] ん?集煙? 投稿者:penta  2002-06-09 (日)  14:33

  <URL: http://www.photoland-aris.com/penta/board/>

ま、好き嫌いはいろいろあると思いますが走行路線にマッチしていれば良いのではないでしょうか?

運行側にしてみれば、「必要か、必要でないか?」のほうに焦点がいくでしょうが(笑

もし、C56160に集煙乗せるとしたら、煙突切らなくてもダイジョーブでしょうか?

やまぐちC57の集煙付き、25年?の歴史は無視できないと思います。

でもあの集煙、煙突短いD51200に載せたらドンピシャだと思うのはワシだけ?(笑

大畑の超大型集煙、あれ結構好きですけど(^^ゞ

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[No.2393] 集煙装置 投稿者:燕号  2002-06-09 (日)  19:19

 こんばんわ、燕号です。

 <penta様

 D51200は元々長野工場式集煙を付けておりまして(中央西線時代)、それを外したが為に煙突の短さを露呈する事になってしまいました。ですので、集煙付けて欲しいなあと燕号は願っています。只、昔の長野工場式は集煙扉の開閉は手動でしたので、「やまぐち」号の様に出っ張りは有りません。

 色々なタイプの集煙装置が有りますが、私はD51なら長野工場式が大きさ、スタイル共に一番好きでした。

 関西本線ばかり行っていた頃は、D51の煙突は四角と誤解する処でした。又、敦賀工場式集煙装置を初めて見た時には座布団かと思いました。(北陸線、肥薩線ファンな方ゴメンナサイ。)

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[No.3071] 顔つき 投稿者:佐々木  2002-10-17 (木)  15:41

  <URL: http://www.biwa.ne.jp/~a-sasaki>

何気なく「お気に入りC57」を見ていると、C57190も煙突もC577と同じように短くなっているのに気がつきました。恐らく集煙装置装着のためでしょうね。そして他の画像を探していて、梅小路で3両のC57が並んでいる画像を見つけ、それらの顔つきが全部違うのを見て面白く感じました。プレートの位置違い、煙突の長さなど・・・皆さんで何かお気づきのことがあればコメントいただければ幸いです。

http://www.keddy.gr.jp/~ssk/railway/19710425sayonaraSLetc/19710425C5715_89_190_umekoji.jpg

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[No.3073]  投稿者:忠賢八高@管理人  2002-10-17 (木)  19:57

佐々木さん

  梅小路C573態拝見しました。3次型の190号は集煙つけてましたっけ?15号はサイドのプレートが形式入りですよね。89号はどこかで見たな・・と思ったら私がお気に入りの写真を出してました。やっぱり晩年は九州だったんですね。そして15号の御気に入りに投票したのは私でした。

同じカマでも随分と印象が違いますしこう並んでみるといいもんですね。

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[No.3086] 祝20,000達成 投稿者:isobe201  2002-10-17 (木)  22:48

  <URL: http://homepage3.nifty.com/isobe201/index.html>

 佐々木さん

C57190はかなり大掛かりな「葛西式集煙装置」を実験的に装着し、後に、和歌山区時代に鷹取式を装着しました。4次型C57で唯一最後まで動力逆転器を使いつづけたカマです。

C5715、89はともに長く金沢区に在籍したのでスタイルは似ていると思います。ナンバープレートの取り付け位置は、同じ機関車でも時代と共に変化することもあるので、何ともいえませんが、余り上の方に取り付けられると、これも違和感がありますね。

                 集煙装置 その2へ

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