S字キャブ8620の謎

部品転用の謎をめぐって

忠賢八高様主宰のサイト「モノクロームの残影」(現在休止中談話室)に書き込みされたS字キャブの
8620、9600および蒸気機関車の部品転用に関する記事を編集しました。
この件に関することやお気づきになったことなど掲示板に書き込みいただければ幸いです。

なお、このページは忠賢八高様のご確認いただきまして、TADAが編集アップロードしました。
表示等につきましては、こちらへご連絡ください。

8630の画像は こちらからどうぞ
同じ平機関区の変形キャブ機78653の画像は こちらからどうぞ

  

S字キャブの58660 平機関区 画像提供 フジシロー様


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[No.1309] 小ネタほか 投稿者:831列車  2002-01-22 (火)  22:31

もうひとつ、8630のキャブの謎もあまり記事を見ません。「蒸気機関車」69号の中で「8630のキャブはS字カーブがないのは58660と振り替えたのかも」というくだりもあります。同誌12号の写真を見た時から気になっていた58660の S字カーブキャブは、果たして8630号のものなのか? 確かにこの両機は同時期に平区にいましたので振り替えの可能性はありますが、ちょっとした謎ですね。

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[No.1313]  投稿者:忠賢八高@管理人  2002-01-23 (水)  00:16

831列車様
 
8630・・、てっきりS字だと思い込んでいました。水戸、五能で見てるんですけど・・・。でも何のためにキャブの振り替えなんぞを行ったんでしょうねー。それと五能時代には門デフつけてましたが、あれは一体何所から持ってきたものなんでしょうか?。少なくとも東日本に門デフのハチロクなんていましたっけ?。

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[No.1547] 補足 投稿者:isobe201  2002-02-25 (月)  18:53

8630のキャブがオリジナルから変わってしまっていることについて、私は関東大震災で被災したのではないだろうか?と考えています。残念ながら、今のところ確証はありませんが、8630の履歴については、交友社殿へも問い合わせましたが、水戸に来るまでの経歴としては、新製直後、品川庫に配属されたことと、一時期沼津にいたらしい事しか分かっていないそうです。
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[No.1552]  投稿者:忠賢八高@管理人  2002-02-26 (火)  01:01

isobe201様
 つなぎ有難うございます。福井地震の被災機とは面白いネタを有難うございました。そういえば最後の頃に標津線にいたC11224は昭和43年の十勝沖地震のとき大湊線で宙ぶらりんになったような・・・。8630も関東大震災ですか。これは仮説ですね。もっと調べると面白いですね。


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[No.1563] 8630キャブの謎2 投稿者:831列車  2002-02-27 (水)  20:11

isobe201様
8630のキャブの謎についての見解、ありがとうございました。ちょっと前の書き込みでそのままになっていたので、また取り上げていただき感謝しております。さて関東大震災の被災による改造、とのことですが、なるほどそれもあるかなと思いました。それであらためて趣味誌など読み返してみたところ、「蒸気機関車」58号(78ー11)に被災機の若干の資料がありました。そこには8620は11両被災機として載っていましたが、8630はありませんでした。(もっとも全ての調査は出来なかったでしょうから信頼性は?です)また同誌69号(80ー9)の特集では8630の履歴は「S8成田 S22常陸大子 S36
平」となっています。前の書き込みで私が引用した同号の対談記事で触れられていた「58660とのキャブの振り替えでは?」という疑問に
対しては依然不明のままで、あの記事がもっと突っ込んだ会話になっていればなぁ、とあらためて思います。S36には58660も平に在籍していたので振り替えの可能性はあるのですが、理由となるとやっぱりわかりません。梅小路に行って8630のキャブを観察し、どこかに「58660」の刻印の入った部品でも見つかれば面白いのですが・・。
また情報などありましたらよろしくお願いいたします。

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[No.1564] 感謝 投稿者:isobe201  2002-02-27 (水)  23:09

831列車様
ご指摘ありがとございます。「蒸気機関車」は創刊号以降殆ど持っていますが、No69は前にも申したとおり、欠けています。(TT)
No58は持っていましたが、ご指摘の部分は完全に見落としていました。(恥
まあ、このリストに漏れがあったとも考えられますが、震災ではないとしても、何らかの事故という事は考えられないでしょうか?動輪とか、ロッドとかの部品なら「交換」という事も考えられますが、キャブを丸ごと取り替えるというのは??謎です。事故によってC56タイプのキャブを持つ86や、C57タイプのキャブを持つC51が居ましたから…。

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[No.1565] 懲りずに 投稿者:isobe201  2002-02-28 (木)  13:43

831列車様
また記憶で書いてますが、キャブの振り替えなどという工事は余り無いように思うのですが、可能性としては、「機関車自体をまるごと取り違えたのではないか?」という仮説は如何でしょうか?
思い出すのは、「義経」と「弁慶」のすりかわりです。幌内鉄道の1号が「義経」、2号が「弁慶」であったものを、7100型式に改番したりしているうちに、7101=弁慶、7105=義経となった取り違えの原因として、2台の機関車が同時に工場で修繕された時に、解体された部品の置き場を何らかのトラブルで移動させたり、災害等で2台を入場中に場所を移動させたために起きたのではないか−という推測を、どなたかが書かれていました。
ついでに変形キャブは「北総」さんのHP
http://hokuso.com/meiki/html-meiki-sc-08.html
C56タイプのキャブを持つ8620
38666[竜華]と68658[横手]
C57タイプのキャブを持つC51
C51259 [米子]とC51272[鹿児島]

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[No.1569]  投稿者:忠賢八高@管理人  2002-03-01 (金)  01:48

831列車様
 8630と58660の振り替えということは58660はS字キャブということになるのでしょうか。昭和36年に平ということですがその後は何所にいったんでしょう?。58660だか58680だかが佐倉にいたような記憶があるんですが・・。すみません手元に資料がないもので・・・。
isobe201様
 でも実際にはキャブ交換がなされたものもあるわけですね。そうそう、取り違えといえばNABEX様のところでかかれておられる59609と29622の取り違え保存もありますね。私も稚内でC5547を撮影したあと、利礼航路の傍にシートをかぶって保管されていたカマ(C55ですが)の動輪に今朝走っていったはずのC5547の刻印を見つけわけがわからなくなったことがありました。タイのC56なども部品の交換でぐちゃぐちゃになっていたらしいですね。

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[No.1572] どうもです 投稿者:831列車  2002-03-01 (金)  19:29

isobe201様、管理人様
もし機関車そっくり取り違えたとすれば、これはもう大発見!ですね。8630は実は他のカマだった・・。梅小路の実機のあちこちの刻印を調べればあらかた判断できるのですが、さてどうでしょう?もともと梅小路保存機とともに結構有名なハチロクなのに、なぜかキャブがS字でないことはあまり話題にならないのが不思議でした。管理人様がお話されているように、もともと「蒸気機関車」12号にS字カーブのキャブを持つ58660の写真が掲載されているのを見てずっと変だぁ、と思っていたことなのですが、69号の対談記事で「8630との振り替え?」という話が出て、「そういうことだったのか!」と一時納得したのが私の思いでした。もし振り替え、または取り違えの可能性があるとしたら、やはり同時期に同じ区(=同じ入場工場)だった58660が一番あると思うのですが・・・。

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[No.1574] キャブ交換の話し 投稿者:ポニー139  2002-03-01 (金)  23:16

 梅小路の8620も怪しいカマだったのですか?
 昔の鉄道雑誌には車両の動きが出ていて、変更・転属理由もハッキリ
出ていましたよねぇ。
 キャブ交換ではないですけど、昔はよくテンダー交換をしていたみたいですよねぇ。
 その折、番号変更されているカマもあるようなので、その時に、狂ってくる可能性はあると思います。

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[No.1576]  投稿者:忠賢八高@管理人  2002-03-02 (土)  01:05

831列車様
 >8630は実は他のカマだった・・。もともと梅小路保存機とともに結構有名なハチロクなのに、なぜかキャブがS字でないことはあまり話題にならないのが不思議でした。S字カーブのキャブを持つ58660の写真が掲載されているのを見てずっと変だぁ、と思っていたことなのですが、
 58660はやっぱりSキャブなんですか。で、その後の配置区は?
これはもしかするとほんとのことかもしれませんねー。そうすると超貴重ネタだーーーー!。

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[No.1577] 58660! 投稿者:isobe201  2002-03-02 (土)  10:45

58660のみをキーワードにして検索したら、(私にとって)凄いHPにヒットしました〜!!
http://www.jsdi.or.jp/~k-hiyama/index.html
58660のSキャブのアップがあるばかりか、なんと、あの重内炭鉱専用線の在りし日の姿が〜凄い凄い凄い!!
831列車様
梅小路の8630の刻印を調べに行きたくなってきました。梅通いを続けておられる、某氏にお願いしようかしらん???
先輪、従輪、動輪の交換、テンダーの交換、事故によってキャブを新品に取り替えるというのは結構行われていたというのは、皆様もご存知後思いますが、キャブの交換というのは聞いたことがないし、その一方で機関車をまるごと取り違えたという例は、義経・弁慶をはじめ、結構耳にしますので、大胆な仮説を立ててみました。
梅小路の8630にほかの86の刻印が発見できなかったとしても、それはそれで、珍しいキャブ交換の実例となるかもしれないし…。

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[No.1580] ♪今日は楽しいひな祭り 投稿者:吉野富雄  2002-03-03 (日)  13:19
  <URL: http://homepage2.nifty.com/SAKU1967/>

こんにちは。
忠賢八高様
弊HPご訪問ありがとうございました。東海地方のローカルネタにもかかわらず、みなさまのご訪問をいただいて嬉しい限りです。
831列車様、isobe201様がふれていらっしゃる、8630と58660とのキャブ振り替えですが、現在梅小路にいる8630を見ると、確かにS字になっていません。また、キャブ窓もD51等と同じ横長の引き違い開き(?)になっているので、オリジナルのキャブとは言えないでしょう。昭和37年撮影の写真を見ると、既にこの時期には、現在のキャブになっているようです。

831列車様の書き込みと重複しますが、「蒸気機関車」69号(8620・C50特集)と68号(関東特集)の配置表によれば、この2両の配置歴は以下の通りです。
8630 昭和6年3月末・昭和8年3月末:成田→昭和22年3月1日:常陸大子→昭和36年3月末:平
58660 昭和8年3月末:会津若松→昭和22年3月1日:青森→昭和36年3月末:平
これによると、両機が接点を持つのは昭和30年代の平配置時代ということになります。キャブの交換(取り違え?)にせよ、機関車そのものの取り違えにせよ、両機のキャブに変化が起きたのは平配置時代ではないでしょうか?
貨車では、番号が入れ替わったり、同一番号の車輌が2両存在する、などということもあったそうですから、機関車そのものの取り違え説も考えられなくもないですね。
どなたか、常陸大子時代の8630か、青森時代の58660の写真をお持ちではないでしょうか?もし発見されれば、キャブ交換(?)の時期が絞り込めるのですが・・・。

ところで8620型のS字キャブですが、「日本の蒸気機関車」(ネコ・パブリッシング)では、8620〜8643の24両、「鉄道ファン」1994年12月号では、最初の52両(すなわち8620〜8671)、「私の蒸気機関車史」(川上幸義氏著:交友社)では、「24両と52両の2説がある」とされています。
8644〜8671の写真が発見されれば解決しそうですが、8620の若番機は廃車も早かったようですので、昭和36年3月末の時点で現役の該当機は、8647,8657,8658,8664,8666,8668の6両しかありません。もっとも、製造後35年以上経った時点で5分の1以上が残存しているのですから、よく残っていると考えた方が順当かもしれません。
「鉄道ファン」1963年4月号に昭和10年撮影の8621と、昭和35年撮影の8672(一番違いで惜しいです)の写真が掲載されていました。当然ながら前者はS字キャブ、後者は乙字型キャブでした。

横レス並びに長文にて失礼しました。

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[No.1581] 想像ですが 投稿者:田駄雄作  2002-03-03 (日)  19:36

86とか96は初期の頃に多くの機関車がエアータンク取り付けの改造を受けてるんですよね。ランボードを乱暴にも(ん?)ぶった切って段差がつけられてタンクを装着しましたが、そのままじゃ当然キャブ位置も上がってしまうので高さをカットしたはずです。この時工期を急ぐためにキャブをドミノ移植したなんて可能性はどうでしょう。事故とか戦災などで使えるパーツを寄せ集めて復旧したなんてことも考えられますが、これは記録に残っているかも知れませんね。
平で58660は貨車の間に停まってたり、庫に入っていたりでキャブのアップの写真はあるんですが全体写真はついに撮れずでした。次の人気投票は86かな?ちなみに58660は「ゴンパチロクロクレイ」と発音します(私は)

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[No.1584]  投稿者:忠賢八高@管理人  2002-03-04 (月)  00:28

isobe201様
 色々とマイナーな所をアップされておられる方がいらっしゃるのですね。高萩区のC50など、写真も存在しないのではと思っておりましたが、重内炭鉱線まど撮っておられるとは・・・。58660は確かにSキャブですね。

吉野様
 こういうローカルネタはやはり希少価値がありますよ。なかなか皆さん撮られておられないのですから・・・・・。
ハチロクのSキャブって24両だけじゃなかったんですか。2説あったとは知りませんでした。そういえばこの中間のカマ、見たことないですね。
青梅の8620はSキャブでしたよね。
それから58660の晩年の配置区は何方かご存知ありませんか?。
田駄様
 フムヅム、エアータンク取り付けということは相当古い時代になされたということですね。確かに・・・・。8630の戦前の写真が出てくればわかりますねー。無理か・・。

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[No.1586] 国有鉄道重大運転事故記録 投稿者:isobe201  2002-03-04 (月)  13:51

昨日、交通博物館の図書室に行って来ました。掲題の図書を見に行ったのですが、やあ〜なかなか大変な調査です。ざっと目を通しただけですが、8630の事故は無かったようです。
八高線高麗川事故の機関車も「C5779」と明記されていました。
ひとつ発見だったのは、肥薩線の山ノ神第2トンネルの事故(復員兵などを乗せた列車が随道内で立往生し、煙に巻かれた乗客が客車から避難したところに列車が逆走した為、多くの死傷者を出した事故)の牽引機が「D5130」であったことです。漠然と4110型ではないかと想像していたので、これは意外でした。

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[No.1588] 86キャブ謎 続報 投稿者:831列車  2002-03-04 (月)  18:40

isobe201様
8630は事故記録なしでしたか。
いくつかわかったことがあります。まず58660ですが、昭和45年4月9日付けで平区にて廃車となっております。(同日に同区の8697・88631も廃車。また水戸区の5両の8620も廃車とあんっております。8630は転属ですので含まれていません。)また58660の現役写真はジャーナル誌70ー5号に井上恒一氏撮影(67ー4ー30)の非公式面のものがありました。キャプションには「キャブ下S字曲線を持つ唯一の8620」とありますが、もちろん70年時点でのことでしょう。そしてファン誌94ー12号の「梅小路蒸機の現役時代」の8630の記事中には、同機のキャブは改造によるもの、と簡単に記されています。田駄様のおっしゃるとおり、空気だめ設置時点のことかどうかは不明ですが、この文の筆者が調査したうえでのことか、既知の事として書いたかはわかりません。ただ何ぶんにも8630と同時期に本来S字キャブを持たないはずの別のハチロクがその形態をしていたということがある以上、何かあるのでは?と考えてみる必要もあるでしょう。余談ですが、この記事の下の門デフ装備の8630写真のキャプションにも「・・同じ8620の解体発生品である門デフを付け・・」という表現があり、若干正確さを欠いているような気がいたします。(門デフを譲った78627はしばらく現役を続けたはず)
大体こんなところです。

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[No.1589] Sキャブ写真 投稿者:isobe201  2002-03-04 (月)  19:29

私の手元にある「蒸気機関車の角度」、西野保行「鉄道」、「蒸気機関車」バックナンバーの写真などから、1950年代以降もSキャブのままだったものをリストアップします。
製造当初よりSキャブのまま=8620、8633、8635、8641、8642
Sキャブのまま、キャブ下継足=8636
当初Sキャブだったか不明だが乙キャブ=8653(羽幌炭鉱鉄道)、8666
当初Sキャブだったか不明だがSキャブ=8657
といったところです。
どなたか、若番の86のキャブの写真を見た方は、書き込みお願いします。
また、9606、9607、9610、9612、9617(後の天塩3)の写真を見たことがある方も書き込みお願いします。

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[No.1590] Sキャブ 投稿者:TADA  2002-03-04 (月)  21:40
  <URL: http://www.photoland-aris.com/kisya/>

ピクの「蒸気機関車特集集成(上)」に見分けつきにくいアングルですが、8635が載っております。神戸港臨港線で撮影はS36年10月。
9600は「北国の汽笛 2」星 良助氏 ないねん出版 に9613の三菱芦別専用線時代のものが載っております。
これの撮影はS35年8月なのですが、デフにツバメマークが、、、、
数あるニセツバメでも一番古いものではないかと??
「重内炭坑」恥ずかしながらどこにあるのかも知りませんでした。
isobe201様ご紹介のサイト、これはネットでなければ出てこない写真ですね。
こういう埋もれた写真が見られることに感謝、です。

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[No.1591] S字キャブの8620 投稿者:吉野富雄  2002-03-04 (月)  22:10
  <URL: http://homepage2.nifty.com/SAKU1967/>

こんばんは。
isobe201様、831列車様
私が見たS字キャブの8620は、8627と8634があります。いずれも大正時代の撮影で、リンク式連結器を装備しています。でも、残念ながら8644〜8671の間に入る機関車ではないです。
8657がS字キャブを装備していたという事実は、S字キャブ機が52両いたという説に有利ですが、製造当初からそうだったかどうかまでを証明するのは難しそうですね。

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[No.1592] S字キャブの9600 投稿者:吉野富雄  2002-03-04 (月)  22:51
  <URL: http://homepage2.nifty.com/SAKU1967/>

こんばんは。連続書き込みで申し訳ありません。
No.1587でご紹介の田駄雄作様のHPを訪問させていただいたのですが、大夕張鉄道のコーナーにS字キャブの9600の画像があり、驚きました。
大夕張鉄道7号機ですが、元は国鉄9613だったようですね。
また、「私の蒸気機関車史」(川上幸義氏著・交友社)には美唄鉄道7号機(国鉄9616)、夕張鉄道23号機の写真がありましたが、2両ともS字キャブです。23号機は国鉄の払い下げ機と思われますが、元は何号機だったのでしょうか?
ご存じの方が見えましたら、ご教示をお願いします。


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[No.1595]  投稿者:忠賢八高@管理人  2002-03-05 (火)  00:27

今日は皆様沢山書き込んで頂いて有難うございます。思わぬところでSキャブ話が盛り上がってきました。これだけ盛り上がってくるとこれはハチソネタですね。ねえTADAさん。さてレスを・・・。

831列車様
 58660は昭和45年に平で廃車ですか。ということは常磐線沿線各駅入れ替え用機全廃の時ですね。ずっと平ということは全検も郡山工場でしょうし、郡山工場に謎が隠されていそうですね。平の9600でエアータンクがD50のように前面に置かれている19677もおりましたのでこれも何かの手がかりになるのでしょうか。
TADA様、isone様、吉野様
 いよいよ面白くなってきましたね。isbe様のカキコと併せますと製造当初よりSキャブのまま=8620、8633、8635、8641、8642
Sキャブのまま、キャブ下継足=8636
当初Sキャブだったか不明だが乙キャブ=8653(羽幌炭鉱鉄道)、8666
当初Sキャブだったか不明だがSキャブ=8657
ということで可能性としてSキャブ52両説も考えられるということになりますな。製造メーカー別ではどうなんでしょう。通しでなくてメーカーによって異なる?、メーカーは川崎造船と他にはどこでしたっけ?。
なにー!9613にツバメマークですか!最古のニセツバメ登場か!

いよいよ面白くなったSキャブの謎、さあて謎解きはできるのでしょうか。
皆様の調査に乞うご期待!

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[No.1596] みなさん有り難うございました 投稿者:田駄雄作  2002-03-05 (火)  01:51
  <URL: http://tadayusaku.2.hotspace.jp/>

こちらの板参加者の皆さん私のHPへお出で頂いて有り難うございました。最初のご案内を始めたのが夕方の4時頃ですが、現在すでに450アクセスを越えています。連絡帳BBSの書き込みもすでに30本で、本日昼間出かけている間に自動消去されてしまわないようにコピーしたところです。大変な反響に驚くやらパニクルやら大変でした。これからも頑張ります。
ところでS字の96ですが、9613は三菱芦別9613→三菱大夕張No.7。9614は夕張鉄道23。9615はご存じの通り日曹炭砿手塩砿業所専用線9615です。9616は三菱美唄(美唄鉄道)7→三菱大夕張No.8と連番でした。いずれもS字機です。大夕張には昭和46年6月No.8が美唄からやって来てから蒸機廃止の8年10月までは2台揃っていました。美唄時代はデフ無しです。
9613は三菱芦別時代デフにツバメマークがあったのは初期の鉄道ファン誌に写真があります。確か北海道特集で本一冊丸ごと北海道特集のような印象でした。探せば破片?が見つかるかも知れませんが図書館で調べた方が早いです。きっと。大夕張時代も最初行った頃はその痕跡が判別可能で写真にも撮った気がしますが、プリントした記憶がありません。その後デフを取り替えてしまったのか判らなくなりました。
9615、No.7、No.8の3両についてはここには書けない驚くべき事実があります。現在微妙なときなので、もしご存じの方がいらっしゃっても書かないでくださいね。

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[No.1599] キャブの考証 投稿者:isobe201  2002-03-05 (火)  19:06

831列車様
いろいろ考えましたが、少なくとも「Sキャブを乙キャブに更新するということはなかったのではないか?」という事が言えるような気がしてきました。
即ち、96のSキャブ機は供出機を除き、9606、9607、9610、9612、9617(後の天塩3)は不明だが、全てSキャブのままであった。86でも(8644〜8671が新製時Sキャブだったとした場合)今のところ例外は8653、8666のみ。
また、キャブの改造パターンとしてこれまでに発見されたものは
1.C56タイプのキャブに更新(38666[竜華]と68658[横手])
2.一直線にカット(79602、86でも施工例はあったが、番号?)
3.キャブ下角端化(78658と78680ともに[竜華])
4.キャブ下継足し(8636[横浜])
5. 機関車ごと取り違えたか、何らかの事情でキャブを交換(8630と58660)
キャブ改造理由−
1.空気制動機を取り付けた際に、あわせて改造
2.事故・災害・老朽化による
以上のほかに、理由は不明だが、四国では86のボイラを相互に交換することが盛んに行われていたらしい(「蒸気機関車」の記事による)−ボイラを交換した時にキャブも交換しないと不都合が生じたことも考えられます。
どこまで合っているか分かりませんが、謎を解くかぎは、キャブとキャブの底面と台枠、ボイラの組立て方がどうなっていたかということ、言い換えればキャブの取替えなり改造が簡単だったのか、難しかったのか?(どなたかご存知ないでしょうか?)および8621〜8671の写真ですね。
吉野富雄様
鋭いつっこみ有難うございます。当該事故はD512台運転ですか?私の見落としですかね?(>_<)近いうちにまた行って確かめなくちゃ(T_T)
田駄雄作様
9613のマークの写真はR/Jの別冊「C62ニセコ」にも載っています。このマークの材質や取付の経緯は何だったのでしょうか?「ここには書けない驚くべき事実」については、しかるべき時期がきたら是非教えてください。

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[No.1600] そうですね 投稿者:831列車  2002-03-05 (火)  23:06

isobe201様
詳細な考証をありがとうございました。なるほどエアータンク設置などの際にランボードの位置が変わってしまうものの、それでSから乙に変える程の必要はないようですね。だから工事の際に腐食や老朽化もあってキャブ全体を取替える必要があれば、外観の加工が楽(そうに見える?)乙字タイプのキャブにしたものはあったかもしれません。(可能性が数両ぐらいしか見当たらない現状ではありますが)
実際に工事をした当事者や、もっと詳しい方の発言もあるかもしれませんので、まだ結論は出ませんが、だいたいそんなところなのでしょうね。それにしてもちょっとした疑問がこんな拡がりを持って皆さんと語り合えるのは本当に素晴らしいことです! 今までずっと話題にもならなかった(私の知る範囲ですが)58660&8630のキャブの謎が見えてきたのは嬉しいことです。管理人様にも感謝いたします。

ところで「S字キャブ」も公式側から見たら「逆S字」ですよね。でもS字というのは同じく逆向きでも「S字カーブ」というものもあるので正逆はあまり関係ないのかな? また私は「乙〜おつ」を使用しましたが「Z字」でもいいのでしょうか?この表現をしているものもありました。

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[No.1601] S字キャブの9600他 投稿者:吉野富雄  2002-03-05 (火)  23:07
  <URL: http://homepage2.nifty.com/SAKU1967/>

こんばんは。
田駄雄作様
S字キャブの9600についてご教示ありがとうございました。
かなりのS字キャブ機が払い下げを受けたことになりますね。
また、大夕張の7号と、美唄鉄道の7号とを混同していましたが、別物だったのですね。同じ7号という番号に惑わされてしまいました。

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[No.1604]  投稿者:忠賢八高@管理人  2002-03-06 (水)  00:55

isobe201様、831列車様、吉野様
 水戸時代の8630の写真がいくつか手元にありましたのでじっくりと検討してみましたが何も得るとこはなし・・・。平の写真もあったので58660があるかと思いきやC62ばっかりでD60と9600が少々・・、残念ながら58660は一枚もありませんでした。ま、平でC62は撮ってもハチロクとなると注意してなければ目を向けませんですね。
ほぼ同時期に生産された8620と9600ですが、晩年に初期型が残っていたのは圧倒的に9600、4桁ナンバーの数で見てもどうして8620の方が少ないんでしょうか。私鉄払い下げにしても8620はあまり例がなく、北海道拓殖鉄道の8622号機も昭和に入ってから製造された同型機であり、実際の4桁ナンバー機ではありません。ところで乙キャブの利点はなんだったのでしょうか。初期型のSから量産型の乙に移行したということはそれなりの利点があったはず、いいかえればSキャブの欠点があったのでしょうか。それとも単なる時代の推移による形状変更だけなのでしょうか。
ボイラの振り替えは事故廃車になったC6221の缶を調子が悪く休車になっていたC6239へ振り換えたことは知られていることですが、D52などの戦時型ならいざしらずボイラの振り換えは一方の廃車を伴うものなのではないでしょうか。またボイラの振り換えを行ったカマには「ボイラD52○○」と記載された小さなプレートがついていたような気がするのですが・・・。SLの生産時期に振り換えを行っていたならば兎も角、戦後ならば余剰機も多いことですし用途の少ない8620にそれだけの大工事をする理由があるでしょうか。
以上の推論から私は取り違え説も十分にありうるのではと考えました。
それと何方かご存知の方お教えください。D51などはパーツに刻印がありますが8620、9600にも刻印は存在するのでしょうか。残念ながら古いカマの刻印を調べたことがありませんので・・・。ちなみに9600の例ではペンタさんが取り違えの疑いのある59609(本来の29622)を調べられた際にはペンキで確認できなかったとのことでしたが・・。私自身が確認したのは刻印で比較的古いものではC55です。

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[No.1606] 58660の画像 投稿者:田駄雄作  2002-03-06 (水)  11:25
  <URL: http://tadayusaku.2.hotspace.jp/>

早速サーバーを利用して見ました。
http://tadayusaku.2.hotspace.jp/zanzo1.html

どうでしょう?庫の中でしかも夜です。下半分は改造されてますよね。なにかヒントになればと思います。正面も全体写真もありません。

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[No.1607] お久しぶりです。 投稿者:長澤 壯之  2002-03-06 (水)  22:03


8630の移動履歴は以下のとおりです。

大正 3年 6月26日 大阪汽車製造にて製造
大正 3年 6月28日 三田尻機関区 [走行距離 71127km]
大正 4年 9月19日 湊町機関区  [走行距離 3771km]
大正 5年 9月 8日 三田尻機関区 [走行距離 39748km]
大正 5年10月11日 山北機関区  [走行距離 118274km]
大正 8年 5月10日 東京機関区  [走行距離 5607km]
大正 8年 7月20日 沼津機関区  [走行距離 13507km]
大正 9年 2月 9日 宇都宮機関区 [走行距離 40735km]
大正10年 4月10日 白河機関区  [走行距離 20692km]
大正10年 8月29日 宇都宮機関区 [走行距離 92701km]
大正13年 2月20日 大宮機関区  [走行距離 72159km]
大正15年12月18日 千葉機関区  [走行距離 497200km]
昭和 5年 5月 6日 成田機関区  [走行距離 368218km]
昭和 9年11月23日 安房北条機関区[走行距離 383648km]
昭和14年 5月31日 常陸大子機関区[走行距離 970541km]
昭和27年12月 8日 平機関区   [走行距離 466558km]
昭和42年 9月29日 水戸機関区  [走行距離 36580km]
昭和43年10月 3日 平機関区   [走行距離 929404km]
昭和45年 3月27日(26日とする資料もある。)
            弘前機関区  [走行距離 101054km]
昭和47年 9月14日 梅小路機関区

以前のように、頻繁に書き込みは出来ないかもしれませんが、
今後もしばしば参加させていただきたく思います。

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[No.1609] mata 投稿者:isobe201  2002-03-06 (水)  23:30

長澤壯之様
ご出産おめでとうございます。いやあ〜凄い資料ですね。8630の経歴は「鉄道ファン」編集部にも無いそうなので、諦めていましたが、驚きました。どこでこの資料を入手されたのですか?すごいな〜!
忠賢八高様
86の若番の廃車が早かったというよりも、96の驚異的な長寿のために、そして亜幹線にはC57、支線にはC58、簡易線にはC56という「専用機」が登場して、86の存在意義が薄れたからでしょう。
Sキャブが乙キャブに比べて工作上手間がかかりそうな気はしますが、真実は?ですね。
次はD51標準形をと思ってましたが、これだけ盛り上がってくると、86のベストを先にしたほうがいいかもしれないですね。
「蒸気機関車」No45の記事を抜粋すると、「四国の8620は全てボイラの相互振替を行っており、58623のボイラは8638、68692のボイラは48681(バルブギアーは58626)、58685のボイラは8677、38622のボイラは8672、となっていた。」
「78647は多度津工場で昭和45年に58685に改番(但しテンダは58685のもの)の上、保存。」
「68692の煙突下に58686の銘板がついている」
とあり、その理由が書いていないのが非常に残念ですが、随分荒療治をしたものです。
96や86には刻印がないんでしたっけ??
田駄雄作様
58660のキャブの写真ありがとうございます。確かに、切り継いだ痕が判るので、何らかの理由でキャブの一部を交換したとも考えられるし、キャブの窓の改造のときにできた痕とも考えられますね。
831列車様
8648の写真を発見(毎日新聞社「栄光への蒸気機関車」撮影年月不明)しました。乙キャブでした。これにより
製造当初よりSキャブのまま=8620、8633、8635、8641、8642
Sキャブのまま、キャブ下継足=8636
当初Sキャブだったか不明だが乙キャブ=8648、8653(羽幌炭鉱鉄道)、8666
当初Sキャブだったか不明だがSキャブ=8657


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[No.1610] 8630 58660 C5736 D51551他 投稿者:吉野富雄  2002-03-06 (水)  23:35
  <URL: http://homepage2.nifty.com/SAKU1967/>

こんばんは。
忠賢八高様
8630&58660のキャブの謎、なかなか手がかりがつかめないですね。梅小路へ行って、8630各部の刻印を調べてみるとわかるかもしれません。3月23,24日あたり京都へ調べに行ってみようかな?

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[No.1614] さてと本日のレス・・・ 投稿者:忠賢八高@管理人  2002-03-07 (木)  00:27

田駄様
 58660の写真どうも有り難うございました。流石、田駄さん、やっぱりお持ちでしたか。ちゃんとキャブまで撮ってらっしゃる・・・。

isobe201様
 四国のハチロクですが、多くは4桁ナンバーのカマのボイラをを用いているとこが不思議ですね。つまり古いカマの方が調子のいいボイラだった??。

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[No.1618] 9613のつばめマーク 投稿者:田駄雄作  2002-03-07 (木)  02:42
  <URL: http://tadayusaku.2.hotspace.jp/>

ネガ見ていたらありました
http://tadayusaku.2.hotspace.jp/zanei2.html

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[No.1624] 新作拝見です 投稿者:831列車  2002-03-07 (木)  20:13

沼尻鉄道の味がある写真拝見しました。軽便にふさわしい地面すれすれのホーム、当時としては当たり前の風景が今になって新鮮に感じられます。線路とホームの床の近さ=人間と鉄道との親しみやすさの度合なのかもしれませんね。
ハチキャブ情報?です。ピク誌98ー2(649号)「久里浜の印象」というグラフ記事があり、20〜30年代に休・廃車を集めていた状況の写真がありました。その中に二桁ナンバーの8620が写っています。まず8644、52両説でいうとそのトップにあたるものですが、キャブは乙字でラインをテンダと合わせた深いタイプ、でもエアータンク改造後の姿ですので原形はわかりませんね。その後ろに写っているのが8631で、残念ながら小さい画なのでSにも乙にも見えます。撮影は59ー4となっていました。
四国のボイラー振り替えのことがありましたので、確かピク誌の特集にもそんな記事があったなあ、と探しまして93ー4の「四国の鉄道」に若干の記載と写真がありました。キャブの件としては多度津工場で55ー9に撮影された8647の写真があり、深い乙字になっていました。キャプションはむしろ同機のボックス動輪化のことに注目しているようでしたが・・・。8665もありましたがこれはテンダのプレートだけで炭水車が6760のものということで紹介されていました。なお
ボイラーの乗せ替えは1949年頃から行われたということなどの記載はありましたが詳細理由や実施機リストなどはありませんでした。


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[No.1627] 8630・D51 200 投稿者:長澤 壯之  2002-03-07 (木)  23:11

8630の履歴は、高橋善三郎, 「東北の鉄道 資料編」, 感動コーポレーション, 仙台, 1998 を参考に致しました。
鉄道ファン1994年12月号によれば、新製配置は、大正3年品川機関庫、晩年は、東能代機関区、弘前運転区とあり、食い違いがあります。
(昨日の書き込みで昭和10年以前の「機関区」は「機関庫」と書くべきでした。訂正してお詫び申し上げます。)

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[No.1631] 不勉強ですいません 投稿者:isobe201  2002-03-08 (金)  00:31

長澤様
高橋善三郎と言う方はどういう方でしたっけ?
この記録が正しければ、8630の履歴について、「鉄道ファン」誌から引用して、細かいことが分からなくて苦心されている方のHPをしばしば見ますので、教えてあげたくなりますね。ところで、2月19日に完成した機関車というのはありました?

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[No.1632] こんばんわ 投稿者:忠賢八高@管理人  2002-03-08 (金)  00:37

長澤様
 8630に続きD51200も有難うございました。意外な記録があるんですね。
でもなかなか全てを一致させるのは容易なことではないようですね。水戸での8630のさよなら運転はやはり平区からの貸し出しだったのでしょうか

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[No.1643] 86キャブの続き 投稿者:isobe201  2002-03-10 (日)  00:03

古い鉄道ファンを手当たり次第ひっくり返して、8621=Sキャブ、8664=乙キャブ、そしてレイルファンに新製間もない頃と思われる8645らしき写真がありました(乙キャブ)。これにより8644〜8671は乙キャブの可能性が高いと思います。今のところ例外は8657という事になりますが、これは58660と同じ経緯か、8644〜8671の中には新製時にSキャブだったものと、乙キャブだったものが混在していたのかもしれません。
さらに831列車様のご指摘で8644、8647=乙キャブとのことなので、
製造当初よりSキャブのまま=8620、8621、8633、8635、8641、8642
Sキャブのまま、キャブ下継足=8636
当初Sキャブだったか不明だが乙キャブ=8644、8647、8648、8653(羽幌炭鉱)、8664、8666
当初Sキャブだったか不明だがSキャブ=8657
当初より乙キャブ=8645

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[No.1648] 高橋善三郎氏について、他 投稿者:長澤 壯之  2002-03-10 (日)  22:49

isobe201 様
お返事が遅くなり申し訳ございません。
「東北の鉄道」の著者の高橋善三郎氏についてです。
「東北の鉄道 資料編」には、著者についての詳しい記述がありませんでしたので、
本編の「東北の鉄道」を図書館から借りてまいりました。
それによると、氏は大正3年3月15日生まれで、
大正15年に国鉄東京鉄道教習所を卒業され国鉄職員になられています
(教習所卒業と国鉄入社のどちらが先かは記述がありません)。
退職は昭和44年3月で、仙台運転所長をされていました。
その後は、東北鉄道整備株式会社、東北新幹線整備株式会社にお勤めになり、
平成9年に亡くなられています。
「東北の鉄道」は、氏が生前蒐集された資料を、ご長男の和雄氏が編集・出版なさったようです。
定価等が何処をみても書かれておりませんので、市販されたものではないかもしれません。

追:D51 446, 448, 1068, 1069 が 2月19日落成でした。

忠賢八高@管理人 様

私も、常磐線蒸機さよなら運転をした時点(昭和45年3月)では、8630は水戸区所属機と思っていました。
はじめて「東北の鉄道 資料編」をみたとき、思い違いしていたかと感じた記憶があります。

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[No.1649] D51の? 投稿者:isobe201  2002-03-10 (日)  23:35

長澤壯之様
ご教示どうも有難うございます。趣味書、雑誌ではあまりお聞きしないお名前なので、高橋善三郎さんという方はどういう方かと思いましたが、国鉄OBの方でしたか。それにしても機関車の履歴などは現場の方よりも、趣味で調査している方のほうが詳しいと思ったのに、凄い人がいるものですね。
吉野富雄様
今日再び国有鉄道重大運転事故記録を見に行きました。やはりD5130の記載しかありませんでした。ただこの記事にも「本列車吉松駅を多客のために客車を増結し補機を使用の上、発車したところ、」とあるので、やはり補機はあったのですが、なぜか機番は記載されていません。この資料は大正以前のものは全て、昭和40年以降の一部は機番が載っていないのですが、それ以外は補機の機番も原則として載っているので、なぜ不明なのか気になりますが、何かの事情があったのかもしれません。

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[No.1655]  投稿者:忠賢八高@管理人  2002-03-12 (火)  00:48

長澤様
 今日、8630のさよならの写真をじっくり見ていたらキャブのアップの写真が出てきました。区名はやはり「水」でした。この列車、常磐線のSLさよなら運転でしたから平区から水戸区に貸し出ししたんでしょうかねー。でも元から水戸にいたような気がするんですが・・・・。
isobe201様
 準戦時型は新たな3両だけなのでしょうか?。あそうそう、今日見つけた写真の中で平区の78653、角キャブのようなんですけど・・・。平のハチロクは妙なのが多いですねー。何でだろう?。

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[No.1671] 三角窓 投稿者:831列車  2002-03-14 (木)  20:07

isobe201様
私もネタ不足です、なのでまた「謎」ものというか気になっていることをひとつ・・・。ハチロク&9600のキャブネタ(只今停滞中?)にからめてまたキャブの改造がらみですが、運転席の前方窓を出っ張らせて側面も三角の形状にした、いわゆる「三角窓」を装備したカマはどれぐらいいたのでしょう?またその改造理由や施工工場などは?・・・。
これもあまり趣味誌では話題になっていないようですが、どなたか御存知であれば御教示願います。私の知る範囲では、C5857(福知山区在籍時)やC5712(米子区在籍時)、それに鹿児島のC60&C61の一部にもあったようです。
ベスト10ものは定期的にコツコツとやっていきましょう。晩年の主な在籍形式がほぼ出揃えばけっこうなものになると思います。草津給炭場の御負担も考えてロングスパンでいきましょう。8620は私も「名機・珍機」は思い浮かびますが、さて思い入れとなると・・・数は足りませんねえ。

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[No.1673] 三角窓&訂正 投稿者:isobe201  2002-03-14 (木)  23:46

831列車様
三角窓は機関士席の採光を良くするためだと、何かに書いてありましたが…(書名失念)。殆どが、鷹取工場の担当区だったので、ここにカギがあると思いますが…。その他の三角窓機は、「蒸気機関車の角度」より
D51934[亀山]、C5758[福知山]、C5785[福知山]、D511018[福知山]、D51906[竜華]があります。
なお、「蒸機とともに一世紀」(鷹取工場百年史)には戦時規格は昭和18年5月10日「戦時設計要綱施行細目」によるとありました。
全く関係ありませんが、同資料には、工場の略号は大正4年7月9日に制定されたと記しています。
鷹取=TT、大宮=OM、長野=NN、土崎=TZ、盛岡=MO、錦糸町=KS、新橋=SB、浜松=HM、四日市=YI、金沢=KZ、神戸=KB、湊町=MM、米子=YG、多度津=TD、下関=SS、小倉=KK、若松=WM、行橋=YH、苗穂=NH、函館=HD、岩見沢=IZ、旭川=AK

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[No.1675]  投稿者:忠賢八高@管理人  2002-03-15 (金)  01:11

831列車様
 三角窓?、C51であった斜めキャブのことですか。どっかに見本の画像ありますか?。田駄さんのとこにありそうですね。探してみよーっと!。

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[No.1676] おっとあぶない 投稿者:831列車  2002-03-15 (金)  23:04

またまたレスつなぎです。ですので特にネタはありません。
isobe様、三角窓の件ありがとうございました。鷹取でしたか。そんなに普及しなかったところおを見ると効果はなかったのでしょうかね?蒸気機関車の部分それぞれに何らかの改造や工夫が加えられているためにそれぞれのカマにも個性がでるのでしょうが、三角窓はあまり格好はいいものではないし、集煙装置にしろ、煙室前面角形改造にしろ、意欲はあるものの、こと「美的センス?」に関しては鷹取工場は評判がいまひとつだったのでしょうか。

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[No.1679] お願いします(2点) 投稿者:佐々木  2002-03-16 (土)  00:37
  <URL: http://www.biwa.ne.jp/~a-sasaki>

831列車様
>「ベスト オブ ナメクジ」の画像があと少しでパーフェクトです。
 フォローをどうもありがとうございます。皆さん、どうぞよろしくお願いします。
 三角窓機のD51934の画像は沢山あったのですが、どれも前方からの画像ばかりで確認できませんでした。どなたか、確認できる画像をお持ちの方か、「あのサイト、ページにあったぞ〜」とかご教示いただければ幸いです。
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[No.1683] ネタがない 投稿者:isobe201  2002-03-17 (日)  00:48

831列車様
86の若番車の写真は中々出てきません。あれからずっと捜してますけど。

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[No.1726] 交通科学博物館・梅小路へ行ってきました 投稿者:吉野富雄  2002-03-23 (土)  21:43
  <URL: http://homepage2.nifty.com/SAKU1967/index.htm>

 さて、今日は所用のついでにタイトル通り交通科学博物館と梅小路蒸気機関車館を訪問してきました。(所用の方が「ついで」になっているような気もします)
 交通科学博物館では、D512の特徴(?)であるデフレクタ公式側のみの穴とフロントデッキ上のおもりも確認しました。また、D512とC6226の刻印を調べたのですが、私が見た限りでは、他機の部品が混じってはいないようでした。
 館内の壁面には蒸気機関車のナンバープレートが掲げてありましたが、D50300(緑ナンバー),C6113,C6212などこの掲示板でも話題になった機関車のプレートもありました。

 その後、梅小路へ向かったのですが、肝心の8630は扇形庫の整備場に入っていて、近づくことができませんでした。忠賢八高様、isobe201様に期待していただいたようですが、残念です。
 ただしズームレンズを300mmにして探ったところ、先輪に8627の刻印を見つけました。もしかしたら、X8627(Xには不特定の数字が入ります)かもしれませんが、少なくとも、同機に他機の部品が入っていることは確かなようです。
 他にC612.C56160が整備場に入っていました。C56のテンダーは車輪を抜いて整備中。エンジン部も何か作業をしていました。ゴールデンウィークの「北びわこ」に備えた整備と思われます。来月には、同機の元気な姿を湖北路に見に行きたいと思いました。

 他の機関車についても、刻印を調べてみました。結果は以下に書き込みさせていただきますが、意外な機関車の刻印が入っているものもあり、びっくりしました。なお、これは、本日私が自分の目で見たものですので、多々見落としがあると思います。また、刻印が摩滅して、はっきり読みとれなかったものもあります。はっきり読みとれなかったものについては、今回はふれません。
 刻印のあった部品名についても、私が見たままで判断しましたので、間違いがあるかもしれません。「そんないい加減な書き込み当てになるか!」とお叱りを受けそうですが、以上の点をご了解ください。

C51239(旧番38938)
 38938の刻印を多数見つけました。C51239と併記されているものが多かったです。
公式側連結棒にC51230の刻印、第3動輪にC5110の刻印がありました。

C5345
 第2動輪にC5383の刻印がありました。

C1164
 転車台南側に展示されていたので、近寄れませんでしたが、先輪にEF1595の刻印がありました。

9633
 先輪に528729の刻印がありました。これは機関車の番号を表したものではないかもしれませんが。

C551
 先輪の前輪にC57140,後輪にC5755の刻印がありました。

D51200
 第1,2,4動輪にD51781の刻印がありました。同機については、ご丁寧にも781の刻印が線で消されていました。

C621
 先輪の前輪にC59107、心向き棒(?)にC6212の刻印がありました。非公式側主連棒には、C5996(?)の上からC621と新たに刻まれていました。

D50140
 C51と同様に、旧番の19939の刻印が多数ありました。先輪にD6032、弁装置(部品名がわかりませんでした)に9989(19939の1が摩滅、3が8に見えただけかもしれません)の刻印がありました。

C59164
 先輪の前輪にC59106,後輪にC59108,第1動輪にC6249の刻印がありました。また、非公式側弁装置(部品名がわかりませんでした)には、C59175(?)の上から新たにC59164と刻まれていました。

 残りのC622,D511,C581,D52468,B2010については、異番号の刻印が見つかりませんでした。
 こうして見ますと、機関車の部品の交換(取り違え?)はかなりあったようですね。また、廃車になった機関車の状態がよい部品を残しておいて、他の現役機関車に移植することもあったと思われます。
 前の機関車の番号がそのまま残されている場合はわかりやすいですが、C621,C59164のように前の番号の上から新たに刻印している場合は、わからなくなってしまいますね。D51200のように、前の機関車の番号を残した上から、線で消すのはご愛敬といったところでしょうか。
 最後に今日のスチーム号はC622でした。何とか同機を本線走行ができるように整備できないかな、と思いました。大井川のC11190のようにファンがお金を出し合ってJR西日本に協力するということは、不可能なのでしょうか?
 一人が1万円出したとして、千人集まれば1千万円になりますが、この程度では無理かな?もし、C622が本線走行可能になったら、マイテ49を最後尾に連結した「つばめ」の関ヶ原越えを見たいです。

 以上、まとまりのないレポート(?)にて失礼しました。

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[No.1730] 皆様に感謝!! 投稿者:isobe201  2002-03-23 (土)  23:34

吉野富雄様
どうもお疲れ様です。ご報告有難うございます。8630は残念でしたが、またの機会に(オフ会でもしますか?)。書きたいことはいっぱいありますが、C551にC5755の刻印というのは驚きました。55は佐倉で廃車になって、全く北海道に縁のないカマなのに(C57140は室蘭にいました)。これ以上はあまりに長くなるので、また別途。

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[No.1735] 更新のお知らせ 投稿者:吉野富雄  2002-03-24 (日)  21:20
  <URL: http://homepage2.nifty.com/SAKU1967/index.htm>

 isobe201様
 C5755は関東のカマだったということですが、廃車後状態のよい部品をまだ蒸機が活躍している地区へ送り込んだのかもしれません。たまたまC5755の部品が北海道へ渡ったのではないでしょうか。全国組織の国鉄ならば考えられる話だと思いますが、いかがでしょうか。
 C59164にはC6249の部品が入っていましたが(弊HPにもアップしました)、C59164は東海道西部〜山陽方面のカマ、C6249は東北・常磐方面のカマですから、こちらも接点のない機関車同士の部品交換になりますね。

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[No.1736] 刻印調べ 投稿者:831列車  2002-03-24 (日)  23:33

吉野特派員?の梅小路保存機刻印調査で思い出したのが、『旅』別冊の「鉄道」(S60ー8発行)という本に載っていた大木 茂氏名の「交通博物館探検記」で、さすが写真でならした大木氏だけに、C57135の各部に使用された別の機関車の番号を克明に調べてありました。文中の「刻印にたどる部品のルーツ」では、第3動輪にC57118、先輪L1にC57141、第1動輪上の加減リンクと偏心棒を結んでいるピンにはD5160、連結棒の第3動輪付近には「HM3210 C5761」の刻印があったと記されています。C5761は和歌山に長くいて135とは出会うこともなかったはずで、仲介にもう1両別のC57がいたのだろうか?ともあります。
私も保存機訪問などで各部を見る楽しみが増えました。

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[No.1737]  投稿者:忠賢八高@管理人  2002-03-24 (日)  23:37

吉野様
 梅小路探訪どうも有り難うございました。今までにこのような検索をされた方は何方もいらっしゃらないのではないでしょうか。こうして詳細に検討して見ますと実に色々なことがわかりました。ちなみにC551の部品であるC5755、私の関東のページのラストに非公式側なれど写真を載せてあります。形式入りのなかなかいいカマでした。
 大阪交通科学館、はるか昔にしか行ったことがありませんので最近のラインナップも良く知りませんでしたので助かりました。以前ファン誌にクハ86が載ったときにはまさかここの現存するとは思っておりませんでしたので昔の写真かなと思ったぐらいです。そして今回吉野様のご紹介でキハ81があることを恥ずかしながら初めて知りました。
できればまたこれからも探訪を続けてください。ありがとうございました。

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[No.1738] 部品の交換 投稿者:isobe201  2002-03-25 (月)  11:25

全く接点の無い機関車の部品が使われていたことについては、831列車様の言う大木氏説−即ち間に別の機関車が介在していたと考えるほうが自然のような気がします。というのは、このような部品の交換の主目的がコスト削減だったと思われるからです。廃車になった機関車の部品を保管していたらきりが無いし、動輪がそんなにしょっちゅう破損しないはずです。足回りが調子よくても、タイヤが薄くなっていたら、タイヤを交換する必要がありますが、廃車になった機関車のタイヤがまだ厚いものだったら、動輪ごと交換したほうが安上がりだったので、交換したのでしょう。だから動輪や先輪、従輪が別のカマのものだったケースは多かったのではないでしょうか?
ただ、廃車になったカマからの部品の移植なら以上の推論で良いと思いますが、互いにまだ現役の状態の機関車同士の部品を交換したとなると、謎です。部品を取り違えないようにわざわざ刻印がしてあるのですから、あえて部品を交換するとしたら、それなりの合理的な理由があったのでしょうが、見当がつきません。調子が悪い機関車が、部品を交換すると良くなったのでしょうか?それなら、交換相手が逆に調子悪くなるようなことは無いのでしょうか?
そう考えると、廃車の順番からして、C57135にC57118、142の部品が使われていたのは、118、142号ともに小樽築港にいて、廃車後に部品を譲ったと思われますし、C5761の部品は、C576(和歌山から苗穂)を介して135号に使われたのではないかと想像されます。
C551にC5755の部品が使われていたことについては、C57140は室蘭に来る前には水戸にいて、一時期C5755も水戸にいたので、この辺が怪しいと想像されますが、C5755が廃車になった時は既に室蘭に来ていたので、廃車後の譲り渡しだとすると、部品だけを北海道に送ったことになってしまいます。
C59164についてはC6249とは接点が無くとも、C6223、37などの常磐組が糸崎に転属しているので、この中の誰かが49号の部品を使っていたのではないでしょうか?
8630と58660にしろ、フジシロー様のところにあるD511159などおよそ水戸、平、宇都宮この辺にいた機関車は現役の者同士が盛んに(?)部品を交換していたような気がします。
何かお気づきの点がありましたら、ぜひフォローお願いします。

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[No.1739] 訂正 投稿者:isobe201  2002-03-25 (月)  12:52

No1738のC57142は141の間違いです。

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[No.1743] ご訪問ありがとうございました 投稿者:吉野富雄  2002-03-25 (月)  23:02
  <URL: http://homepage2.nifty.com/SAKU1967/index.htm>

 こんばんは。
忠賢八高様
 弊HPへのご訪問ありがとうございました。
 C551にC57の部品が使用されていること。この2形式は共通使用できる部品も多かったでしょうから、特に驚くべきことではないのでしょうが、関東で終焉を迎えたはずの機関車の部品が北海道の機関車に移されていたのは、全国組織を誇った国鉄ならではでしょうね。
 かつてご自分が撮影された機関車の部品が今でも生き残っているということ、感慨深いものがあるのではないかと拝察します。
 交通科学博物館は訪問の価値大です。機会があるようでしたら、是非ご訪問されることをおすすめします。
 失礼しました。

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[No.1744] カウントダウン! 投稿者:831列車  2002-03-25 (月)  23:20

あと30余りになりましたね。この感じで行くと明日か明後日にも達成しそうです。くれぐれも自爆なさらぬように・・・・。
48年5月に木曽福島で撮影したD51401号の動輪ロッドに「D51800 39 6 TT」の刻印があり、その後の履歴や移動を調べて不思議に思いました。800は長年西日本で活躍し、晩年は紀伊田辺を経て亀山で47ー4ー28に廃車となっています。刻印が打たれた39ー6頃は岡山におり、長町〜大館と東北で働いていた401とは接点が見当たりません。
で、ちょっと考えてみたところ、奥羽電化で余剰となった401が大館から木曽福島に来たのが46ー9ー29で、半年ほどたって木曽路にも慣れた頃に検査でもあって長野工場に入場、そこで解体処理のため亀山から運ばれて来た800号の部品があり、取り替えられたのではないか・・・と。本来亀山は天王寺局管内ですから、担当工場は鷹取のはずですが、800の廃車時点ではもう解体などの作業は長野に移管していたのではないかという推測です。間違っているかもしれませんが、401と800の接点を捜すとすれば、ここしかないので考えてみた次第。こういった謎解きもひとつの刻印によってできるのですから、蒸気機関車にまつわる話題はつきないのですね。

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[No.1747]  投稿者:忠賢八高@管理人  2002-03-26 (火)  01:17

isobe201様
 部品の交換ですが、車輪を抜くとすると工場ですよね。果たして解体場からの車輪の復活はありえるのでしょうか。ボイラなど上部構造物から解体を始め、最後に車輪系となりますが車輪を傷めないように解体するなどはできるものなのでしょうか。となると、全検時などで磨り減った車輪を抜き取り、新たに以前に抜き取られたカマから修繕されたものを別なカマへ移設されると考えた方が適切なのではと考えました。廃車時に移設されるよりも全検で移設としたほうが良いのではないでしょうか。
水戸、平あたりのカマに妙な変更点があるのは確かなようで、そうすると犯人は郡山工場では・・。近々にはお目にかけますがやはり平のハチロクで角型キャブの写真が見つかりました。

吉野様
 C5755は何で北海道にまで足跡を残したんでしょう。一体何所でC551と接点があったのでしょうねー。
831列車様
 isobe様のところでも書きましたように私は廃車→移設とは考え難いような気がするのですが・・・。D51800とD51401を考えますと同じ工場での検査がないとなるとやはりそうなんでしょうかね。

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[No.1748] 長野工場 投稿者:TADA  2002-03-26 (火)  02:19
  <URL: http://www.photoland-aris.com/kisya/>

831列車様
72年8月に長野駅で回送のC57110(亀)を見ました。
多分長野工場への入場でしょう。D51800も長野にきた可能性大ですね。


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[No.1749] 新説登場 投稿者:isobe201  2002-03-26 (火)  12:21

忠賢八高様
確かに解体作業は大雑把に行われますね。ある人のD52解体記録です。
http://www03.u-page.so-net.ne.jp/ka2/noz/d52_kai/d52-idx.html
「最も価値のあるプレート類は保管の段階ではずされています.解体のはじめに価値のあるや汽笛、安全弁、煙室扉ハンドルなどは丁寧にはずされ保管されます.」とあります。写真では、分かりにくいですが、移動しやすいようにロッド類も早い段階で外されているのではないでしょうか?でも動輪・先従輪は最後でしょうね。とすると、忠賢八高様の言われるとおりかもしれませんね。
私の説は、廃車になった時期が妙にリンクしているように見えるからで、もう少し調査の必要がありますね。
831列車様
TADA様の目撃情報もありますが、鷹取工場の百年史「蒸機とともに一世紀」によると、昭和44年9月30日をもって、鷹取工場の蒸気機関車の修繕は終了し、このとき亀山区は長野工場の担当になったと記されています。
従ってD51800と401は意外にも「長野工場という接点」があったというのが、正解のようです。
                  

この続きは部品転用と刻印で

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