最後の現役機たち
東洋活性白土専用線1977・3

国鉄の本線から1975年12月に蒸機が消え、追分の入換も1976年3月で消えたのちも専用線では細々と蒸気機関車が生き残っていた。
糸魚川の東洋活性白土専用線はわずか0.7kmほどの路線だが、協三製2号機が平日は毎日運行していた。
撮影日 1977年3月24日


最初のコマは北陸本線の向こう側の明星セメント専用線DLが写っていた。
手前の線路が東洋活性白土専用線。


行き交うEF81牽引の北陸本線列車。


石灰列車が通過すると


積み替えホームを出発した2号機が林の中から顔を出した。




貨車4両を牽いて工場へ。






機関車を追ってポフラ並木の工場へ。


事務所で受付をしたのだろうが、今から思うとよく工場内で自由に撮影させてくれたものだと思う。




機関車が動き出した。工場内には線路があちこちに延びていたが、機関車が曲がれないカーブが多かったという。




工場内の貨車の移動は人力。
植栽も実によく手入れされている。


2号機のバックビュー。工場建屋も味わい深い木造建築だった。


昭和31年製の銘板。これをもって実用蒸機の最終製造機と言われるが、実態は1950年頃製造された仕掛品だったという。


保存鉄道団体羅須地人鉄道協会が台湾の炭鉱から引き取った機関車がシートに包まれ保管されていた。
てっきり3号機かと思ったら煙突形状が違うが、こいつの正体は?


機関車の後ろにはナベトロと怪しげな51を名乗る貨車。


頚城鉄道から来たラッセルも保管、手前のオープン客車はどこから来たものだろうか。


2号機が移動して


外側の側線に入線。ネガはこのコマで終わっている。
庫にはドコービルタイプの1号が寝ていたはずだが撮っていない。
一日3往復はあったというが、片道1本しか撮らないで撤収したのはなぜだったのか。
今となってはもっと撮っておけばと思っても詮無いことだ。


糸魚川市フォッサマグナミュージアムに保存された様子はこちら


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