当サイト「汽車・電車1971〜」主宰のTADA氏が、2025年9月23日に逝去されました。
ここに謹んでご通知申し上げます。
当面の間、
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保存車活動に特に熱心だった氏へ、皆様からお言葉等お寄せいただければ幸いです。
最後の現役機たち
東洋活性白土専用線1977・3
国鉄の本線から1975年12月に蒸機が消え、追分の入換も1976年3月で消えたのちも専用線では細々と蒸気機関車が生き残っていた。
糸魚川の東洋活性白土専用線はわずか0.7kmほどの路線だが、協三製2号機が平日は毎日運行していた。
撮影日 1977年3月24日
最初のコマは北陸本線の向こう側の明星セメント専用線DLが写っていた。
手前の線路が東洋活性白土専用線。
行き交うEF81牽引の北陸本線列車。
石灰列車が通過すると
積み替えホームを出発した2号機が林の中から顔を出した。
貨車4両を牽いて工場へ。
機関車を追ってポフラ並木の工場へ。
事務所で受付をしたのだろうが、今から思うとよく工場内で自由に撮影させてくれたものだと思う。
機関車が動き出した。工場内には線路があちこちに延びていたが、機関車が曲がれないカーブが多かったという。
工場内の貨車の移動は人力。
植栽も実によく手入れされている。
2号機のバックビュー。工場建屋も味わい深い木造建築だった。
昭和31年製の銘板。これをもって実用蒸機の最終製造機と言われるが、実態は1950年頃製造された仕掛品だったという。
保存鉄道団体
羅須地人鉄道協会
が台湾の炭鉱から引き取った機関車がシートに包まれ保管されていた。
てっきり3号機かと思ったら煙突形状が違うが、こいつの正体は?
機関車の後ろにはナベトロと怪しげな51を名乗る貨車。
頚城鉄道から来たラッセルも保管、手前のオープン客車はどこから来たものだろうか。
2号機が移動して
外側の側線に入線。ネガはこのコマで終わっている。
庫にはドコービルタイプの1号が寝ていたはずだが撮っていない。
一日3往復はあったというが、片道1本しか撮らないで撤収したのはなぜだったのか。
今となってはもっと撮っておけばと思っても詮無いことだ。
糸魚川市フォッサマグナミュージアムに保存された様子はこちら
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