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高松琴平電鉄 1979・3
その4 瓦町
琴平線、志度線、長尾線が行き交うジャンクション。
撮影日 1979年3月6日

しばらくホームで撮影していたが、多種多様の電車が次々とやってきた。

長尾線の750形760、1951年製元備南電気鉄道→玉野市交通局モハ102。
2006年廃車となり、玉野市に戻り保存された。
後方に見えるのは2000形230、元宮城電鉄の木造車クハ301を1957年に鋼体化した車両。

当時の長尾線の主力、元京浜急行デハ230形の30形29。
31から付番されたが、琴電では4を忌番として使用しないため、29と戻った番号になった。

ノーシル・ノーヘッダーの60形65は元は京浜電鉄の木造車、1948年に譲渡され1960年に車体新造された。

志度線の20形24+22、何れも現近鉄南大阪線の大阪鉄道が1925年に製造した5枚窓の車両。
1961年に譲渡され、前面貫通3枚窓となった。

22には側面飾り窓の跡が残っていた。

23は動態保存車として2009年現在も健在。

70形73、元南武鉄道モハ103、流山電鉄にも同形が譲渡されている。
国鉄に買収の後東濃鉄道を経て同線廃止後1975年に入線した。

瓦町に到着する琴平線の高松築港行。

1020形1032+1031、1032は名鉄時代に高運転台化されていた。

1031

志度線の高松築港行、920形920、山陽電鉄の前身、宇治川電気の51形64で1954年に譲渡されたもの。

琴電生え抜きの3000形300、戸袋窓を原型の丸窓に復元され動態保存されている。

仏生山車庫で撮影した960+720がやってきた。

次ぎは志度線の車庫のある今橋へ。
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