名鉄美濃町線1981・3
学生時代名古屋で4年間暮らした。
岐阜市内線、揖斐・谷汲線、美濃町線には何度も通ったが、卒業を前に最後の訪問。
このころはまめに撮影記録を付けていたのだが、この日だけはなぜか欠落しており日付が分からない。
撮影日 1981年3月
野一色、新関行きのモ606に乗ってきて交換風景を撮影。
続行表示板を付けたモ593徹明町行き、後方には新岐阜行きモ880が見える。
徹明町行き発車を見送って新関へ。
新関〜下有知の併用軌道、新関行きのモ874-873がやってきた。
朝夕を除き新関で系統分離が行われいたが、末端部の新関〜美濃の運用にモ870が入ることは珍しかったようだ。
モ873が美濃行きで戻ってきた。
砂ほこりを上げて美濃へ向かう。
新関に戻るとモ600の2連が到着。
先頭のモ605は側線へ。
美濃からのモ591が到着。
これの折り返しに乗って美濃へ。
終点美濃から新関へ折り返して行くモ591、左手の側線には先ほど到着したモ873-874がいる。
札幌市電A830を1976年に3編成譲渡された、入線にあたって側窓が固定から2段窓になり各扉にステップが付けられた。
しばらくこの姿で使われていたが、1996年から1997年に冷房化、側窓と扉の小型化、方向幕の変更などかなり外観も変わった。
さらに2000年にはまさかの複電圧、ワンマン化で扉増設、4扉車となった。
白地の行先板、続行表示板を付けたモ601が到着。
2番線に入った。
続いて団体幕を出したモ881-880が到着。
モ601が側線に移動。
モ881-880が一旦引き上げて2番線へ。
こちらも側線に移動。
当時の美濃町線を代表する3形式が並んだ。
モ880の団体はこの撮影会のためだったようだが、このあたり全く記憶がない。
撮影会後は連接車2編成は本線へ、モ601だけ残っていた。
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