当サイト「汽車・電車1971〜」主宰のTADA氏が、2025年9月23日に逝去されました。
ここに謹んでご通知申し上げます。

当面の間、掲示板 への書き込みをできるようにいたしますので、
保存車活動に特に熱心だった氏へ、皆様からお言葉等お寄せいただければ幸いです。

下北交通大畑線1986・7

1985年7月に国鉄からバス会社の下北バスから改称した下北交通に変わって1年目に訪問。
国鉄ローカル線の第3セクター化が進んでいた当時、民間バス会社への経営移管はここだけだった。
譲渡された3両のキハ22が開業年から付けられたキハ85となって活躍していた。
このときは恐山の宿坊に泊まったが、走行は撮っておらず駅での撮影だけだった。


以下は1986年7月13日撮影

大畑駅に貼ってあった開業時のポスター。
DMH−17Cで出発。とはマニアックなコピー。


大畑駅構内に転換時に新設された車庫、キハ85-3が休んでいる。
2001年廃線の後、鉄道ファンの手により気動車の動態保存が続けられている。


大畑駅舎は経営移管にあたり改築され、コーポレートカラーとなった。
駅前のタクシーも同じ色使い。


駅名票は下北半島を模ったもの、本州最北端の駅だった。


田名部に到着するキハ85-1。


田名部は大湊とならぶ下北半島の中心都市だが、転換時に1面1線となった。




田名部駅も改築されていた。


田名部駅前には国鉄バスも乗り入れていた。


以下は1986年7月14日撮影

田名部 2連が到着。


下北 キハ85-2


下北では1番線を下北交通、2番線を大湊線が使っていた。
転換によって大湊への直通がなくなり、運賃もかさむようになったのは
当時各地の3セク転換で問題になっていたことだった。


大湊線もキハ22の2連、ホームにも乗り換えるお客さんがそこそこいる。


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