C57 100

長崎電軌賑橋電停から100mほどの長崎中央公園に保存。小工式K−7デフ装備車。
撮影日 2010年5月11日

2016年9月追記
長崎市は2017年春に撤去の方針との報道がありました。

2017年4月追記
解体工事が始まりました。動輪など一部が長与町で展示とのこと。
長与駅前C57100動輪

2019年4月追記
原爆救援列車運行の地にカットされた動輪が展示されました。


案内板に紹介された原爆救援列車の話は鉄道ジャーナル連載の「桐と動輪」でも紹介。
「桐と動輪」は現在電子書籍で販売されているが原爆救援列車の話は未収録。
C57の形式解説に「201両が量産」とあるのに下で「57210まで製作」とあるのは困ったものだ。


周囲をフェンスで囲われて機関車には接近できない。
ヘッドライトが欠落してしまっているのが残念だ。




正面には案内板と腕木信号機が立ち、真正面がらお顔をきれいに見られない。


テンダのライトのガラスなども欠落している。


ナンバープレートはレプリカ、字体とあいまっておもちゃっぽく見える。
給水温め器カバーも貼りかえられているようだ。


下回りはペイントされている。
上の画像とともにコンパクトデジカメでフェンスの隙間から撮影。


窓枠、区名板差などが欠落しており、のっぺりとした印象のキャブ周り。


公園といっても遊具は少なく機関車全体をサイドから見渡すことができる。






以下は2015年11月4日撮影

標準デフはこの角度ではお顔が見えなくなってしまう。
門デフならではのすっきりとしたアングル。


一部で塗装の疲れが見えるものの全体には痛みは進んでいない様子。








公園では菊花展を開催中。




2016年9月に長崎市は2017年春に機関車を撤去予定との報道があったが、
その理由に公園のイベントスペース拡大のため機関車移動を計画したが
老朽化のため移動は困難との「専門家」の診断で解体に方針転換したという。
原爆救援列車の記憶を伝えるモニュメントでもある機関車を長崎から消してしまって市民は良いと思うのだろうか。

この場所の地図(解体済)


C57100履歴
レイル・マガジン2008年9月号付録「機関車表」沖田佑作氏編より引用
1939-3-31 日立製作所笠戸工場 製番1075
大阪局配属
1939-3-31 使用開始 配置 姫路
1940現在 宮原
1943現在 白河
1945-4-1現在 高崎第一?
1945-11現在 高崎第一
1953-6-4鳥栖
1954-10頃 小倉工場で切取式除煙板K-7装備
1964-4-1現在 鳥栖
1965現在 早岐
1968-3-14全検
1968-10-15人吉
1973-2-18休車
1973-4-27廃車 人吉
1973-10 保存
2017-4解体

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