ペルシア湾通信
2004年7月4日

海老の養殖場

写真1。造船所を後にしてボートでイラン本土沿いにペルシャ湾を東南に向かいます。
遠浅なので、マングローブの森が入り組んだ形になっています。
水平線に見えるのがそのマングローブの森です。



写真2は「♪このー木何の木気になる木・・・」のマングローブ版ですが、ここは海中ですからねえ。



写真3、写真4、はいきなり数隻のボートが見えたので、
ジャハンに漁師か?って訊いたら、「あれは密輸業者だ!」





皆さん、この写真の位置って簡単に言い表せるんですよ。
「ペルシャ湾の、イランとオーマンが一番近いところ」です。
ここからだとこの「公園のボートに毛が生えたみたいな」モーターボートでオーマンまで1時間なんです。
この連中は昼間はここに隠れていて、夜になると「行動開始」するんです。
順法精神なんてクソ喰らえ!って言うワイルドな人種です。

写真5,6。ボートからクルマに乗り換えて広大な干潟の中を行きます。
これから海老の養殖場の視察です。
原油値上がりでバブル景気のイラン政府が、この一帯を海老の養殖場にする計画を立て、
既に、8000平米から1万2000平米の養殖池をこの2年で何と500個造りました。
写真の辺りも今年中に養殖池が出来ます。
旧型ランクルとすれ違いました。



写真7はこの会社の会長と社長。前職はマジで「密輸」。



写真8、9,10。ポンプは一日一回4時間稼動して養殖池内の海水を入れ替えます。



写真11は養殖池。これ1面(約1万平米)から「3期作」で年間6トンの
体長12センチのホワイトタイガーが採れます。この会社は25面所有。



驚いたのは、一面当たり稚魚10万匹を放すと9万5000匹が育つそうで、何と歩留り95%です。
大体世界的にマングローブの森のそばには良い海老が育つらしいんですが、
ここの環境は海水や温度もうってつけなんでしょうね。

 写真12は養殖池に出来たフジツボ。これは水質の良さを示すもの。



写真13、は水のPH調整剤。石灰かな?



写真14、はどこまでも続く養殖池。しかし、2年で500面てのは気合いが入ってますな。
ところが余りにも上手く行き過ぎて、急に予想外の生産量があったために
売り先を全く開拓してないってんですからイランらしいです。



写真15、16。網ですくうと・・・いますいます!




写真17,18は餌。成長の段階で3種類あるそうです。私にはミジンコに見えるんですけど・・・。
これも去年からイラン製のものが生産を開始しました。それまでは中国製だったそうです。



写真19.試食会。不味いワケないんですよね。
写真でもプリプリ感がわかりますね。



今年はミナブ全体で3000トンの収穫量を見込んでいます。
私はこれを回転寿司か100円ショップに売り込もうと思います。


写真20、21. 大塚南口ドミノ会館東隣の木造モルタル造り2階建て商店です。
このすぐ後ろが山手線の築堤高架です。
考えてみると、この建物は駅舎と共に現存する南口の建物としては一番古いものになってしまったんですね。
東京ではよくあるでしょう、「アレッ!? 先週通った時はあったのに更地になってる!」
って言うの。コレも近々そうなるんでしょうね。私がイランに来る直前にはありましたけど・・・。



2004年現在のこの建物は、「看板兼日除け兼ボロ隠し」の日焼けして退色したビニールテントに覆われて、
安っぽい新建材で補修され、今ではもう、いつ取り壊されてもおかしくないうらぶれた姿を晒しています。

しかし、私が子供の頃、つまり、都電16番の終点がこの建物の向かいにあった頃は
「大塚では結構格好の良いほうの建物」だったんですよ。
私の記憶にあるのは、天井が高い、窓が西洋風、1,2階とも、
窓上の庇に青い西洋瓦が載っている、と言った事で、全体的にエキゾチックな「洋館風」でした。
テナントも洒落た美容院とか、写真館、トリスバーだったような・・・・。

ずーーっと昔には隣のドミノ会館、つまり吉野家の位置にも
双子のようなこれと同じデザインの建物のコーナーバージョンが建ってたんです。
それがある日突然、建物全体にド派手な金色のパネルが貼られてパチンコ屋になっちゃったんですよ。
昭和42年かなあ。その時の姿が林順心氏の16番の大塚駅前終点の写真に
EF15とリヤカーと一緒に写っていますね。
あの金ピカパネルになってから確か「あれ!? こないだ改装したばっかしなのに・・・」
っと子供の私が思った程すぐ後に取り壊されて、その後に「ドミノ会館」が建ったんです。

作った模型は記憶が頼りなのでいい加減です。
でもこうやって模型に残しておいてあげないと、
こんな建物なんて壊されれば忘れ去られるだけですからね。
もう都電を憶えている建物も少なくなりました・・・。

あ、庇の西洋瓦と看板類は日本に帰ってから・・・。




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