三菱石炭鉱業大夕張鉄道1983・8
1970年代に次々と消えていった運炭鉄道、
1980年代になっても旅客駅業を行っていたのは沼ノ沢から分岐する大夕張鉄道だけだった。
気動車は入線せず、DD13タイプのDL55が3軸ボギー客車を引き連れて3往復していた。
撮影日 1983年8月31日
DL55-No.2+スハニ6+オハ1。
三菱石炭(鉱)鉄道 と表記されたキャブ銘板。
自社発注の丸妻客車ナハフ1。
観音開きの貫通扉のオハ1。貫通ホロは使われていなかった。
DL55-No.1の牽引する空セキ列車が到着。
3軸ボギー台車を履くスハニ6。
国鉄鋼体化客車に似ているが、荷物室扉、位置が独特。
スハニ6、オハ1ともに屋根上にベンチレーターはなかった。
トラス棒の残る狭窓の鋼体化客車オハ1。
出自をたどると明治期の客車にまでさかのぼる。
研修庫のDL55-No.3
ターンテーブル上のラッセル車キ1。国鉄キ100と同形の自社発注車。
ターンテーブルピット側壁はコンクリートで固めていない。
倉庫になっていたナハ5。ノーシルノーヘッダーの17m級鋼体化客車。
旅客列車のDL55-No.2と石炭列車のDL55-No.1が並んだ。
ホーム横の小高いところにあった駅舎入口から撮影。
この列車に乗って清水沢に向かったが、車内はヒトコマも撮っていなかった。
清水沢の跨線橋から。ベンチレーターのない屋根が良く分かる。
2014年6月27日撮影清水沢駅 駅舎と夕張線ホームは変わっていないが、
大夕張鉄道ホームや側線は撤去され長い通路が駅舎とホームをつないでいる。
南大夕張駅跡の保存車はこちら
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