当サイト「汽車・電車1971〜」主宰のTADA氏が、2025年9月23日に逝去されました。
ここに謹んでご通知申し上げます。
当面の間、
掲示板
への書き込みをできるようにいたしますので、
保存車活動に特に熱心だった氏へ、皆様からお言葉等お寄せいただければ幸いです。
三井三池専用線1981・3
大牟田市、荒尾市にCの字を上向きにした路線の炭鉱鉄道。
ヤード、機関庫のある三井港からはB凸電の牽く旅客列車も運転されていた。
情報がほとんどなく国土地理院1/50000図を頼りに大牟田駅から三井港に向かった。
撮影日 1981年3月10日
三井港、旅客列車はB凸電が2両の客車を牽いていた。
旅客列車牽引用機はドイツ機を思わせる2コライトだった。
左に見えるのは電車形客車のコハ103、木造車の鋼体化車で床下にトラス棒を装備。
31号機はL形15t機から改造された機関車。
5号機牽引の旅客列車が三井港ホームに到着。
シーメンス製1〜4号機をモデルに三菱造船1915年製造。
廃車後は
大牟田市が保存、管理
されている。
13号機、三菱造船製20tB形機。
HO入門用のフリーB形機を思わせるスタイル、旅客列車牽引には使われないようで、ライトは1灯。
機関庫ではシーメンス製1、2号号が並んでいた。
三井造船製8号機。
三井港名物、L形15t機5号、7号。
なぜか塗装が異なっている。同番号のB凸電がいるが問題はなかったのだろうか。
モノクロだと塗装の差異は分からない、カラーで撮っておいてよかった。
この機関車に乗務員ドアはなく、窓から出入りしていたという。
1908年GE製と日本の電気機関車黎明期に登場、1067mmでは最古と思われる。
5号機は廃車後大牟田市が保管
している。
機関庫を出て塀に沿って歩いていたらナローの機関車が現れた。
炭鉱でよく見かけるL形機、ナロー専用線については全く情報がなかった。
やがて28号機が諏訪川橋梁を渡っていった。
24号機が踏切を通過。
諏訪川橋梁は歩道も併設されていたが、これを渡って対岸の様子を身に行く度胸はなかった。
23号機が戻ってきた。
機関車が小さいの便乗者は外にしがみついている。
運行はけっこうあったようで、機関車が次々やってきた、26号機。
23号機と比べるとパンタ台、窓、エンドビームなど差異が見られる。
このナロー坑外軌道はその後電化施設を撤去、DL化され三川坑閉山まで稼働していたという。
次 原万田駅へ
TOP
私鉄を訪ねて
専用線メニュー
掲示板
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
広告ポリシー