西武山口線1982・10

1972年鉄道100年を記念して頚城鉄道2号機復活運行に始まった西武山口線の蒸機運転。
1977年から台湾糖業の527、532号機に代わった。
同じコッペル製ながら一回り大きく、鉄橋の改修、トンネル撤去など路線改良が行われた。
機関車が代わったものの遊園地の路線として見ていたのか、なかなか足が向かず、1982年の秋になってやっと訪問した。
撮影日 1982年10月28日


国分寺、中央線ホームから国分寺線801系を撮影。


801系はクハの台車が701系の国鉄払い下げから新型となり、西武初の完全新車とも呼ばれたが4連5本のみの少数形式だった。


萩山、多摩湖線501系。


萩山で並んだ拝島線701系と多摩湖線501系。


萩山、多摩湖線の小平行き551系。


遊園地前、発車を待つ527号。


機関士さんが顔を出した。






盛大に煙をはいて発車。


腕木信号機に井笠鉄道から来た木造客車、本物の軽便鉄道だった。




島式ホームのある中峰信号所、527号牽引の遊園地前行きはタブレットを渡す。




バッテリー機関車牽引のユネスコ村行きが通過。




527号が発車。


山口線で数少ないヒキのある角度で撮れるカーブ、タイミングがちょっと早く枝がかかってしまっている。


ユネスコ村駅。
新交通システムに転換後、駅跡に2両の機関車、8両の旧井笠鉄道の木造客車が保存されたが
1990年ユネスコ村のリニューアルで527号は西武園遊園地へ、532号は丸瀬布いこいの森に客車4両とともに移設した。





帰り道に撮影した国分寺線の551系、複線対向式ホームなので恋ヶ窪。
後ろに第一相互銀行が見えるが、当時恋ヶ窪に支店があった。
同行はその後太平洋銀行、わかしお銀行と変遷し三井住友銀行となり、恋ヶ窪支店は閉店した。


551系は4連6本の少数派であまり見かけなかった。
カルダン車601系とほぼ同じ車体だが、クモハが両端だった。
大半のクモハは空気ばね台車に履き替えたが、画像はイコライザー台車のままなので、最終編成のクモハ559〜560のようだ。


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