C12保存機大いに語る
第2部
831列車様作

                       撮影者は特記ないものは作者によるものです。

                     
                      木曽福島で「しなの」と並んで御満悦のC12199

164「さて、第二部を始めましょう。
前半の第一部は88さんで終わりましたので163さんからということになるのですが、C12はこの間の番号の多くが第二次世界大戦によって供出されているという事実があることを確認しておきたいと思います。
軍部の要請によって101〜160の60両となぜか飛び番の94、168の計62両が出征して帰らぬ機関車となったのです。
その多くは中国へ送られたのですが、後者の2両は南方作戦用としてインドネシア方面へ行ったのでした。結局戦後もそのまま現地に残った未帰還兵たちの消息はわからないままです。
ただ、近年の調査によると中国にいったうちの2両がベトナム・ホーチミン市に保存されているとのことで、そのうちの1両はS11年川車製の119号だとされています。
詳しい情報はあまりありませんのでこれ以上はお話出来ませんが、今も遠く離れた異国の地で故国を思っ
ている仲間がいることだけは忘れないで下さい。」

*注 JTB社の『全国保存鉄道』によればこのC12119(ベトナム国鉄131―428号)は動態保存で、このほかにハノイ北方のユエン・バイ地区にC12(国鉄番号不明)131―402号、リューサ地区にC12131=131―409号とC12136=131―436号が現役でいるという。(近年これらのC12も役目を終えた)

66「それでは後半のトップバッター・163さんどうぞ!」
163(S12日車 46―3小郡廃車 岐阜県加茂郡・JR高山線上麻生駅前保存
       
 2001年12月27日 「蒸気機関車ほか 鉄道保存車両について」やまてつ様ご提供

「こんにちは、岐阜県の加茂郡というところから来ました163です。
一つ下の弟164さんに再会できてとても嬉しく思っています。
私はけっこう行ったり来たりの一生でした。
新製配置は忘れましたが、昭和16年には北海道の滝川にいました。
その後主なところで四国の徳島〜小松島ときて、本州に戻り平、43―10で高崎一へ移動し足尾線の最後のお手伝い、そして45―10に今度は西の小郡へ、ここが最終の地となり46―3に廃車となりました。
しかし引き取って頂いたのはまったく未知の土地である高山線の沿線でした。
ただ保存地の方にはよくしていただいており、屋根付きの展示のため状態は良い方です。
山ひとつ越えれば74さんなどのいる恵那市ですし、大井川もそれほど遠くない感じですので今の環境にはまあ満足しています。」
66「あのう、保存車の資料によりますと、163さんは戦前に美濃太田区に配属され、高山線や越美南線などで活躍し・・・、とあるんですが?」
163「そうでしたか、じゃあやっぱり縁はあったのですね。
いかんせん昔のことで記憶も曖昧になっていました。」
164「兄さん、久し振りです!ちょうど次が私の番なのでそのまま話を続けましょう。
兄さんと同じく昭和12年の日車製の私は16年に上諏訪にいましたが、その後西日本の岡山や厚狭などに在籍しました。
厚狭暮らしは長かったのですが、運用の関係ですぐ近くにいながら、小郡の163さんとはなかなか会えなかったのでした。
48―3―31に最後の地である木曽路に転入し、D51さんたちに混じって構内の入換えや、上松まで出掛けて木曽の木材などの積み出しをしました。
その頃は多くのファンが木曽路を訪れていて、私の姿をカメラに収めた方も多かったのではないでしょうか?」
66「その頃のお仲間というと・・・?」
164「木曽福島のC12というと、40年代初めは198、199の2両のデフ付きコンビが有名でしたが、SLブームが本格化した43年前後は宇和島からきた82さんが198号さんにとって代わりました。
46―4に82さんが廃車になるとしばらくは199さんひとりと、時々上諏訪などからC56さんの応援を受けたりしていたようです。
私が来た頃は199さんも引退したあとで、このあとお話いただく171さんがいて、しばらくコンビで働きました。」
66「引退後の動向などはみなさんよく御存知のようなので省略してもかまいませんか?」


       
  *今日は「トラストトレイン」のお仕事中の164号(平成3年撮影)

164「そうですね、48年9月20日に廃車になって本川根町に貸し渡しという形で大井川に行き、そのうち日本ナショナルトラストさんが所有され、現在に至るというものです。
たいへん良くしていただいている現状に特に不満はありません。これも大鉄の方々の『昔とった杵柄』のおかげもあるのでしょう。」
163「というと・・・?」
164「大井川鉄道も昔は蒸気機関車を使用していたのですが、その際初めて使われたのがC12だったからです。
簡単にその機関車のことをお話ししておきますと、このC12は国鉄払い下げではなく自社発注機で、ナンバーは「121」というものだったそうです。
もちろん国鉄C12と同形で、プレートには「形式C12」とも入っていたそうです。
121という番号自体も「12」の「1」という意味合いなのでしょう。
この昭和10年日車製のC12は最初の私鉄向けC12ということで、島原や鹿交のC12の先輩にもあたるものです。
その後大井川から岡山の片上鉄道(現在は廃線)に移ってC12―202となりましたが、現存はしていません。」

※164号機は2006年よりATS未装備のため休車となり、新金谷の外れに留置されていた。
日本ナショナルトラストではATS取付のための募金も行われたが、再度の動態復活は実現せず
2011年10月新金谷にターンテーブル設置に伴い修復されターンテーブル上展示されている。
         
              2013年1月9日 撮影TADA

66「164さんのその後の御活躍は私もみなさんも周知の通り。お互いこれからもできるだけ長く多くの人たちに見て、乗っていただけるように頑張りたいものです。
それでは次の167さんどうぞ。」

167(S13日車 49―6南延岡廃車 兵庫県多可郡加美町役場保存)
         
2005年5月20日「蒸気機関車ほか 鉄道保存車両について」やまてつ様ご提供

「みなさんこんにちは、167です。今日は兵庫からの参加です。
最寄りの鉄道だった鍛冶屋線が廃線になってしまい、山陽筋に出るまでが少したいへんでしたが、それからは幹線を一直線だったので楽でした。
でも沿線や鉄道の変わり様には驚きました!まさに浦島太郎の気分です(笑)。
さて私の履歴ですが、どちらかというと平凡です。
戦後からずっと加古川におり、三木・北条・鍛冶屋・加古川といった播磨路のローカル線で働きました。
47―3のDL化後、奈良区にちょっとお世話になったあと九州の南延岡に移動し、日ノ影線、あ、もう高千穂線になっていたかな、まあそこで細々と過ごし、49―6に廃車になりました。
幸い保存も決まり、どこぞの公園にでも行くのかな?と思っていたらなんとかつての地元・兵庫県のそれも加古川線の沿線の加美町ではありませんか!
思いがけない里帰りができた私はとても嬉しかったものです。
何でも地元の方がSLの保存を申請したときは人気のD51さんだったらしいのですが、輸送や費用の関係で小型機に変更となりそれではと地元に縁のある私に御指名があったのです。
保存できるSLなら何でもいい、という風潮もあった当時にわざわざ九州にいる私のことを思い出して保存機に選んでくれた方に感謝したいです。」
66「なるほど。確かになじみの機関車の方が愛着も湧くものですし、機種選定の時にC12に詳しい方がいらっしゃったのは幸運なことでしたね。
ところで167さん、弟の168さんのこと御存知ですか?」
167「は?弟は戦時供出で南方へ行き、その後は消息不明となっているはずですが・・・。」
66「ええ、確かに先程お話した様なことなのですが、そのお写真が残っているのですよ。
少し古い趣味誌なのですが、インドネシア国鉄の東ジャワにある機関区で整備を受けている様子で、撮影されたのは昭和48年頃、つまりまだ167さんも加古川から南延岡へ移った頃で、まだ現役だった頃のものです。」
167「ええ!弟は戦後もしばらくは健在だったのですか。それは知りませんでした。」
66「ただその機関車がまちがいなく弟さんだという確証は撮影した方も得ていないようで、『C3201』という向こうの番号と、ロッドの刻印(これも168のものとは1番違っているらしい)によってほぼ168さんではないか、と書かれておられるのです。
まあもう1両は94さんですから、ナンバーが近い168さんにほぼ間違いないでしょう。」
167「そうですか。それは懐かしい。あとでその本ぜひ見せて下さい。
今はもう現存していないと思いますが、少なくとも戦後も頑張っていた証拠として偲んでみたいと思います。」
*注 「鉄道ファン」49年9月号「最後の楽園ジャワのSL4」に掲載。
また1970年11月号にも出征C12の記事がある。(こちらは中国出征組のもの)

       
       1973年12月22日 吉松 167号 撮影TADA

※167号機は2007年8月に若桜鉄道若桜駅に移設され、職員さんの手で空気式動態復元された。
若桜鉄道ではさらに本格的な動態復元、本線運転を目指している。
       
            2008年7月30日 撮影TADA

164「ありがとうございました。それでは木曽福島の同僚だった171さんお待たせしました。」
171(S13日車 48木曽福島廃車 長野県下諏訪町保存
「いやいや、待ちましたよ(笑)。
下諏訪から金谷までどう行こうかと考えた末、私は辰野へ出て飯田線をのんびり下って来ました・・・・、というのは冗談で、素直に中央本線〜新宿〜山手線〜品川〜東海道で来ました。
途中で茅野の67さん、甲府の5さんなどにも会いまして道中は賑やかでした。
品川で7さんが合流しなかったのは先ほどのお話の中で聞いて事情を知りました。残念な事です。
さて私の自己紹介ですが、ほとんどを上諏訪区で過ごしましたのでとりたてて目立つ経歴はありません。
67、66さんとともに『諏訪のカラス』として働いていた頃にちょうどSLブームがあり、この地味な仕事にもスポットを当ててもらい、趣味誌にも紹介されたのは嬉しかった出来事のひとつです。
47年に164さんのお話にあった木曽に移り、当時の長野局のお達しで煙室前面やフロントデッキ、そしてバックをトラ塗りにされてちょっと冴えない格好で仕事してました。
木曽福島で廃車後は上諏訪の隣の静かな温泉地・下諏訪町に引き取られ、清水町の公園に保存されました。
旧中山道の宿場町と温泉街とは反対の湖側なので、訪問の際は間違わないようにしてください。
でも駅からは近いのでお気軽にどうぞ・・・。」
164「駅の出口とは反対方向ということですね。(と、メモ帳に書き留める164)
下諏訪も近年、宿場にふさわしい『雀踊り』を付けた諏訪地方独特の本棟造り風の駅舎に改築されましたし、構内には鉄道関連の資料を展示したミニ資料館などもあると聞きますので、ひとつ皆さんも171さんに会いがてらおでかけください。」
171「宣伝をどうもありがとうございます!
 私の周りも屋根が付きましたので諏訪湖の冬も楽に過ごせるようになりました。
多くの保存機のお仲間の中では比較的幸せな余生を過ごさせていただいておるようです。」
 
         
     *屋根が付いて環境が良くなったC12171(平成10年撮影)

66「そういえばあの警戒塗装はゼブラキッドなどとも呼ばれていましたが、安全のためとはいえ、あまり格好の良いものではなかったですよね。
私もやっぱり塗られましたよ。
ところで171さんは現・動態保存機の私66と164さんの両方と一緒に働いた経験をお持ちなんですよね。」
 
        
     *現役時代の171号 ゼブラ塗装で木曽福島の入換中(46年撮影)

171「ああそうでした。昔一緒に仕事をした仲間が今も頑張っている姿を見るのは自分の事の様に嬉しいですよ。
ついでに思い出したのだけれど、私は上諏訪時代にはD511さん、C56160さんと、木曽時代には中津川のD51200さんとも顔を合わせていたんですよ。」
164「梅小路の保存機をよく御存知ということですね。続いて187さんどうぞ。」

187(S13日車 45―11高崎一廃車 茨城県久慈郡大子町保存
      
 2001年1月13日「蒸気機関車ほか 鉄道保存車両について」やまてつ様ご提供

「水戸から水郡線に入った大子町から来ました。
新製配置から約30年間を九州で過ごし、42年に鹿児島を後に一転関東へ移りました。
その転出先は水戸で、そろそろ常磐線の大型蒸機も消え行く頃でした。
そこで3年間働き、45年5月に高崎一区へ転出し、足尾線の最後の半年のお手伝いをして廃車となりました。
私の保存の経緯もお話しておきましょう。
大子町からの申請があったのは、茨城県内の煙が消えるにあたって県内各地で保存の希望が国鉄にあり、水戸や日立などにはD51さんや8620さんなどが決まりました。
大子町は本来なら水郡線で活躍した8620さんが適任だったのですが、なかなか希望に沿うカマがなく、私がどういうわけか選ばれたのです。
まあ茨城県内に配置の実績があったので、あながち無関係でもないし、特に不満はありません。」
66「そういえば、187さんは水戸区時代に真岡線も走ったことがあると聞きましたが?」
187「ええ、よくは覚えていないのですが、確かに走った証拠として、水戸局の発行した記念乗車券に下館を発車する私の姿を写した写真が図柄に使われているのです。」
66「そうでしたか、じゃあ187さんは私の先輩?になるのですね。」
187「でも真岡線は本来、小山区のC12さんが担当(古くは真岡支区)で、私はそれほど通った記憶はないのですよ。
真岡線を走ったC12は232、233、253さんなどではないでしょうか?」
164「これらの方々は皆さん現存されていませんので、真岡での思い出などを聞く事ができないのは残念ですね。
水戸区のC12の運用についてのメモによりますと、水戸への配属は昭和42年からとのことで、2両配置のうちの1両が水戸線の川島や下館の入換えなどのために真岡に常駐し、三週間交代で水戸へ帰っていたとのことです。
ただこれも短い期間で、1年と少しでDLと交代(44―2)となり、水戸のC12が真岡線と水戸線を走ったのはわずかな期間となったようです。」
164「あ、ただいま新しい資料が手に入りました。
どうやら真岡線内での蒸機〜つまりC12の最終運用日は45年の3月5日だったようです。
水戸区の193号が貨物を牽いて茂木を発車したのが最後だそうです。
つまり先ほどの42年、というのは水戸線内での入換え作業の終了のことらしいですね。」

66「となると真岡線にはそれからさらに3年は煙が残ったことになりますね!」

164「このあたりの詳しい記録が集まっていないので確信はないのですが、当時この運用に携わった乗務員の方の証言なんどがありますので間違いないでしょう。」

最後に187さんの特徴などありましたらお話下さい。」
187「何と言っても正面の形式入りプレートですかねえ。
現役末期に付けていたのは私と164さんぐらいでしたから、結構自慢でした。
それから二つ目、これは皆さんの中にも多い様ですが、私はバックも二つ目なんです。
ホラ!(と後ろを向く)」
66「なぁる・・・、あれっ?この片方のライトは変な所についていますねえ。」
187「へへ、実は九州時代の通風孔のひとつを利用しているんです。
きちんと二つ並んだ『後ろ二つ目』の仲間もいたようですが、私も捨てたもんじゃないでしょう。
C11207さんも前後二つ目だけど、こんなのもいるのだということをお忘れなく!」
163「完全平行の後ろ二つ目は私です。
ナンバープレートの上に二個シールドビームが並んでおります。
もちろん前も二つ目です。でも187さんのには驚いた!こんな改造の仕方もあったんですねえ。」
187「エヘン!(と胸を張る187)」
164「やれやれ、187さんにはまいりました。さて次は199さんですね。」

       
  1972年9月23日 袋田駅に隣接して保存されていた187号機 撮影TADA

※2010年10月1日 常陸大子駅前に修復のうえ移転した。
       
            2011年7月12日撮影TADA

199(S13日車 48木曽福島廃車 長野県木曽郡楢川村奈良井保存
       
             2008年7月23日 撮影TADA

「みなさんに『デフ付きのC12』というと必ず話題になる199です。
ほかにもデフ付きの仲間は四国や関東にもいたそうですが、ブームの頃に残っていたのが私だけだったので注目を集めたのでしょう。
何が幸いするかわからないものですね。(笑)
さて私はしばらく東北で働き、戦後に飯山区に移動、それ以降は木曽福島で最後まで勤めました。
相棒だったやはりデフ付きの兄・198もほぼ同じ経歴でしたが、木曽では私より早い44年5月に廃車となってしまいました。
兄弟仲良く同じ職場を渡り歩いたのに、やはり調子が悪かったのでしょうか。
その後私のパートナーは82さん、171さん、164さんなどと代わりましたが、時には長野や上諏訪のC56さんなども応援に駆け付けてくれました。
そうそう私の引退したあとも能登のC56124さんが来ていたみたいだし、中津川のC12さんが最後になったようですね。」
66「他に木曽での思い出などは?」
199「え〜、そうですねえ。これは木曽路ではないのですが、私たち福島や諏訪のC12は冬のアルバイト仕業?というものがあって、飯山線の『戸狩スキー号』などの臨急を長野から牽引する仕事がありました。客車3両ほどのものでしたが、飯山線は名にしおう豪雪地帯、行く手をはばまれて立ち往生し、途中駅で打ち切りなんて年もあったっけなあ・・・。」

       
      木曽福島区で日向ぼっこ中の199号(45年撮影)

66「そうでした!飯山線には私も借り出されたことがありました。確か46年1月もそうだったような気がします。
199さんなんか飯山は故郷のようなものでしょうから、楽しかったのではないですか?」
199「いやいや、雪もそうですが、非力なC12にとっては替佐あたりの勾配もきつかったですよ。
まあ飯山の木製の庫などはずっとそのままで懐かしかったけどねえ。」
164「臨時とはいえ急行牽引の思い出があるのは素晴しいことですね。
ところで199さんの現在の状況はどんなものですか?」
199「私がいるところは中山道の宿場町で有名な奈良井宿の近くの駐車場です。
屋根はないのですが、頻繁に木曽路めぐりをされる観光客の方が立ち寄られるので毎日賑やかです。
状態はまあまあですし、デフもそのままですよ。」
164「それはなによりです。」
66「次は164さんと同じく大井川鉄道におられる208号さんですが・・・、ああこちらもずいぶんと部品がなくなっていますねえ。」

    
2001年7月15日 新金谷側線 野ざらし状態の208号 撮影TADA

208(S14日車 49熊本区廃車 岐阜県養老郡に保存後、大井川鉄道に移籍)
「あ、これはいいんですよ。
私は大井川に来た当初は同形の部品を持つ他の機関車さんへの部品供給用の目的があったからなんです。
ただ新金谷に着いた時は状態も良かったので、一時は動態復元も考えられたようですが・・・。
私の簡単な自己紹介をしますと、新製配置から廃車までの生涯を九州から出ずに過ごした生え抜きのカマでした。
その間、南延岡〜西戸崎〜門司港などに在籍し、鹿児島では入換や指宿枕崎線で働き『日本最南端のC12』となりました。
その後同僚の241さんとともに熊本に移り、222・252さんの後を受けて高森線の最後まで頑張りました。先程お話のあった九州最後のC12の1両になれたのも幸運で、廃車後は岐阜県内に保存されましたが、部品確保用のC12を捜していた大鉄さんの目に止まり、大井川へやってきたというものです。」
164「日頃の208さんの献身的な御努力にはたいへん感謝しています。
さて今お話に出ていた222さんですが、どちらに・・・?」

222(S14日車 47―8熊本区廃車 福岡県和白小学校保存 現在は小倉工場に移転)
       
2004年3月1日 「蒸気機関車ほか 鉄道保存車両について」やまてつ様ご提供

「ああ、すみません。208さんの後ろに回って見ていました。
なるほどあちこち外されていますねえ。
熊本でバトンタッチした時以来の再会ですが、こういった形になるとは残念です。
でも208さんとしての存在はたいへん貴重なものだし、こうしてお話できたのもこの会があってこそで、主催者の方、そして司会の164・66さんに改めて感謝したいです。」
 
       
   *お得意のバック運転で立野橋梁を渡る222号(47年撮影)

164「いやいや、それほどでもありません。ところで222さんの履歴はどういったものでしょうか?」
222「私も208さんと同じく九州一筋でして、鳥栖や西戸崎といった主に北九州地区で働いていました。
熊本に移ってからは252さんとともにナンバーも緑に塗られ、高森線で脚光を浴びました。
白川橋梁や阿蘇五岳の麓を行く姿はC12の走る撮影地の中でも人気がありました。
CMや広告写真などにもよく登場させていただき、少しこそばゆい感じはしましたが、恵まれた晩年でした。」
66「あの頃は国鉄もディスカバー・ジャパンとかのキャンペーンをしていて、SLの走るローカル線はけっこうもてはやされていましたね。
確か当時の立野駅のスタンプはSLが図柄に入っていたような・・・?」
222「そうです。白川橋梁を渡って行く列車が中心になっています。シルエット風なのと絵が小さいのでなんともいえませんが、あれはまさしく当時活躍していた私か252さんだと勝手に決めつけております(笑)。」
66「いいですねえ、駅のスタンプになっているなんて、それも番号も推定できるのですから・・・、高森線は沿線に温泉もあるし、『美しい日本と私』のキャッチコピーに誘われて、若い女性もけっこうSLに乗りに来たことでしょう。
その高森線から222さんらが去ったあとを継いだのが208・241さんのコンビだそうですが?」
208「私と241さんが移ってきてしばらくして高森線は合理化され、貨客分離がなされました。
そのため混合列車はなくなり全面DC化は免れたものの私たちの仕事は1日1往復の貨物だけになってしまったのです。
それまでは交代で立野に駐拍して1日の仕事をこなしていたのが、毎日熊本から長い距離を単機で往復するという、仕事より通勤時間の方が長い?ことになってしまったのです。
すでに豊肥の9600さんの姿もなく、離れ小島のようにポツンと残ったSL運転線区にはファンの方も二の足を踏むようになり、次第に寂しくなってきました。」
241「でも熱心なファン、それにもう最後に初めて汽車に会おうという人はいろんな苦労をしてでも駆け付けてくれたのはありがたかったよね。」
66「そうでしたか。高森の最後を走ったお二人だけに実感のこもったお話でした。」
164「あ、そうそう、その222さんが図柄となっている?DISCOVER→JAPAN」の立野駅のスタンプが事務局にありましたのでここで御披露させていただきます。
うん、確かに白川橋梁を渡るC12の列車ですね。
機関車の形は小さくてわかりませんが、このシュチュエーションならやっぱりC12、そしてスタンプの設置時期を考えてもモデルは222さんか252さんで間違いないでしょう!」

     
白川橋梁を渡るC12の列車が図柄の立野駅スタンプ、立野駅名物のニコニコ饅頭も白川橋梁が描かれているがこちらはテンダ機のよう。


66「高森組のお話はそこまで、ということで、次にまいりましょう。
これも遠方からの御参加の225さんです。」

225(S14日車 50―2吉松廃車 鹿児島県霧島国民保養センター保存)
      
2003年10月26日 「蒸気機関車ほか 鉄道保存車両について」やまてつ様ご提供
※225号機は2008年に解体された。

「64さんと一緒に小樽から吉松に来て最後を迎えた225です。
そのてん末は64さんがお話下さったので省略します。
私はけっこう全国を渡り歩いており、山陰の浜田、四国の徳島、北陸の糸魚川、兵庫の加古川ときて、47―3に北海道に渡り築港へ、そして49―5に吉松というわけです。
廃車後は霧島の保養センターにおりますので、ぜひ一度おこしください。
私は晩年の北海道仕様のままで、二つ目・昇降シリンダー付きですが、それにしても道内に保存の方が2両ともこの装備を外されて、大阪と九州の保存機はみなそのままなのは面白いことです。」
66「やはり地方色のある装備はできるだけそのままの方が本当は良いのでしょうが、いろいろあるのでしょう。せめて説明書きにでも明確にして欲しいものですね。
さて再び本州に戻って230さんです。」

230(S14日車 49―7木曽福島廃車 愛知県西尾市保存
「やっと私の番ですね。うわさでは私が本州最後のC12とか?
真相は私にもわかりませんが、事務局の方で当時の記録など調べていただいているのでそのうちわかることでしょう。
私はどちらかというと西日本中心に働いた一生でしたが、ファンの方の被写体になりはじめたのは36年に転属した加古川以降が多いようです。
ここで約9年過ごし、47年に中津川へ移動、明知線では調子が良かったのかもっぱらよく使っていただきました。
最後はなんかあっけなく無煙化されてしまい、私は木曽福島に貸し出されて廃車となったわけです。
楽しかった思い出といえば、加古川時代の46年11月、鉄道100年を記念して制作された国鉄の映画に出演したことです。
有名な冒頭の梅小路での機関車揃い踏みのシーンなのですが、隣にはC1196さんとC551さんがいました。」
164「へえ〜、それは初めて聞きました。
でもC12は動態保存の対象にはなっていなかったのになぜ梅小路にいたのですか?」
230「実はこの時は梅小路の保存とはあまり関係ないものでして、確かに保存候補機を中心に集められていたようですが、制作者としてはできるだけ当時の現存形式を集める、という意図があったようで、私以外にも保存候補形式以外の方もいらっしゃいましたよ。」
164「え?それはどんな方々でしたか。」
230「例えば亀山のC50154(当時は保存形式だったがのち取り消し)さん、直方のD6031さん、深川のD612さんなどで、保存候補形式の方でも代役で来られた方もずいぶんいたようです。
また逆に鹿児島のB20さんは自力では本線走行は無理で輸送が大ごとになるとのことで取り止めになったそうです。
私も当初の予定は同じ区の225さんだったのですが急きょ変更になったようです。」
225「230さん、どうせなら居座っちゃえばよかったのに・・・!」
230「!その手がありましたか。
確かにC551さんは候補機ということもあってそのまま旭川へ帰らずに保存になってしまったし、C12も候補にという声があれば可能だったかもしれませんね。」

*梅小路の鉄道100年記念映画撮影での機関車揃い踏みの様子はフジシロー様のサイト「フジシローの鉄道写真館」(現在休止中)の品川530様撮影「梅小路開館前のSL集結」にUPされています。

         
   *中津川の構内で一息つく230号。バックのEF64は貼紙だらけ・・。

       
        「碧海電子鉄道」碧電みやさまご提供。
「愛知県西尾市のC12230です。
1974年8月頃の撮影ですからまだ保存されて間もない頃だと思います。
この日は西尾市にキグレ大サーカスが来るというので、私たち兄弟と従弟達を祖母が連れて行ってくれたのです。
たぶん新聞でC12が保存されたのを知っていて、サーカースのすぐ近くだからとカメラを持っていったのだと思います。
しかし、ご覧のような真っ黒。天気が悪い夕方でしたので露出はなく、カメラ経験もない小学生に露出計のない古いカメラで適正露出を決めろといっても無理な話でした。^^;
いいわけがましく暗さの表現として右端にある街灯が点灯しているのがわかります。」


164「面白いお話でした。ところで230さんは何か車体に特徴はありますか?」
230「まあ、しいてあげればキャブ後背面にある二ケ所のルーバーですかねえ。
これはバック運転の際の風取り入れ用のもので、九州の皆さんが多く装備しておられる炭庫のライト横の風孔とおなじようなもの、と聞いております。」
222「(230のうしろにまわってながめながら)どれどれ、あ、なるほどこれはルーバーだわ。
私たちの風取り入れ孔はまったくの背面だけど、230さんのは少し奥まった運転室の妻面ですね。
九州のカマの多くは炭庫を継ぎ足して高くなっていたので230さんのような位置では風が入りにくいために付けられなかったのだと推測します。」
66「これはけっこう変わった設備ですね。え?(とここで66にメモが渡される)
ふむふむ、なるほど!・・・え〜今事務局の方からメモが来まして、木曽路の最後のC12―つまり本州最後のC12についてですが、まず中津川から木曽福島に貸し渡しになったのはやはり230さんだそうです。
そして6月頃まで頑張って、廃車になったのが49年の7月の5日(一説に15日)だそうです。というわけで最後まで現役だったのは230さんなのですが、車籍上の最後はやはり福島馴染みの199さんのようで、保管されていた199さんが廃車となったのは同じ月の18日となっています。
長年信州や木曽路で働いた勲章とでも申しましょうか、本州最後のC12は199さんということになりました。」
199「それはどうも、最後は働きもせず、福島の庫でのんびりとしていた私が最後とは、何か申し訳ないような気がします。」
66「なんとか結論も出たようなので、次へまいりましょう。
久々に続き番号機となります231さんどうぞ。」

231(S14日車 45―5宇和島廃車 愛媛県内子町保存)
       
2001年1月1日 「蒸気機関車ほか 鉄道保存車両について」やまてつ様ご提供

「兄さんより4年も早く廃車になってしまった弟・231です。
そしてようやく四国勢?の登場となります。
私は東北育ちで、先程もお話しましたように福島にいた時は川俣線も走っていました。
その後会津に移ったのち四国の地を踏み、多度津を経て44―9に宇和島に来ました。
ここでの仕事は内子線(当時は分岐は五郎で、終点が内子)が主で、263さんや259さんが同僚でした。宇和島線(現・予土線)もC12の担当でしたが、
こちらは私が来る前に無煙化されていました。
内子の方も約九ヶ月で最後となり、45―3―31にはお別れ列車(貨物)も運転され、その牽引を私が担当しました。
この様子は鉄道趣味誌にも紹介されましたので御存知の方もいらっしゃるかもしれません。」
66「そうでしたか。で現在の状況はどうですか?」
231「私は当時の内子線の終点・内子の駅から少し離れた小学校付近に保存されたのですが、のちに予讃本線の短絡ルートとなる内山線が敷設されると内子は高架の中間駅となり、私もその新・内子駅の駅前に移動しました。
状態はあまり変わっていませんが、もともと整備状態は良かったので露天ながらまあまあの姿を保っております。」

*注1 231号の東北時代の記録としては、『蒸気機関車』13号(71―5)に「会津の最北に走る」と題し日中線の列車を牽引する姿などが掲載されている。
会津に231号が在籍していた証でもある。
*注2 231号のさよなら運転のレポートと保存の記事は、鉄道ジャーナル誌70―9号『C12231さよなら運転添乗記』、71―4号『C12231保存』・・・ともに大島高義氏筆・・・などが詳しい。

66「ありがとうございました。さてしばらく続いた日車製C12さんから日立製の方になります。241さんどうぞ。」

241(S15日立 50熊本廃車 熊本県阿蘇郡南阿蘇鉄道高森駅横保存
「みなさんこんにちは、208さんとともに九州の最後となった熊本の241です。
私の経歴ですが、戦前は東北にいたような気がしますが戦後はずっと九州で働き、豊後森を経て30年代に鹿児島に腰を落ち着けました。
45年頃にはここにおられる208さんや287さんと区の入換えや指宿線を日課にしていました。
48―3に熊本に移りましたので高森線で私を思い出す方と、鹿児島で会った方とファンの方は別れるようですが、いずれにしても九州であることには変わりません。
最後の御縁で保存先は高森駅の横で、今も阿蘇の山々を朝夕に眺める毎日です。
屋根付きなので状態は普通ですが、現役の頃は一度も付けなかった門鉄デフが装備されているのは私には不似合いだと思うのですが・・・。」
66「(241のデフを見ながら)う〜ん、あまりC12には合わないみたいですね
え。ちょっとあの時代の門デフとも形が違うようだし、標準デフなら199さんのようにC56さんと同じような感じに見えるのですが、門デフはC56さんも付けたことはなかったし、何より働いていた当時の姿のままが一番保存には相応しい姿だと思います。」
241「C12は小型機ですからデフはあまり必要ないとも思うのですが、同族のC11さんには門デフ装備の方が多くいらっしゃったので、やはり九州なじみのカマには一度はあのデフを付けてみたかったC12もいたのではないかとも思います。
それを思えば贅沢はいっていられないかなあ・・・。」

                   
  *あ〜疲れた、と鹿児島の転車台上の241号(47年撮影)

      
  1989年8月 小さめの門デフをつけ高森駅前に鎮座する241号 撮影TADA

66「241さんは現役時代の思い出では何かありませんか?」
241「そうですねえ・・・、ああそういえばさっき230さんが梅小路で鉄道100年映画の機関車勢揃いシーンの一員として参加されたことをお話になっていらっしゃいましたね。
時期は少し違うのですが私も鹿児島にいた頃、当時の鹿児島局さんの主催で行われたイベントで、やはり機関区のラウンドハウスに九州在籍の他形式の仲間とともにC12代表として参加させていただいたことがありました。」
164「ほう、241さんも晴の舞台を踏んだのですね。」
241「あれはいつだったかなあ?え〜と(と思いをめぐらす)・・、そうだ!まだB20くんもC612さんもいた頃だから47年の夏でした。
鉄道100年記念の機関区公開と動態保存車の歓送を兼ねたものだったと思います。」
66「この年はSLブームもまさに最高潮でしたから、各地で蒸機はイベントに引っ張りだこでしたからねえ・・・、ということは他にも機関区の撮影会などに参加されたお仲間もおいでではないでしょうか? あ、167さんもですか。」
167「再びお話に加えさせて下さい。
私も47年に奈良運転所のイベントにC12代表としてラウンドハウスに並んだ記憶があります。
ちょうど加古川での仕事も一段落し、さてまた異動かと思っていたところにお呼びがかかりまして、同じ近畿地区ですから日帰りのつもりで出かけました。
実際は泊まりになったのですが、やはり人気は当時デフにいろいろなマークを付け始めた奈良区のD51さんたちで、さかんにシャッターをきられていましたね。
私はというと隅の方でおとなしくしていました。(笑)」
66「ふむふむ、奈良区の公開はちょうど梅小路の開館と同じ日ですね。
ということは当時の近畿のファンは大忙しだったのではないでしょうか。
ともあれC50さんや鹿児島でのD60さんなども、私達C12と同じく動態保存にもれた仲間でしたが、当時の国鉄現有蒸機形式として活躍していた証拠として記録に残っているのはなによりなことだと思います。」

*参考資料 ★は後に保存されたもの(静態・動態)
 鹿児島機関区のイベント 「蒸気機関車展示会」 47年7月29・30日
扇形庫展示 ★C612宮・C5820志・C57199宮・C56156吉・C5557吉・C5042鹿・★C11189志・★C12241鹿・D6064直・D51567延・39680熊・48679鹿・★B2010鹿

:*このイベントの模様は薫製工房様のサイト「薫製工房」「鹿児島機関区」にUPされています。
また高森線のC12もUPされていますので、ぜひご覧ください。
 
奈良運転所のイベント 天王寺局主催 47年10月14・15日
扇形庫展示 ★C12167加・★C5866亀・★C57198亀・D51613奈・★C1196梅・C50109亀

なお47年10月31日にはやはり鉄道100年記念行事として行われた浜松工場の公開で、当時保管中だったC12269号が公開されている。

164「九州組の方々の楽しいお話し、ありがとうございました。
さて次は本州へ戻って244さんですね。」

244(S15日立 48―11中津川廃車 恵那市明知小学校保存
       
2001年12月27日 「蒸気機関車ほか 鉄道保存車両について」やまてつ様ご提供

「はいどうも、230さんに続いての明知線ラスト組だった244です。
簡単に自己紹介しますと、私は元来越後育ちで西吉田や東新潟などで働いていました。
仕事場の越後線はC56さんが進出してきたので越後を離れ、稲沢一〜西舞鶴〜厚狭と転々としたのですが、幸いにも生き残り48年3月に最後の職場・中津川へとやってきたわけです。」

    
   1973年5月5日 中津川で入換中のひととき 撮影TADA

164「ああ、そうでしたね。厚狭区で私も一緒にいましたので覚えています。
宇部周辺の無煙化でお役ご免となって、たしか3月22日に244さんが転出されたあと私にも31日に辞令が出て、244さんの後を追って木曽福島へ来たわけです。
お互い管理局は違いましたがまた近くで一緒になれたのでした。」
244「ええ、でも164さんは福島の入換えと上松あたりまでの出張だったようなので、お互い顔を合わす機会はありませんでしたね。
いや久しぶりで御無礼しました。」
164「こちらこそどうも。で今の環境などはいかがですか?」
244「そうすね、小学校という場所柄、ちびっ子のいい遊び相手になっていますよ。
まあ中津川最後のメンバー(67・69・230・244)がみな保存され、こうして今日再会できたのが何と言ってもうれしいですね。」
66「ありがとうございました。さて、残すところあと3両の方となりました。
再び四国へとんで259さんですね。」

259(S15日立43―12宇和島廃車 愛媛県宇和島市和霊公園保存
       
2004年11月14日 「蒸気機関車ほか 鉄道保存車両について」やまてつ様ご提供

「ども、宇和島のヌシ?259です。
新製配置から廃車まで宇和島を離れず、28年間過ごしました。
そのため保存地も宇和島市内です。
231さんからもお話があったように、宇和島での仕事は内子と宇和島線でした。
私は43―10の宇和島線の無煙化時にお役御免となり、44―10に市内の公園に展示されたのです。
9―30には貨物でさよなら列車が運転されたのですが、選ばれたのは私ではなく同僚の263さんでした。
彼は廃車とはならず、高崎へ転じたから、足尾で見かけた方もおられるでしょう。
そして足尾でも終わらず最後はまた西日本の厚狭区までいって47―6まで頑張った働き者でした。
早めに廃車〜保存となった私や231さんとは違い、3両の最後の仲間のうちではついに保存されなかったのは残念です。」
164「よく働いた方がかえって保存の時期を失してしまうことは往々にしてあるみたいですね。
それでいざ保存となって縁のカマを捜そうとしても該当車はすでに鉄屑と化してしまっていた・・・。
当時の保存熱に対しての当局の対応にしても、細かい機関車の経歴などを調べて保存車を決定するなんて計らいは望むべくもなかったのですから仕方のないことかもしれません。
事務局から263さんの最後の姿を撮影したものがありましたので御覧下さい。」

       
*厚狭区で役目を終え、小郡に留置中の263号最後の姿(47年撮影)

164「そういえば263さんは私も厚狭区で一緒でした。
当時はラストナンバーの293さんもいて賑やかでした
。C58さんやD51さんに混じって私たちは宇部港や小野田線を電車の間を縫って走ったものでした。
ああ、そうそう次の280さんもお仲間でした!」
 
      
     *ホーム・屋根付きで環境もまあまあ、安心の259号

280(S22日車 48―5厚狭区廃車 徳島県小松島市保存
      
2005年3月19日 「蒸気機関車ほか 鉄道保存車両について」やまてつ様ご提供

「四国でも徳島から来ました280です。
今日は厚狭の方を始め、懐かしい顔に再会できて嬉しいです。
特に5さん、甲府のさよなら列車以来ですね。
さっき(第一部)少しお話したように甲府で別れたのち私は白河を経て45―10に厚狭に移動しました。
164さん、263さんなどの仲間となり、こまめに周辺を走ったものです。
廃車も同区でしたので、実は私は四国内を走ったことはないのです。
あまりなじみのない土地でしたが海上輸送されて当初は小松島の新港児童公園というところに設置されました。」
164「なぜ四国の徳島に280さんが呼ばれたのでしょうか?」
280「ええ、おそらく宇和島地区のC12の保存を聞いた徳島方面の関係者の方が、やはりC12が活躍していたこちらにも保存機が欲しい、ということで要請があったのでしょう。
徳島・小松島のC12が消えたのは昭和42年(1967)ということですので、当時はまだ保存熱も高まっていなかったので、機関車を残してはいなかったのです。
でもどうせなら私より同じ厚狭にいた263さんの方が適任だったと思うのですが、いろいろ事情もあったのでしょう。
今はここも住めば都、で満足しています。
なお現在私は旧小松島線の跡地に出来た『小松島ステーションパーク』に移設されています。」

                  
*厚狭区で憩う280号(47年撮影)夕陽の反射でちとまぶしいなあ・・。

164「住めば都・・そう今私たちがこの姿を保っていられるのも20数年の間整備をされてこられた多くの方々の協力があってこそなんですね。
いろいろの問題が個々の事情によってあることも現実ですが、いまある形を後世にも伝えていくためにも保
存地の方々への感謝を忘れたくないものです。
さて、長い間お話を聞いてまいりましたこの座談会もいよいよ最後の1両となりました。
287さんそれではよろしくお願いします。」

287(S22日車 49―6南延岡廃車 千葉県君津市保存
「恥ずかしながら大トリをつとめる事になりました287です。
今日は千葉から来ました。
保存機では私が最大のナンバー機だということで、ラストの293番さんより6番前ではありますがC12一族の掉尾を飾りたいと思います・・・と、あまり構えてもしょうがないのでやはり私もみなさんと同じことをお話します。
私は280さんと同じく戦後生まれのC12です。
活躍はもっぱら九州で、晩年は鹿児島を経て最後は南延岡でした。
先程167さんがお話しされていたように、ここでの仕事は高千穂線の貨物と南延岡の入換でした。
高千穂線内は途中の日之影までしか行かなかったので、あの雄大な鉄橋からのながめを楽しむことは出来ませんでしたし、新線が延長されたとはいっても逆に貨物は減ってしまい、運用も臨時扱いになって、ちょっとさびしい晩年でした。」
164「なるほど、まさに『日の影』みたいにC12の存在も薄くなってしまったのですね。
そして最後の仲間が167さんと287さんになったのですね。」
287「はい、私は鹿児島、彼は奈良から転入しました。
167さんも元気そうで何よりです。
そして彼は廃車後に縁の播磨の地に保存が決まり、幸い私も何とか生き延びることが出来たのです。
現在いるところは九州から遠く離れた千葉県の君津というところで、場所的には内陸部に入った久留里線の小櫃駅の近くです。
この線も昔はC12が走ったそうで、その縁もあって迎えられたのかもしれません。
屋根もありますし、少々回りの雑草さえ気にしなければのんびり過ごせます。
九州時代の名残りのバック通風孔も健在で暑い夏には助かります。」
164「なるほど、千葉の夏は暑いですからねえ。
しかし久留里線沿線とはまたずいぶん変わったところに保存されたものです。
でも最近は首都圏に残された数少ないJRの非電化路線ということで注目を浴びている線なので、けっこう鉄道ファンも訪れる様になっていることと思います。」

      
     *後ろ向きで失礼! 草むらの中の287号

287「そうですね、ついででも結構ですから途中下車して私に会いにきてくださると嬉しいです。
まあここも良い場所だと思っています。」
66「関東の地もまたよいものですよ。
私のいる栃木も長閑な田園地帯が広がり、のんびりと仕事ができます。
ところで287さんは最後は南延岡ということですが、前任者はたしか55号さんと93号さんでしたよね?」
287「ええ、お二方とも生涯のほとんどを南延岡で過ごしたという九州生え抜きの古強兵で、ともに最後まで前面形式入りプレートのままの整った顔立ちで走っていらっしゃいました。
私が思うに、小型のC12では二桁ナンバーのものが一番形式入りプレートが似合うのではないかと・・・、またあの両機はあまり改造もされていなかったので、C12の中でもベストスタイリスト機になるのではないでしょうか?
惜しむらくはともに保存はされなかったので、お写真でしかその姿を見られないのが残念ですが。」
187「たしかにそうですねえ。私も少し横幅が広く感じていますので、二桁機ならボイラーともしっくり調和していてよいなあ、と思ったものです。」
164「南九州のベテラン2機がともに形式入りで最後まで残ったのにも何かありそうですね。
そういえば前に述べた白河の11号さんも宮崎などで過ごし、白河に来る前は南延岡にいたようですから。」
66「とすると昭和30年代後半には南延岡には11・55・93という3両の形式入りプレート付きの二桁ナンバーC12が揃っていたのですね!
これがもう少しのちのことだったらさぞファンの注目を浴びた事でしょう。」
287「そうですね。そんな人気のあったC12たちの後を継いだことは光栄でした。
あ、そうそう93号さんのお話が出ましたが、何でも彼の動輪が大井川のC5644さんに移設されて頑張っているとかの噂を聞いたのですが・・。」
164「あ! そうでした。地元にいながら大切なことを忘れていました。
C56さんはタイからの御帰還の際、軌間の違う足回りを取り替えるため、代わりの部品を捜した際、同族の我々のものが眼に止まり、それが93号さんのものだったということです。
この動輪の提供者も38号さんがお世話になっている共栄興業さんからということで、C57さんなどの完璧な保存といい、各地への機関車の寄付や最後の工場出場車・D51603号さんの形見の保管といい、まさに蒸機たちにとっては心のよりどころとなる会社といえますね。」
66「93号さんはC5644さんの『足』となって今も走り続けている、ということなのですね。
いや〜いい話をお聞きしました。(涙)」

                 
                 1973年8月4日 南延岡 正面形式プレートの93号機 撮影TADA

164「どうもありがとうございました。
以上、今日お集りの皆さん全員に御発言いただいたわけですが、実はもう1両、国内にC12の保存機がいるとの情報がありました。
それはJR東海の浜松工場に保管されているという269号さんのことです。
これはあとでわかったことなので御招待状はお出ししなかったのですが、御本人が現存されているかなどの詳細は不明ですので今後確認したいと思っております。
ちなみに269さんは昭和16年の日車製で、もともとは小倉鉄道のC1213号機として生まれ、のちに国鉄に編入されたものだそうです。」

*注 269号は現存せず、工場の資料室にナンバープレートなどが保管されている。

66「長時間にわたり、楽しいお話しをしていただき本当にありがとうございました。
まだまだお話しはつきないようで、こちらも各活躍線区の思い出・あの有名撮影地・ベストオブC12などの話題を考えていたのですが、お時間も残り少なくなってしまいました。
みなさんのご発言を聞きまして、今後の我が国の蒸機保存のありかた、そして私たち動態保存機の今後に何か生かせることが会議を御覧の方々に伝わってもらえれば嬉しいものです。
とりあえずここで締めさせて頂き、このあとは気の会った方同志で旧交を温めてくださるようお願いいたします。」
164「また今日、この場を提供していただいた大井川鉄道のみなさまにあらためて御礼申し上げます。
またC11さんを始めとする大鉄保存機の皆さんも本来なら同じ時代を生きた仲間として参加していただくべきところ、『C12同志の方が良いでしょう』というありがたいお言葉にあまえてしまいました。
次回はぜひみなさんも含めた盛大なものを開きたいと思っています。
どうもありがとうございました!」
(一同、拍手)
66「それではここで、締めといたしまして人間ならば3本締めなどとなりますが、やはり我々は蒸気機関車です。
『話の峠を越えた』ということで、絶気合図で終わりたいと思います。
みなさん汽笛の御用意をお願いします!」

全機「ボー! ボッ、ボッ!!」

主催者「どうもありがとうございました。それではこれで散会といたします。
なお二次会は駅前のプラザロコなどを御用意しておりますので、ぜひ多くの方の御参加をお待ちしております。」

・・・この夜、会議を終えたC12たちはそれぞれの思い出を仲間とともに語り合い、彼らの唄う『♪線路は続くよどこまでも』の歌声が川根路の夜空にいつまでも終わることなく響いていた・・・・・。

          「C12保存機、大いに語る」 終わり

後書き

静態保存の蒸気機関車の現状は必ずしもすべて納得のいくものではないことは周知の通りであります。
復活蒸機のブームはある、とはいうものの、それに目を奪われているうちに各地の保存機関車は忘れ去られ、あるものは手入れもされずに錆び付き、心無い人たちによって部品は持ち去られついには危険な状態となって解体されてしまっています。
情けないことに管理者に解体の予算すらなく無惨な姿を晒している仲間もあります。
保存当初の熱意はもはやなく、また「SLならなんでもいい」という風潮にのって運んで来た機関車にもはや管理者の愛情は残っていないのかもしれません。

静態保存の機関車に限ったことではありませんが、こういった保存機の価値・保存の意義・そしてその機関車が動いていた時代の貴重な体験を持って接することができるのは、現在中年になってしまった我々の世代が最後だと思うのです。
現役当時機関車を動かしていた方々、また保存時に携わった方々もすでに高齢となってしまっていることでしょう。
だからこそ我々はあの青春をかけて追い求めた『すばらしい蒸気機関車』の本当に「生きていた時代」のことを語り継ぎ、また「なぜその機関車がここにいるのか?」ということを多くの現代のファンの方に知ってもらう責務があると思うのです。

「生きている機械」とも言われた蒸気機関車が、本当に言葉をしゃべれたならば、そして保存の現状や経緯について語り合ったならばこんな感じになるんじゃないか、と思ってこの文をおこしました。
文中の現状については日々変化があるため、必ずしも発言の通りではないものもあるかと思います。
(保存地の移動、解体処分、荒廃、また再整備など)
個々の機関車の履歴などについても不明な点、また間違っているところもあるやもしれませんので、その点お気付きのことがありましたらお知らせ下されば幸いです。

* 主な参考文献
鉄道ファン・ジャーナル・ピクトリアル各号
蒸気機関車各号
レイルマガジン増刊「日本の蒸気機関車」
朝日新聞 世界の鉄道

       付録
 
      
             C12171保存説明板
 
      
             C1229保存説明板

      
   C1269保存説明板 「五条川鉄道写真館」吉野富雄様ご提供。
この説明板によれば廃車は昭和49年3月27日(木曽福島区)となっています。また、昭和36年にはわずか5か月という短い期間ながら日本石炭石(株)青海工場にいたことになっています。ただ、「石炭石」とはどうも妙な名称ですので、「石灰石」の書き間違いかもしれません。」

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